神だって超える#36
「ちょっと説明をしなさいよ!」
ヴェリーに詰め寄られたサーベラントは困惑して、ミチの口元に耳を寄せる。息はしている。ホッと安堵をするものの、ヴェリーをはじめマクマやウイランの心配そうな表情に虫の居所が悪くなる。
「過去にミチ様の精神が残っているとは考えられないですか?」
「ルー様。しかし、今まで僕のこの術でこのようなことは……」
「ゼウス様が見定めたお方。常識の範疇で捉えることは出来ませんよ」
ルーの言葉にサーベラントは一応の納得をしてみせた。
「そもそも君達はゼウス様からミチ様のことを聞かされていたわけ~?」
その問いはマクマだけでなく他の者も気になっていた。都合よく現れた彼らはどうも偶然のたまものではない気がする。
「言っていませんでしたか? 僕達はゼウス様の指令により動いていると。貴方達に過去を見せる為、ここまでやって来たのです」
「……解せんな。あの方の力があればイーサンを救うことも……」
下唇を噛みしめるディライトに誰からも戒める者はいない。彼自身が未来神ゼウスの力を認め、今へ繋がる最善の方法を取ったことを知っている。だからこそ、このやり場のない気持ちを吐き出さずにはいられなかった。
「あの過去から先をミチ様は今もなお見ているのかもしれません。ただ、伝書に記載されていない以上、サーベラントには何もできないのです」
「二度と戻って来ない可能性もあります……」
「はぁ? ふざけないでよ!」
胸倉を掴まれたサーベラントに対し、ヴェリーは歯を剥き出しに怒る。それを抑え込もうと、マクマが彼女の脇下に腕を入れてサーベラントから引き剝がす。
「ゼウス様の指示が予知未来へ繋がるのなら、悪い結果にはならないと思うよ~。千年後の現在が存在しているってことは、ミチ様は今、大きな役目を背負っているんじゃないかな~」
そんなことは分かっている。分かっているが……。ヴェリーの心情は誰にも分からなかった。どうして、彼女がそこまでして涙で頬を濡らしているのか。
「まだ、あいつは完全な神じゃないんだよ? あいつはまだここに来てわずかなんだよ? 急にこんな……こんな重荷を背負わせて……ゼウス様の予言通りだとしても、それで私がミチを連れてきてしまったことには変わりないの。だったらせめて、私には見届けさせてよ……」
胸を抑えて膝をつきボロボロと涙する彼女を前に、ルーが手を差し伸べる。ヴェリーは顔を上げて彼女の優しい笑みを見つめた。
「貴女からは素敵な愛を感じます。神になるとどうしても心が濁る傾向がある中で、貴女の想いも――それに、イーサンを想うディライト様の想いも、彼らを想う友の想いも、とっても綺麗ですね。私をサーベラントに同行するように仰ったゼウス様のお考えが今、理解できました」
ルーから伴う優しいオーラにヴェリーは思わずその手を取った。
「あなたは一体誰なんですか?」
「私は愛の女神:ルー」
「愛の女神……?」
ヴェリーをはじめとして、マクマ・ウイラン・ディライトは困惑の色を隠せない。一応、300体といる神の存在については把握しているつもりだった。が、愛の女神の存在は誰一人として記憶になかった。
「驚くのも無理はありません。私は上位神、中位神どころか下位神にも身を置いていませんから」
それはつまりどういうことなのか。もはや、神の存在として成り立ってはいないのではないのか。
唯一、この場にいるサーベラントだけは彼女の存在を知っている面持ちだ。説明を求める一同に、サーベラントはルーに確かめる。彼女は説明をしても良いと首を縦に振った。
「数百年前と近しい時代のこと。ルー様は元々シルフ族で生まれ育ちました。彼女の双子の姉、ピューネ様は音神として正式に後継として選ばれ、神界に招き入れられました。本来であればルー様の記憶からピューネ様の記憶が削り取られるはずでした。しかし、双子の相伝といいましょうか。ルー様からピューネ様の記憶は消し去りませんでした。それを知ったピューネ様もまた、濃い血の絆のもとに誘われるかのよう、下界の者であったルー様にお会いになられました。本来であればそれだけで、何かが起こるわけではないのですが」
