神だって超える#32
――弱冠10歳の少女が途方もなく歩き続けた西大陸。突如として現れた王都ユーキリアは、レベット王国に近しい雰囲気を持っていた。そこには二プラン族というヒューマン族に近しい姿を持った種族が存在していた。彼らの耳は丸まっており、目が数ミリとしか開いていない特徴がある。嗅覚が優れており、同国の者でなければすぐに察知されてしまう。
エリザベルも王都を前にして守衛から尋問を受ける。
「お嬢さん、どこからやって来たんだい?」
「……東の大陸から」
「そんな遠くから? 一体どうしたっていうんだ」
「我は新たな移住地を求め……」
意識を失った彼女に守衛達は慌てて、王都の中へと運ぶことにした。身体が随分と汚れ、肉付きの悪い少女からは悪意を感じ取れなかったことから、彼女は介抱される身となる。
目を覚ますと、白い三角巾を頭につけた年配の女性が顔を覗かせていた。
「お目覚めかい?」
「ここは?」
「病院だよ」
女性はエリザベルに水を渡してやる。彼女はクンクンと匂いを嗅ぎ、それを口に含んだ。あまりに澄みきった水だったので、エリザベルは遠慮をせずにゴクゴクと飲み干そうとした。
「だめよ。胃がびっくりしちゃうから。温かいスープを用意しているから、ゆっくりと食べるんだよ」
女性は傍らに置いてあった寸胴から、薄黄色に染まった水分をすくい上げた。そこからは湯気がたちこめている。スープは椀型の土器に注がれ、エリザベルの手に渡る。レベット王国では見たこともない料理だ。
恐る恐る彼女は、舌先だけでスープを舐めた。塩気があるがなんとも優しい味がした。土器に添えられた丸みを帯びた道具でスープをすくい上げ、今度は口の中にたっぷりと含む。ゴクリと喉に通すと、その温もりが食道から胃へと熱を供給する。
「……おいしい」
「ユーキリア名物、”母の味スープ”だよ」
「母の味……」
母、サンリーの笑顔が思い出される。彼女はレベット王国が代々引き継いだ封印を護るため、命を落としてまで守り抜いた。あの石版が意味するものは術式者の中でも一部しか知らない。サンリーはその意味をどうやら知っていたようだが。
「お嬢ちゃんの名前は?」
「エリザベル」
「そう、随分と遠くからやってきたんだねえ」
女性はエリザベルの手から空っぽになった土器を受け取り、スープを足して返した。エリザベルは礼も述べずにスープをすぐに口へと放り込む。
「それだけ食欲があれば問題がないわね」
「……聞いてもいい?」
「なんだい?」
「ここにメルンという術者がいるって聞いたんだけど」
女性はその名を聞いて目を見開いた。彼女はエリザベルから視線を逸らすように寸胴のスープをお玉で無言で掻き混ぜ始める。
「どこでその名前を?」
「父が何かあった時には頼れって。その父も母に聞かされていただけで、詳しくは知らないようだが」
「その母親ってのは?」
「……」
レベット王国だけではない、この世の為に身分は捨てたのだ。封印の石版を護るために父と協力を。しかし、メルンという人物と相まみれる為には、身分を隠し続けるのも厄介な話だ。
「話せない事情があるんだね」
「……」
「まあ、いいわ。口を簡単に割るような術者は信用が出来ないからね」
「え?」
女性が”術者”と口にしたので、エリザベルは驚きのあまりに手に持っていた土器を落した。もしかすると、正体がバレてしまったのか――。
「私がメルンよ」
三角巾を取った場所から、シルクのように繊細な白髪がスルスルと落ちる。皺が細かく刻まれた肌からは歳もそこそこいっていると想定できるのだが、どうしてもその艶のある髪が若返らせて見せる。
「エリザベル、付いてらっしゃい」
メルンがそう言って病室から出るのを、布団から慌てて飛び出したエリザベルは追いかけた。彼女に付いていく間、幾つか質問を考えたエリザベルであったが、どうしても口に出せずにいた。メルンという女性からは只ならぬ威圧的オーラのようなものがあったからだ。
病院から少し離れた場所に小さな木造建築物があり、その中へと誘われる。
「私の家よ。腰をかけてちょうだい」
部屋の中は質素なもので、最低限の生活が出来る程度の家具が揃っている。木で造られた椅子に腰を掛けると、メルンは対面の席に腰を落ち着かせる。
