神だって超える#10
―1年が経過。ミチ達の目には、その月日は一瞬としてシーンが切り替えられる。
「最近、あの二人、ベタベタだね~」
「神の存在を消せって言っていたのは、どこの誰かしらね」
二人は上空から馴れ合っているイーサンとディライトを見つめていた。最近ではめっきりディライトは二人と戯れるより、王女とこうして森の中で逢引きしている。当然、レベット王国の誰もが神であるディライトの存在には気付いてはいない。
あれから、大泣きしていたイーサンを泣き止ませようと、ディライトは懸命に聞き役に回って彼女の生い立ちに話を傾けた。元々はウイランやマクマの小さな歪みを修復することが目的だったのだが、次第にイーサンの背負った枷に同情するようになる。
「ほら見てみて~。あのニヤけた表情。ディライトも随分とゾッコンだね~」
「本当にだらしがない」
「ウイランがアリオット様に見せる顔と一緒だけどね~。ニシシシ」
「ちょっと! あんなのと一緒にしないでよ!」
平和。そう、これは紛れもまく平和だった。しかし――。
戦神:ディライトの、この気持ちの綻びにより、近づく戦乱は止めることができなかったのだ。
轟々と上がる火の手。王都は騒然を極め、あらゆる場所から悲鳴と雄叫びが入り混じる。漆黒の空の下、突如として襲ってきたベベット族。大軍勢で攻めてきた彼らは容赦なく、妖獣を抹殺しにかかる。
「なになに~!」
西大陸に身を置いていたマクマがレベット王国付近の上空に駆けつけた時には、十の神の6人が顔を揃えていた。彼らは静かに燃え上がる王都を静観していた。
「ど、ど、どうして……」
「マクマか」
大男がドスの利いた声で彼女の名を口にする。マクマはその中にディライトとウイランの姿がないことを確認する。
「彼らはどこに行ったの!」
「なんだ、知らなんだ。1年前の件で神議会に呼ばれ、この惑星に今はおらん」
最悪のタイミングだ。惑星で起こった神と下界のトラブルは万能神の監視の元で行われる。ただし、ホーリッドには直属の万能神は置かれていない。ディライトをはじめ、マクマも万能神の管理に入ることを嫌った身だったからだ。――神は下界の人間に自らの手で下してはいけない。――
それは神書(神の規定)に、確かに記されている。問題は、どうしてそれが今頃になって取り沙汰になっているかだ。
マクマはハッとした。十の神の中にあの件を知った者がおり、全能神並びに万能神に報告した者がいる可能性。
「これは戦神の怠惰が招いた戦だね。僕達は下界の戦いに関与できないから見守ることしかできないな」
バンダナを目深にして身に付けた神が無表情でそう言った。
(……静観するしかない? そんな……それじゃあ、イーサンは……)
マクマは後先考えずに王都へ向けて飛んだ。後方から呼び止める声もあったが、そんなことを聞き入れられる心情ではなかった。
王都と王宮は火の海で、惨殺された光景があちこちにはあった。苦い表情をしながらもマクマはベベット族を掻い潜って王宮内へと入る。既に多くのベベット族が侵入に成功していた。歓声が響き渡る。何事かと王宮の奥にある王室へと向かうと、王の首を討取ったベベット族の姿が。
「オルラン様! こちらに王女を発見!」
王室の隅でうずくまっていたイーサン。ベベット族の手が伸びる。マクマは全力で疾走した。
「イーサン! アタシに捕まって!」
その呼び掛けに、ハッとした彼女が手を伸ばす。マクマの首に巻きついた腕をしっかりと受け止め、マクマは高く跳んだ。身に纏った手のひらサイズの赤い果実を千切ってそれを天井へと投げると、小さな爆破を起こし穴を開けた。
「逃がすな、追えー!!!!」
ベベット族が一斉に動き出す。その動向を確認したマクマは背に汗を感じる。神になって初めて感じる緊張と不安。