言葉を切ったサーベントの背に手を添えて、ルー本人が自分の口を割り始める。
「神界未踏とでもいいましょうか。女神となった姉と触れたことで、私は神の力を得ることになりました。神に選ばれることなくです。さらに、私を知る家族・友人の記憶改竄されることもなく私は故郷に留まり続けたのです。私が得た力を知るのは姉のピューネだけでした。私はこの力を誰かにひけらかしたり役立てようとは一切思っておりませんでした。ですが、時間は流れているのに私の容姿は変わらないまま。まさに神そのものの体質となったわけです。姉は慕っていたゼウス様を私に仲介して紹介してくれました。この事は全知神様や全能神様、他の万能神様にはお話しすることはできません。神界の秩序が崩壊しかねないから。ゼウス様は親身になって接してくれました。そこで分かったことは、神にあるべきはずのものが私には存在しないということ」
息を呑む神々の一同。突如として生まれた神の力を得た女神。それは歴史上、どれだけ遡っても存在することがなかった突然変異のようなもの。神にとって大事なもの――それを思いつかない者はいなかった。
「お察しの通り、私には種がないのです。では、私は何によって生かされているのか。答えはまだ導き出せていません。ゼウス様が仰るには、私の存在を証明する手掛かりが一つだけあるとのこと。それは禁断の【パンドラの箱】にあるというのです。――皆さんが今さきほど目にした、封印の石版のことです」
ゼウスが映し出した未来の中。その石版は神界をも滅ぼさんとしている。神でさえも危険だと謳われた石版の秘密の中には、おそらく種の存在についても隠されているのだろう。絶対的存在だと思われていた神という存在。その神さえも揺るがす真実があることに薄々と気が付いていた。
ヴェリーは、なんと声をかければいいのか分からなかった。というよりも、その真実を信じたい気持ちがあった一方で否定したい気持ちが強かった。
「ゼウス様も含め私達が戦っているのは、神のトップに立つ全知神様、全能神様、さらに万能神様というわけでもありません。その上、神を超える存在。種とは元々、その存在が生み出した欠片に過ぎないのではないかということです」
そうだとすれば、種を持たないルーは一体なんなのか。彼女自身が神を超えた存在? そんなことが本当にあるのか。
「残念ながら、ゼウス様も全てを把握したわけではないようです。ただ、神を超える存在があると仮定した時、どうして神界が全滅するのかについて私は考えました」
ルーの一言一言が胡散臭くもあり、真実味あるものだった。いつしか、彼女の言葉の続きに夢中になっているヴェリー達がいた。
「神を超える存在にとって、自分の存在に気付かれることを良しとしない、そんなルールがあるのかもしれません。私たち神とは本当はちっぽけな存在に過ぎず、非情な言い方をすればボードゲームで踊るコマのようものかもしれません。ゲーム上のコマが自分達を操っている者の存在を知り、その正体を突き止めようとすれば、操っている者の手で簡単にボード上のゲームは破壊することができます。ゼウス様が視た幾つかの世界線、全知神様やウェルダ様が生き残る世界も存在しているようでしたが、それもまた神を超える者の余興にすぎないのかもしれません」
恐ろしい話を平然とした表情で口にするルー。それが事実なのだとすれば、石版を命がけで奪おうとしているウェルダは自らの不幸を招き入れていることに気付いていない。それどころか、すべてのことを知るとされている全知神でさえも……。
「ゼウス様は全てを私達に話されたわけではありません。千年前、一体なにが起こったのか。それは私達ですら知らないところなのです」