らbyるという存在とVket
らbyるは2024年12月19日をもちましてVRChatの活動が3年となりました!
それに伴いまして少しだけらbyるの活動とVketに関するかかわり方というところに着眼点を当ててまとめてみようと思います。
始まり
改めてらbyるは2024年12月19日22時50分を持ちまして、VRChatを始めて3年という月日が経ちました!
なぜ分単位で明確化出来ているかというとVRChatの初配信をするために準備等でバタバタしたりトラブルがあったり(当時配信方法の記事なんて一切無かった)で配信準備が遅くなり、やっとVRChatに入って配信の映像が映ったのが2021年12月19日22時50分だったということである。
だけどそんな時間に何を目的にVRChatに入ったのか?
それはVket2021(2021年の冬)に自分がずっとYouTubeで見ていた赤髪のともさんが協賛されていて、会うことが出来るということを知ったからであった。
多くの人は疑問に思うであろう...あれ...あと10分...?
はい、らbyるは当時Vketを23時までということを知らず24時までのイベントと勘違いして参加していました!
まだそれだけなら良かったが、VRChatの配信をするということの大変さを理解できていなかったということがあり、22時50分時点でホームワールドの映像が映し出されて以降、赤髮のともさんに会いに行ったパラリアル秋葉原の映像は入ることなく、音声のみとなってしまった…
まぁ当たり前だが人がいないインスタンスに入っていたため、誰とも会うことがなく、写真の撮り方に関しても何も知らなかったため、VRChat最初の思い出としては何も残っていないが一番忘れられない思い出となった。
初心者案内
次の日の12月20日
仕事の休憩時間中にVRChatについて調べてみることにした。
「あっ…VRChatって検索入れると、候補に初心者って出てくる…」
とりあえず「VRChat 初心者」でGoogle検索をかけて出てきたところを行ってみるかと思い、家に帰宅後「[JP] Tutorial World」に行ってみることにした。
みんな入ると分かるが、JPTに入ると目の前には説明が並んでいるのが見えるであろう。
始めてきた場所であり、チュートリアルということで壁に書かれているものは全部読もうという精神だったため壁を読み進んでいた。
すると後ろからとある人が声をかけてくれた。
「初心者さんですか?案内しましょうか?」
この人がVRChatを初めて一番初めに出会う方であり、実は現在も自分がVRChatで活動を続けているきっかけになった人である。
アバターを見て分かる方もいるかもしれませんが、ここにいる方個人的にというか団体的にというか結構有名な方々が集まっていたんだなということを後々知りました。
(すごい方と知ってしまって以降、全然皆さんに会いに行けてない問題)
その中でも案内してくださった方がMonowoさんという方で、当時はLPK48でアイドルやってますって言われて凄い人だ!って思っていたけど、後々知ることになっていくのだがVketのワールド制作進行を経て、今ではVketのワールドメイン制作ディレクターになっている方だった。
その日は色んなワールドを巡り、VRというものを実感しながら楽しむことが出来た。(今でもFavoriteに行ったワールドは残してある)
しかし次の日からしばらく年末年始が近かったこともありVRChatはプレイする時間が取れず、1月半ばまで仕事が急な繁忙期に入ることとなった。
(上の会社からの指示で急な短期的繁忙期がよくあった)
原点
そこから時が経ち2022年2月18日
行くところがなく、いつも通りJPTでだべっていた。
すると某骨の人(今では上司?)に声をかけられて、VRChatで写真を撮るということについて教えてもらい、イベントに参加してみるということを教えてもらった。
正直この時の案内が無ければVRChatで写真を撮ることをあまりせずイベントに参加しないで生きてきた可能性は大いにあったし、今の活動含めてイベントに行ったり開いたりスタッフをする原点になっているということで、栓さんには実は感謝している。
(撮影の集いに誘われたが実は1回も行ってないのは黙っておくw)
そしてその日にVRChat初心者集会があることを教えてもらい、次の日のVRChat初心者集会に参加することに決めた。
初めてのイベント
2022年2月19日
VRChatを始めてから初めてのイベントになったのがVRChat初心者集会。
何か陽気に初心者さんを集めて話をしている人がいるな〜って思いながら参加してみるとJPTのたましこさんだった。
