神だって超える#21
時は来る。ミチ達の体験した世界は一瞬にして1年もの月日が経過する。あの惨劇の一日の始まりだった。
▼エルバンテ▼
兵力は格段に上がった。三つ目となった男は、その額の目を宿したことで相手の動きが以前よりも読み取れるようになり、兵を率いる総隊長へと位を上げた。
「調子はどうだ?」
ウェルダに問われた三つ目の男は、頭を軽く下げて敬意を示した。
「お陰様で力を得た上に女を多勢、抱くことが出来ております」
「随分と貪欲だな。だが、それがいい。お前はもっと貪欲になってよい存在だ」
「はぁ」
「そろそろ身の締まらない国王に退いてもらいたくないか?」
「え、あ、いや……その……」
「あの国王はダメだ。決断力がない上に弱い。なによりも俺の意見に従わないことが多い」
ウェルダは微笑みながら三つ目の男の肩にポンと手を置く。彼に触れられるとどうも力を与えてもらっている気持ちになる。
「それに比べたら、お前はとても従順でいい子だ。だから今一度、俺の指示に従ってくれないか?」
「は、はい! なんなりとお申し付けください!」
「うん、やはり君は気持ちの良い男だ。では、今から一緒に行こうか」
そう言ったウェルダは手を差し伸べた。三つ目の男にとって彼は、まさに神のような存在。本物の神だとも知らずに崇拝した男は、その手を大切そうに
取った。内情では嘲笑するウェルダの本心も知らずに。
▼レベット王国▼
ずっとずっと、私を見てくれる者なんていないと思っていた。あの日、貴方と出会ってから、私は一人じゃないと感じられるようになった。
「なに呑気に寝ているんだ」
瞼を開けると頬に、ディライトのたくましい腕があたっていた。森の中で、チュンチュンと鳥のさえずりに心が落ち着く。
「まったくヨダレを垂らして寝るだなんて、王女としてどうなんだ」
慌てて彼女は口から漏れた粘っこい液体を指で拭きとって、適当な服の端にそれを擦りつける。上品とは程遠いお嬢さんだと思いながらも、その天真爛漫な彼女をディライトは好いていた。
「今日は大事な日なんだろう?」
「建国儀礼なんてつまらないものに私は興味ないの」
「昨年は、欠席をして叱られただろ。 確か今年は参加するって国王に誓っていたっけな?」
「あ……」
そんな約束をしたような、したような、したような……。イーサンは舌を出して可愛げに笑顔を作って誤魔化した。
「一応は王女なんだ。それも他国と国交を築こうとしているのなら、なおさら自国に対して怠慢になってはいけないだろう?」
「もう、ディライトは堅物なんだから。今の私にとって、王国は窮屈なの。分かる? あ~あ、私も女神様になりたいな~」
「怠慢の女神にでもなるつもりか?」
パシッと彼女はディライトの腕を叩いて笑みを零し、ディライトも釣られて誘い笑いを受ける。
「もうしょうがないなあ。怠慢の女神の勲章を貰わないためにも、参加してきますか」
イーサンは立ちあがって、大きな伸びをした。ディライトも立ちあがって上空でこちらの様子を窺っているウイランを見上げる。
「じゃあ、儀礼式が終わったら、また来てね」
彼女はそう言うと、手をブンブンと振って別れの挨拶をした。ディライトは「ああ」と頷く。彼にとって、これが最後の二人の会話になろうとは思ってもみなかったことだろう。
イーサンと別れた彼は、ウイランのもとに飛んでいった。
「どうした?」
「大変よ。1年前の件で神議会に呼ばれたわ」
「なんだと! あの件は誰にも明かしていないはずだ」
「どこからか洩れたみたい。至急、来るようにとウェルダ様からの通達が来たの」
「まったく。最悪な一日になりそうだな」
「そうね。それ相応の処分は考えたほうがいいかも。イーサンに別れを告げるのなら今の内よ」
そう言われると、自分がもう神として存在が出来なくなるかもしれない危機感が押し寄せてくる。下界の者を葬ったのがウイランだとしても、それを傍観していた代償は大きい。
「いや、構わない。彼女は今から王女としての責務を果たさなければならない」
「そんな大げさなことじゃないでしょう?」
「そうかもしれないが、俺が足枷になるわけにはいかない」
「ふぅ~ん。本気であの子が好きなんだね」
「笑うか?」
「別に。神も心を持ち合わせているからね。そういうこともあるんじゃない」
