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星野源|いのちの車窓から2 感想文
最近はネットで何かのついでに本を買うことも多いが、
今回は書店で予約をして購入した。
数年前まで自分がパートをしていた書店だ。
仕事、家事、子育て、いま私は忙しい30代を目まぐるしく生きている。
その中でこの1冊の発売は、私の心を踊らせワクワクさせてくれた。
まず装丁がいい。書店で手に取った瞬間、つたわる温かみと質感。
前後にグレーのページが2枚挟まっているのもいいな。
家事を全部済ませ、子どもたちに「おやすみ!早く寝なさいッ」と言ってボフっとソファに仰向けで寝そべった。
あたたかくて、面白くて、愛おしくて、大好きで、胸が締め付けられた。
目尻から落ちていく涙を何度も拭いながら一気に読み切ってしまった。
ーー読み切ってしまった。
心の中があたたかい。
久しぶりに夜ふかしをして、星野源のオールナイトニッポンをリアルタイムで聴いた。
7年半のタイムラプスのような1冊
星野源の最新エッセイ、と言っても実に7年半もの内容が綴られている。
2017年→逃げ恥・恋、コウノドリ2、FamilySong
2018年→ドラえもん
2019年→POP VIRUS
2020年→【コロナ禍】うちで踊ろう、MIU404
2021年→逃げ恥新春SP、不思議、結婚
2022年→喜劇
2023年→生命体、光の跡
ざっくりとこんな感じ。
その間にアリーナツアー、ドーム、バラエティ、映画、CM、星野源という名が日本に大きく知れ渡ってからの、怒涛の7年半。
自分もなかなかに怒涛の日々を過ごした。
2016年に出産し、手のかかる息子の子育てに奮闘した。すると母が脳出血で手術、長期入院をし、
次いで息子が白血病となり、コロナ禍になり、無事退院し、自分が途端に鬱になり、また音楽が聴けるようになり、
職場復帰をし、2022年頃からなんとなく前のような「日常」を送れるようになった。
その間にも、次々に生み出される作品を、私はただただ楽しませてもらっていた。
ラジオで声を聴けば、いつもの「あはははは!」と豪快に笑う源さんの声にホッとする。
偶像じゃない
例えばKPOPでは、新曲を発表すること、活動再開することを「カムバ」という。ファンはそれを待つ。それまでは日常を送る。
新曲を聴き「推しはいつもいいものを届けてくれるなぁ」と感心する。
それは当たり前のようで、当たり前ではない。
簡単なことではない。
この「いのちの車窓から2」を読むと、
星野源というただの1人の”人間”が作っていたのだ。と思い知る。
再認識する。と言ったほうが近い。
偶像でもない、無敵の超人でもない。
悩むし落ち込むし苦しむし楽しむ。
体調も崩す。
忙しさに逃げたくなり、大切な人と別れ、
家族を見つける。
同じ人間なのに、記者は平気で人間のプライバシーを侵害し、
ネットではまた人間が自分のことを棚に放り投げて芸能人を誹謗中傷をする。
そしてクソみたいな嘘だらけの誇張記事も、便所の落書きも、私達と同じように、芸能人のスマホにだって表示されてしまう。
不愉快だ。
それがなかなか終わらない。
源さんは私達一人ひとりのことを、ちゃんと人間だと思って見てくれているのにさ。
いつ人は、自分とは違う人の痛みを想い理解できるようになるのだろう。
病気と彼の幼少期
2013年のくも膜下出血の手術からこの書籍で書かれた一番古い日付まで4年ほど経っている。
しかしやはり度々この出来事については書かれていた。
世間は忘れていないだろうか?
私はずっと頭にあるし、彼にとっても大きすぎる、死と直面してしまった出来事なのだから。
上の記事にも書いたが、あの病気が、彼の記憶や考える力、発想力、ましてや発語や運動野を損傷することがなかったことは不幸中の幸い、奇跡と呼ぶべきだ。
奇跡の時間を生きていてくれてる。
そして他にも度々出てくるのが、幼少期の話だ。
「食事中動きたくなってしまう」
「友達を見ると抱きつきたくなる」
「画面の映像に釘付けになって被害者目線で追体験してしまう」
今となっては自覚できていることが、当時は無意識だっただろうし、
そのことで人から避けられたり苦しくなったり辛い思い出に繋がってきたんだろう。
「食卓」の話は連載時点で読んでいてその時も涙が止まらなかったけれど
前述した私の息子は、このポイントにすべて当てはまっており
「変わった子」と認識されている。
「行儀よくしなさい」「歩き回らないで」「話聞いてるの?」
母親なので言ってしまうのだ…
このエッセイを読んでから、本人に聞いてみた。
「もしかして、嬉しいの?」
「そうだよ〜!!」
彼はぴょんぴょんと嬉しそうに飛び跳ねた。
お友達や先生への突然のハグは、人によって距離感もあるし、びっくりする人もいるからやめよう。けど家では家族がいつでもハグをするよ。
と伝えた。
話を聴ける状態を確認することも忘れないようにしている。
恐縮だが、たぶん世界にある一定数はいる、ちっちゃな星野源。
その一人なのかも。
怖がりなところもあるけど、好きなものには周りが目に入らないし
耳も聴こえなくなるくらい夢中で、何よりも彼らは「人が好き」。
何かを何かに見立てて空想し、創作活動に没頭することもしばしば。
ドラえもんも、ゲームの世界も、大好きだ。
私は彼をこれからも大切にしたい。
身近な理解者でありたい。
そして息子もいつかこんな風に、自分の中の複雑で整理しきれない見え方や聞こえ方やもどかしさを、表現できるようになれたらいいな。と
心から思う。
源さんの幼少期の話を一切聴いていなかったら、
今の母親としての私の心構えではなくなっていただろう。
おわりに
まだまだ書けることもあるが、私が感想文として記述するのはここまで。
源さん、長生きしてくれ。長生きしよう。
ありがとう。
家族で手を繋いで「喜劇」をライブで聴けてよかった。
私達にとっても、喜劇は特別な曲。
また何回でも、桜を見に行こう。