当時はJPTに入り浸っていてたましこさんという人がワールド作ったってことと何かJPTに公認の妖精がいるという話程度しかたましこさんを認識していなかった。
けどたましこさんに会って話していると、初めての初心者を巻き込んで会話が途切れること無く、ここまで話せるのはすごいと感動だった。
気付けば時間が過ぎ、あっという間にイベントも終了となった。
その後初心者撮影会の説明があり、そこも参加させていただいた。
居場所
イベントの楽しさをもっと知りたい!と思いイベントを探していると、「「居場所が無い」と感じるあなたのための立ち寄り処」というイベントがイベントカレンダーで記載されていた。
JPTでだべっていて、フレンドになってくれた人がいなければ話す相手が居ないという状態だったため、すごく気になった。
しかし当時仕事に加えタイミーで仕事を休日にも仕事をしていたため結構参加するのが厳しかった。
それに加えて寝る時間の確保等も重なってくるためなかなかまともに参加が出来なかった。
その時ひとつの解決方法が頭をよぎるようになった。
仕事から帰ってご飯食べてVRChatやってお風呂入って寝るのをVRChatやりながらご飯食べればいいんじゃね?という結論に至り、ここでらbyるのVR飲食人生が幕を開けたのだった。(それが後に大きくなるとはw)
今となってはなかなか会えなくなってしまった人や、会いに行く頻度が低すぎてフレンドを切られてしまった人もいるけれど、この当時に会ったメンバーは自分の居場所を作ってくれて、いつでも戻りたくなる実家感があるため切ることが出来ない縁だと思っています。
関西部
イベントとして初参加させてもらったのは2022年3月6日VRChat関西部でClusterのバーチャル大阪のツアーとVRChatのバーチャル道頓堀(当時公開前)のツアーをやるということだったので気になって参加してみた。
Clusterの写真がこの時初めて撮影されていることを考えると、この時が初だったんだなと思う。
これ以降VRChat関西部は入り浸るようになって、気付けばスタッフになって...。
イベントのスタッフとは何たるかを知ると同時に自然とトラブル対応に関しても対応力が付いて、VketのVRChat関西部コラボイベントスタッフをやらせてもらうことにもなった。
それが2022年8月のことであった。
(後の2024年7月のVketでは初心者案内ツアーとのコラボで企画担当をしたりもした)
2022年8月のVketはVRChatを始めて初めてまともに参加できたVketということで、コラボイベントのスタッフとして参加することが出来たし、個人でやっていたMirrativでの配信もやった。
こういうイベントにまともに参加するのが初めてだったということもあり、すごく楽しかった。
学園生活
今回の話に直接関係はしないため記載しようか迷ったが、自分の活動の方向性を大きく変えたのが私立VRC学園。
8期卒業で年月で言えば2022年10月前半の期間の生徒である。
この時出来た繋がりがどんどん新しい繋がりを生み、いろいろな方と繋がることとなった。
学園に通う前は居場所集会かVRChat関西部だけで過ごしていた時間が気づけばVRChatの可能性を無限に広げてくれた。
卒業後は自分の知見を広めるために講師を行うようになったり、副担任として可愛い(そこらの神多くない?)生徒たちも出来た。
次の17期の開校の発表も直近であったため、私立VRC学園がちょっと気になっているんだよなという方は是非説明会に参加だけでもしてほしい。
※私立VRC学園は応募の際、説明会への参加は必須になります。
配信活動の転機
ほぼほぼ毎日続けていた配信活動がちょうどVket2022Winterに入る直前に1000日間毎日配信を突破した。
配信活動自体はほぼ見てくれる人がいなかったため、目的としては人見知り過ぎて人と話せないということの克服のために行っていたというものであった。
そのため基本的に誰も見ていないときは一人でひたすら永遠に話し続けるということをやってきた。
誰も見ていないのに配信していて苦じゃないのかと聞かれたことがあったが、当然苦ではあったしもがき続けていた期間はあった。
だけどそんな苦の配信を誰が見るんだという考えに途中から至って、だったら視聴者を求めてもがくんじゃなくて、自分自身が楽しんでいるというものに視聴者がついてくれる方が絶対にいいじゃん!という考えで方向転換した。
その結果として普段はラジオ形式だったものが作業配信やVRChatでの映像を使った配信に変わり、自分としては楽しみながらできる、視聴者の方は相変わらず増えないけど興味を持った人が見に来てくれるという環境に変化した。