「マクマは?」
「……それこそ言わない方がいいんじゃない? 大泣きした挙句、離してくれないよ」
「はは! 想像が出来るな」
二人はどこか寂し気な微笑を浮かべ、ホーリッドからゆっくりと飛び出して行く。ホーリッドを宇宙から見たのはいつぶりだろうか。広がるレベット大陸に小さな王宮の影。あの中に、今しがた話していたイーサンがいるのだ。
「ほら、女々しい表情をしていないで行くよ」
「誰が女々しい表情をしているものか」
二人の神はホーリッドに背を向け、神界へと向かっていくのだった。
▼エルバンテ▼
あれからレベット王国がなにかを仕掛けてくる様子はなかった。1年の間、間者を仕向けて妖獣の様子を窺ったが、どうも戦を企むような緊迫した雰囲気はないという。それに報告で一番引っ掛かるところがある。
間者からの情報では、国王が病床に倒れているという事実はないというのだ。それはつまり、ウェルダが根も葉もない噂を掴ませたということではないか。いや、噂ではなく単なる嘘だった可能性も高い。彼への疑心は膨らんでいった。
根底から彼が嘘を吐いていたと考えるのならば、彼の言葉の全ては善からぬ意図があったということになる。これまで戦を仕掛けなかったことは、彼にとって都合の良い機会を狙い定めていたからか。そもそも、あの日、彼はレベット王国が攻撃を仕掛けてくると予言したのだ。それも時間を空けぬまま、彼の予言通りにシルランは死んだとの凶報が舞い込んだ。
――その時は何ら疑問を抱かなかったが……。
「悩まし気な顔をされていますね」
「……ウェルダ」
王室にどこからともなく侵入してきたウェルダと三つ目の男。ウェルダが単独でやって来ることはこれまでに何度かあったが、まさか三つ目の男までやって来ることは想像だにしなかった。
三つ目の男に総隊長の地位を与えるように進言をたのはウェルダで、確かに彼の力は否定できないものだから、オルランは彼に総隊長の座を渡してやった。しかし、それもよく考えれば、ウェルダによって力を与えられた者。つまりは、ウェルダの思い描く方向へと誘導されているだけなのではと、オルランは三つ目の男さえも不気味に感じられるようになった。
自分の知らないところで、着実に何か暗雲めいた計画が進行している。その危惧は日々濃くなっていく。
「そろそろ鈍感な王様も気付かれる頃かと思いましてね」
あっけらかんとした口ぶりで、ウェルダ本人から本性を現す。まさに、オルランの心情を読み取ったかのように。
「貴様……、私を利用していたのか」
「いいえ。利用しようとしたのはベベット族そのもの。無力で無知な貴方は、簡単に私の言うことを聞いてくれました。が、それももういいです。私の欲しいのは従順な僕だけ。貴方は思ったよりも信念を強く持っており、私の手引きした風に乗り切れずにいた。だから、別の者に鞍替えをすることにしました」
「それがそこの男か!」
三つ目の男が大きな一歩を踏み出す。
「安心してください。新たな王が誕生することはありません。この国の国民が最も信頼しているのは揺るぎなくオルラン様にあられる。だから――」
オルランの胸に、目に見えぬ速度で剣が深く突き刺さった。
ガハッ! と、吐血したオルランは三つ目の男を睨んだ。そこには冷徹な瞳が3つもあった。
「俺がオルランとなる」
「ど……どういう……意味……だ……」
絶命したオルランの胸から剣を抜き取った三つ目の男は、ブンと振って刃に付いた血を払い落す。
「さてさて。明言通り、君には国王になってもらおうか」
ウェルダは三つ目の男の顔に掌を翳した。その顔は見る見るうちにグニャグニャと形を変え始め、一寸の狂いなくオルランの顔へと変えてしまったのだ。
「さあ、国王。君の指示を国民は待っているよ。力のある国王だと示すんだ」
「力を示す?」
「それには手っ取り早い話がある。東の大陸に領土を拡げるのさ」
「レベット王国への侵略……ですか」
「怖いかい? 妖獣を野放しにしていれば、いずれはベベット族の脅威となる。君の子孫たちに明るい未来を見せてやるんだ」
言葉巧みに操り、三つ目の男改めオルランを誘導する。自分に望んだものを与えてくれた者の言葉を、受け入れないわけにはいかなかった。
「今宵、早速、俺の力を示してあげましょう」
ニヤリとウェルダは口の端を上げるのだった。