「ユーキリアでは、メルンという名は隠しているの。私は術者を引退した身。私の名を知っているのは今や数少ないはずよ。貴女の母親は一体何者?」
正直に話した方が良さそうだ。先程までの柔らかい雰囲気をメルンからは感じられなくなっている。彼女の前で下手な嘘をついて、拗らせてしまうのは面倒だ。
「母の名はサンリー。レベット国王フィールの妃にして、術式を心得ている」
少しだけメルンの表情に強張りがみられた。だが、彼女はすぐに淡々と話を進め始める。
「私の弟子ね。中々優秀な子だったわ。国王に唾を付けられていたって噂には聞いていたけど、本当だったみたいね。ということは、エリザベルは王女ということになるわね」
「その肩書は捨てた。我はもうレベット王国の者ではない」
「……なにがあったのか教えて頂戴」
エリザベルは事の始まりから今に至るまで、すべてを説明した。サンリーの死と封印の石版の枷を受け入れる決意。そうして、いざというときには術式を組めるように術者としてのスキルを身に付けられるように。
「それで私に会いに来たのね」
「あの石版を奪おうとせん輩がいる限り、レベット王国は安泰とは言いきれん。術者が王国に留まる限り、全滅を回避するには我が離れることが大事だと踏んだ」
「ふふ。少女とは思えない口調ね。私もこの地に移住した理由は、そこを懸念したところにあるのよ。まさかその年齢で気が付くなんて、とても利口なお嬢ちゃんね」
「お褒めの言葉はいい。我に封印の術式を教えてくれ」
「……そうね。私も随分と衰えた。いつこの身が朽ちるとも限らない短い時間しか残されていない。引退した身とはいえ、そろそろ次の世代に託そうと考えていたところよ」
それからはエリザベルとメリルは共に過ごすようになった。毎日の訓練に加えて、食っていく為に病院での従事を手伝う。決して裕福な暮らしをしたわけではないが、海産物に恵まれたこの土地で空腹になることはなかった。
エリザベルの素質はメリルを驚かせた。本来であれば何年もかけてマスターする術をわずか半年で習得させるほど。さらに彼女の男勝りな性格は、王都のあらゆる問題を力で解決していった。次第に王都中で彼女を慕う者が増え、当時の国王から直々に精鋭気鋭隊への参入を申し出されるほどに。
メリルが言ったように、彼女の灯は残り短かった。日に日に衰弱していく彼女は病床で過ごすことが多くなった。
「ばあさん、大丈夫か?」
「おや。あのエリザベルが心配をするだなんて珍しいね」
「ふん、我をなんだと思っているのだ。一応は血の通った優しさもある」
「……エリザベル。貴女なら担っていけるわ。この王都もレベット王国の平和も」
「面倒だが、ばあさんがそう言うなら背負ってやらんこともない」
「国王に子供はいない。あの方も最近では病に苦しめられているわ」
「何が言いたい?」
「次の国王候補について王都中が噂をしている。その中では最も有力視されているのは、あなたよ」
「……私に王になれと言っているのか。我は身分を隠しているのだ。そんな注目の集まる地位に――」
「大丈夫。上手くやっていけるわ。貴女にはそれだけの……」
よそ者を快く思わない者も少なからずいた。だからといって、気にしている暇などエリザベルにはない。ただただ、彼女は自身が望みへ貪欲に駆け上がっていく。女王エリザベル誕生の日、彼女はメリルの墓に手を合わせ唇を噛んだ。
彼女は最悪の状況を危惧し、女王の権力を使ってエルバンテへと間者を仕向け、レベット王国を静かに見守り続ける。
「けなげだね。封印の石版を護るとはいえ、そこまで出来ちゃう君がすごいよ」
奇妙な話だ。メリルと神は繋がっていた。彼女から紹介された男はゼウスと名乗り位の高い神だという。石版の守護者、特に資質の高い術者には昔から神との繋がりが濃いとされていた。メリルが優秀な術者であり、それを引継ぎし愛弟子。
「近々、封印の石版を狙って動き出す神々がいる。そうして、数多くの未来が悲惨な結末を迎える。だが、一つだけ。君の前に現れるヒューマン族。彼がキーパーソンとなることを伝えておくよ」
「その未来は?」
「なんでもかんでも未来を知っちゃうと、つまらないよ」
「ふん、相変わらず大事なところで食えぬ男よ」
ゼウスの予言は的中する。外れることはないと思っていたエリザベルは当然、堂々とした態度で頬杖をついて玉座に腰を下ろすのだった。