そもそもだがMirrativが本来スマートフォン向けの配信プラットフォームでスマホゲームを配信するのに特化しているが、PCからも配信ができるよというおまけ程度のものだった。
Mirrativの場合エモモと呼ばれるアバターがあるわけだが、決まった動きが出来る2Dキャラでしかない。
そこにPCからVRChatで自由に動いている姿が配信されているわけだから、興味が出る人は一定数いた。
そんなこんなでやってきていた配信活動だったが、1000日を達成したらあとは続くだけ続けて、止まることがあったらそこでYouTubeへの切り替え期間として無期限休止としようということで決めていた。
結局1018日を迎えたところでインフルエンザにかかってしまい、思ったより早めの配信活動休止となることになった。
それがVket2022Winterの途中だった。
※全ワールド全ブース配信しているとは基本言っているが、この時はインフルにより期間中に全ワールド配信が出来なかったため、後日ワールド公開されてから残りを回ったのだ。
それから2023年は方向性を配信からサポートへと方向を変える年となった。
Vketとのかかわり
今となってはらbyるさんってVketの時何かしらいろいろやってますよねとよくいわれているが、実はVket2023Summerまでは本当にただの参加者であった。
とくにイベントスタッフとして入ることもなく、全部のワールドを出来る限りVRChatに入れない人に届けたいという気持ちで配信をしている。
それだけしかやってこなかった。
大きく動き始めたのは自分がVRChat配信する人集会を始めた2023年9月。
そろそろ目的意識を持ってVketに挑みたいと思うようになった。
この時初めてVketのβテスターの応募をして、公認配信者の応募をして、初心者案内ツアーのスタッフの応募もした。
誰かの支えになりたいという気持ちがあるため、この選択をした。
人によっては何で公認配信者…?と思う方もいるだろうけど、βテスターはワールド制作されている方への支え、初心者案内ツアースタッフはVketに参加されている方への支え、で残された公認配信者は出展されている出展者さんへの支えになると思って応募したわけである。
本来公認配信者の目的としては外部への宣伝を内部の人間が出来ない部分を担当し、それを世に発信するというのが目的になるわけだが、人によっては偏りが出たり、抜けが出てしまうというのが仕方なくある。
だけどその抜けてしまっているブースの制作者さんだって他のブースと同じように自分の時間を割いてやっとの思いで出展しているわけである。
それを好みだけで優劣付けるというのは制作者さんに申し訳ないという思いで全ブース全ワールドを紹介するという気持ちで参加したわけだ。
結果的にVket2023Winterの耐久配信は10時間20分ということで幕を閉じたが、後々から「自分のブースを取り扱ってくれる配信者さんがいなくて、探していたところらbyるさんがやってくださっていたのでうれしかったです!ありがとうございました!」と連絡をくださる方が出てきた。
仕方がないことではあるけれど制作者さんだって自分のブースがどう見られているかというのは本当に気にしているわけだし、それに関する話題が一切ないとなると、次に出展するためのモチベーションが上がらない⇒出展を諦める⇒Vketに参加しなくなるということに繋がりかねないと思ってしまった。
だからこういう風に連絡くださるのは嬉しかったし、自分の目的が間違っていなかったんだなということが実感できた瞬間であった。
Vket初心者案内ツアーに関しては入った瞬間結構栓さんの影響の強いイベントだなwって思っていたけどいろいろと経緯を聞いて納得のいく答えであった。
本来自分みたいに挑戦したいという意味で初心者案内ツアーのスタッフの応募をするというのが一般的みたいだが、それだけでは実力がバラバラすぎるということである程度安定させる人員は必要みたいで、それが影響した結果そうなったみたいだ。
自分は栓さんから言えば釣りをしていたら呼ぶ予定だったような人が勝手にかかってきたという立ち位置だったらしく、何で君がかかった?って言われたほどだった。
とはいえ自分自身初心者案内は不定期に巡回して困っていた人がいたらやる程度の人間なので、そこまでの人員かどうかで考えると、一応スタッフ陣の中ではそこまで力はない方であるというのは今でも理解はしている。
ただこのイベントスタッフを通じて明らかにイベントのスタッフとしての力はついたとは思っている。
イベントのスタッフとは言ってもVketの期間中だけしかやらないから数回程度であり、他のイベントのスタッフを未経験のメンバーも多い。
その中で方向性を一致させ初心者の方を導いていくということで全体的なメンバーの管理能力というのは大いに勉強になった。