「マクマ、来てくれたのね!」
「あ~、うん。でも、アタシは戦いに向かない神だから……」
「でも、助けに来てくれた! 助けに来てくれたよ、マクマ!」
イーサンに強くギューと抱きしめられて気管が閉まる。
「うぅ~。わかったから離して~」
「あっ! ごめんなさい!」
王都から少し離れた場所の森へと入り、彼女を下ろしてやった。ここまで来れば大丈夫だろうか。
「本当はもっと安全な場所に運んであげたいんだけどね~。アタシの集中力ではちょっと限界~」
「集中しないと想像力がブレるんだもんね」
「さすが、伊達に神とイチャイチャしていないね~」
湯気が出そうなほど真っ赤にさせた顔に、キャハハとマクマは笑った。しかし、すぐに彼女の表情から笑顔は消えた。
「ごめんね~。神の仕事において、未然に戦を防ぐのが仕事なんだけど~」
「どうしてマクマが謝るの? その仕事はディライトの仕事でしょ? あとで私がいーっぱい叱ってあげるんだから!」
「アハハハ。下界の人が神を叱るなんて初めて聞いたよ」
ディライトがイーサンのことをどうして好きになってしまったのか、マクマには分かった。彼女には隔てるものがないのだ。種族の違うベベット族だけではない。そもそも生きる世界が違う神に対しても、彼女は敬うことも恐れることもしなかった。同じ生命として平等に……。
「いたぞ!!!」
その声は突然すぎた。身構える暇もないまま、ベベット族の放った矢が飛んでくる。――その視界が塞がれた。イーサンから放たれる甘い香りが漂いながら。
矢を背に受けたイーサンが、そのままマクマへと身体を預ける。
「イー……サン……」
「え……へへ……ケガはない? マクマ……」
「な、なんで~! アタシは痛みを感じないし死なないの~!」
「それでも、わ、私の……心は傷つくからっ……ゴホッゴホッ!」
「イーサン!!!」
神になって胸の内で感じる初めての体温とドクドクと手に伝わる血流。体温は次第に奪われ冷たくなっていく。思い出した、これが生命だ。神になって久しく、忘れていたことだった。自分の頬に伝わる涙。それも温かい。
元の命を捨て、神になることは力を得ることだと思っていた。――そうじゃない。それと同時に失われていたものが確かにあったのだ。
「ディ……ディライトを叱ってあげないと……」
「そうだよ~! いっぱい、いーっぱい叱ってあげるんでしょ~!」
「……そ……だね……」
命が消える。その小さき命が灯火を消そうとしている前で、涙を流すしかないのか。神とは一体なに? 大地に生命を与える豊穣の神? そんな力はいらない。
目の前で息絶えそうな彼女に生命を与えてやる力はないの?
(……アタシ、無力じゃん……)
「イーサン!!!!!」
上空からディライトの焦燥と必死な叫び。その後ろからマクマの名を喚呼するウイランの声。地に降り立った彼らはすぐにマクマの元へ走り寄る。
「イーサン!!! おい、イーサン!!! 目を開けろ!!」
「無駄だよ……。もう、彼女は死んだの。アタシ、守れなった……ごめんね……」
「マクマ……」
そっとウイランが彼女を抱き寄せる。襲ってきたと思われるベベット族は、近くの木々に吸収をされて絶命している。イーサンの死と共にマクマがした所業である。
「うわああああああああああ!!!!!!」
ディライトの咆哮は天のどこまでも響かせた。そして、それが鳴り止む時、戦神は自らへの戒めとベベット族に対する憎悪により、”復讐の神”へと成り替わったのだった。
――大地は荒れ果て、木々は枯渇、ホーリッドからは水も消え失せた――
愛しき人を奪われ怒り狂ったディライト。神の在り方に迷走するマクマ。故国が消え去って空虚するウイラン。
ホーリッドはこうして、彼らの心とともに自然を失うことになるのだった。