即売会
VketRealのブースを同人誌即売会というには少々規模が小さいので、初めての同人誌即売会はVライフN!が一番であった。
VketRealのように企業が立ち上げているイベントというのは楽しさがあったが、どうしても限界があるように感じていた。
そのためVライフN!に参加して初めて個人が運営する大規模なイベントというものに触れることとなった。
企業が立ち上げているイベントとは違い、参加している人全員が一丸となってイベントを作り上げているという協調性が大きく感じた。
この経験から間もなく出展側に回ったり運営側に回ることになるのは、この時ではまだ予想だにしていなかった。
Vketへの思い
初めての挑戦をしたVket2023Winterから半年がたったVket2024Summer。
いつもはあくまで支える側に回ることを考えていたが、一度は出展側に回ることを考えていた。
それがたまたまこのVket2024Summerでは出展の方式がガラリと変わったため、ブースを作るほどでもないなと考えていた自分自身でも出展に挑戦するいい機会になった。
そのため、Vket2024Summerでは映像出展とグループ出展の二つに応募し当選した。(ワールド出展にも応募したが、枠が少なかったため落選した)
正直作るものは大したものを作るつもりはなかったため、あまり時間はかからないだろうと思いながら挑んだ。
だけど他に依頼を受けたり、後にあるVketReal 2024Summerの方でも出展に参加することが決まっていたため、それの準備等で大幅に時間が取られることとなり、あまり時間を取ることが出来なくなってしまった。
それもあって結局投稿締め切りの前日まで作業をして入稿するというバタバタ具合で入稿し、無事ベータテストで入稿できていることを確認した時は、本当にほっとした。
でVketに関して個人的に忘れられないのがVket公認動画クリエイターとしての活動もある。
Vket2024Summerの公認配信者及び公認動画クリエイターの応募は聞いた話によると200人を超えていたらしく、その中の一人として何とか公認動画クリエイターとして当選したわけだ。
作りたいものとしてイベント等のダイジェストや、誰かに向けた支える動画を作りたいという思いの基自分は活動をしていて、Vket前日からその活動は始まっていた。
そもそもVket自体の動画というのは公式がいくらでも作っているわけであり、そこに目を向けてもあまり意味が無いという判断になった。
その結果そもそものVketに遊びに行く方法ってみんな知ってるのかなという風に考えた。
それを踏まえて前日からVRChatのアカウント登録から初心者の初めにするべき設定、Vketのワールドの行き方を示した動画を作ることになった。
結果的に再生数は多いとまではいかなかったが、自分の中でそこそこ再生されて、中ではこの動画を参考にVketのワールド行ってみました!という方まで現れたため、本当に需要はあったんだなと考えることになった。
その後も今何が視聴者として情報が必要か、HIKKYが何を情報として出したいか等を個人的にリサーチして動画を作り、合計7本の動画を期間中にアップすることが出来た。
正直これは大変だった。
普段作る動画の方針としてリサーチをして動画を作るということを一切しないタイプの動画しか作ってこなかったため、初の試みが重なっていたということである。
ただ人によってはこのタイプの動画の方が作りやすいという方もいると思うので一応補足しておくと、あくまで自分は結婚式場でダイジェスト動画を作ってきた人間のため、素材の中で出来上がっている情報を汲み取って動画にするというのが得意であるという風に説明しておくと分かりやすいであろうと思う。
ただ今回挑戦したことというのは後に自分自身の方針を変えるきっかけになるものでもあったため、やって後悔はなかった。
また、Vket2024Summerもその後のVket2024Winterもどちらもβテスター及び初心者案内ツアーのスタッフは同じくやった。
βテスターに関しては特に変わる部分はなく普段通り行うことになったが、初心者案内ツアーに関しては明らかに立ち位置が変わった。
Summerはチームに入り、チームメンバーの動きの管理、進行管理等の人事的評価を行う立ち位置になることになった。
個人的に前回初参加の人間がこの立ち位置で居ていいのかという疑問が大きかったが、まぁ頼まれた以上はやるしかないなと思いながらやった。
それが気づけばWinterでは巡回チームのリーダーをやることになり、まさかの自分が何やるの!?って思ったが、まぁやること自体はそこまで変わるわけでもなかったため、普通に動くことが出来た。
そうこうして良く動いたなと思うVketReal。
夏のVketRealは1日目が大阪会場でVRChat関西部のブースのお手伝いで、2日目が秋葉原会場でCLUSTARSのブースに入ることとなった。
出展慣れしてると思われているだろうが、即売会というのがVライフN!が最初だったということを考えてもらうとドがつくほどの初心者だということは想像できるであろう。
なのにもかかわらず出展初挑戦から2日連続でしかも別会場で別の出展という何とも言えない試みをしたわけだ。
未だに自分はよくやったなと思うほどだ。
VketReal
出展側として参加した夏だったが、冬では有志スタッフとして参加することとなった。
とある経緯で有志スタッフどうですかという話になり、参加することになった。
大阪に現在住んでいることもあって正直行けるかな?という心配があったが、有志スタッフとして参加している方々の熱量がすごく、全力でその日を空けるということで解決した。
内部的な情報は書けないため省かせてもらうが、スタッフとして全力を出させていただいた。
たぶんこの全力は他のスタッフの方々は引いていただろうと思う。
日が終わるたびに持ち歩いている低周波治療器での治療シーンが公開されているわけで、人によってはらbyるさんやり過ぎ…と心配されたレベルだ。
それはそうなんだが、イベントのスタッフをやるにあたって一応信念というものは持っていて、スタッフが楽しむことが出来ないイベントは参加者は苦痛でしかないという信念を持っている。
これはスタッフが楽しくないと思っているという気持ちは参加者に伝わってしまい、絶対に失敗してしまうという風に思っているからで、某イベント団体からの依頼に関してもあったが、事前にスタッフがこのイベントコケるなと思ってしまったら絶対にコケるから、その思いでイベントをやろうと思うなら絶対にやらないでくれといったのはその信念があるからである。
最初から人が来ないとは何が悪いかと考えた時に、イベント自体が楽しくないのはそもそもの計画が間違っていたわけで、参加者のせいにするなんてことは絶対にあってはならないし、参加者が楽しんでくれないから楽しくないイベントになったというのは責任転嫁にもほどがあると思う。
だからスタッフが全力で楽しんで、お客さんをその道に踏み入れてもらうというのがスタッフとして最低限やらないといけないという気持ちで挑んだわけだ。
結果的に自分の担当していたV決闘のブースはコミュニティステージの隣ということで、全力で声を出さないと声が負けてしまうというということで、最終日終わる前では声が死んでいた…(ステージさん音量下げて…)
ちなみに今(2024年12月30日)でも喉が若干死んでいる。
ただ何人かのフレンドから聞いた話ではコミュニティステージで声は基本的にかき消されていたけど、逆のパラクリエリア方面から聞くとらbyるさんの声は通っていたという話をいただいたので、よかったと思う。
VketRealの片づけも終わって、少しずつ解散していくという流れの際、面白かったのはVRChat関西部で部長、副部長、スタッフがそろって有志スタッフの解散を見守りつつ解散していく際に関西部パワフル過ぎないかという話が出たのが面白かった。(部長がHIKKYなのはいいとして、有志スタッフに副部長、スタッフが揃って何で入ってるんだろうね)
まぁ23時40分の夜行バスとして帰ったはずだったが、手違いで予約が取れていないという事態が実は発生していて、追加料金払って残りの席を買って帰ったというのはとりあえずスルーしておこう。
これからも
らbyるのVRChat人生はVketで始まってVketありきで実は活動している部分がある。
これまでも…これからも…。
始まったのがVketであり、案内してもらったからであり、恩返しがしたいからであり…。
よくこの話をしていると恩返しは十分に出来ているんじゃないかと聞かれることがあるんだが、自分としてはまだまだで、最低でも初心者案内をしていただいたMonowoさんに顔向けできるレベルまでは突き抜けたいと思っているのである。
Vket関連でお会いすることは何度かあったが、そういうところでではなく、普段のVRChat生活で普通にお会いして認知されているというところまでが最低ラインかと思っている。
VRChatの文化として初心者案内をしていただいた方を親として思う文化が一部ではあるようだけど、かけ離れていると思ってしまった時があってしまった以上簡単に顔向けできないと思っている。(面倒な奴…)
ただそれを感謝として間接的にサポートできるように自分はなりたいし、これからも自分のVRChat人生の軸は変わっていくことが無いということをここで明言した上で終わりにさせていただく。