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下半身の生き方の限界

僕は18歳の頃から2年間オカマバーにアルバイトとして勤めていた。別にオカマでもゲイでもないのだけど、4回だけ行った大学のために借りてしまった奨学金の返済が迫っていたからだ。「未成年が酒場で働くの違法では〜?」みたいな揚げ足で話の腰を折られたくないので、本題に入る前にオカマバーで働くまでの経緯を軽く説明しておこうと思う。

僕は東京と神奈川の境にある大学のキャンパスに入学したが、女性がほとんどいないという理由と、やりたかったロボコンがすぐにできないという理由によって大学に足が向かなくなり、すぐに中退した。中退までに大学に行った回数はたったの4回だ。

1ヶ月で100万円近いお金を無駄にしてしまった僕は、なけなしの所持金である3000円を持って近所の立ち飲み屋に特攻した。東京最後の食事になるかもしれないのだから、3000円ぐらいその日に使い切っていいだろうというヤケクソな原動力で足を前に出し続けた。情けない、3000円しか持っていないのに。

そうして立ち飲み屋に着くと酒場放浪記に出演していそうなおっさんの隣に通され、ひたすら酒をグビグビと飲み続けた。すると隣のおっさんが「いい飲みっぷりだねえ、お酒強いんだ!」と馴れ馴れしく話しかけてきた。そのおっさんこそが、僕が勤め先にしていたオカマバーのオーナー、通称まさちゃんである。まさちゃんは僕が大学を中退したこと、お金に困っていること、数年の格闘技経験により体力があることなどをひとしきりベラベラと喋らせたあと「うちの店で働いてみない?時給2000円は出すよ」と僕を誘ってきた。

まさかオカマバーなどと思わなかった僕は「やります」と即答し、飲み代を払ってもらって解散した。

次の日、19時に教えてもらった住所に着いた時、やっとそれがオカマバーだということに気がついた。我ながら間抜けである。引き返そうとも思ったけれど、帰りの交通費すら惜しかった僕は店に入り、まさちゃんを探した。まさちゃんはのんびりとカウンターの奥から顔を出し、諸々の説明をしたあとカウンターに僕を投げ込んだ。そこから2年、僕はたまちゃんという源氏名を背負わされ、オカマバーに毎日出勤することとなった。

簡単に書いたけれど、これが経緯だ。騙されたのだから違法も合法もない。時効だと思って許して欲しい。

オカマバーなどとおっさんとおばさんにしかモテない職業に2年も使ってしまったことを後悔もしたけれど、今は人生の大きな役に立っている部分も多い。今日はそんなお話を書こうと思う。

皆さんは「下半身の生き方」と言われてピンとくるだろうか。恐らく人によって色々な解釈があるけれど、僕はそれを恋愛やセックスのことをすべての優先順位の最上位に据えて生きる生き方を指す言葉だと思っている。

僕が勤めていたオカマバーでは、客もキャストもみんな24時間セックスは〜男は〜女は〜ハッテン場のおすすめ掲示板は〜というような話ばかりしていた。キラキラした未来の展望の話などなく、ただ汚れた水が濾過装置と水槽を行ったり来たりして僅かばかりの水流を作っているような、そんな行き詰まったところだったように思う。時々挟まってくる閑話は金欠で貧乏しているオカマ達の懐事情だけで、ただ同じビデオテープを毎日見せられているような感覚だった。

そんな行き詰まった掃き溜めの常連であったトモヤスのことを僕はずっと忘れられない。トモヤスは週に3回は店に来る40代のおっさんで、ずっと彼氏と別れたとか新しい男が捕まったとかそういう話をしている都内のレンタルビデオ屋の店長だった。僕らに先に会計を渡して、安心したように彼氏やいい仲の男の話を垂れ流しながら泥酔するまで酒を飲み、ふらふらの足で帰っていくまでがもう10年近くの習慣らしく、それができなければ生きていけない人だったように思う。

僕が入店して1年ぐらいしたある日、トモヤスがげっそりとした顔で店にやってきた。そして僕の顔を見るなり「たまちゃんは未来があっていいよねえ」などとらしくないことを言う。いつもなら「また振られた!今日は飲むぞ〜!」とか言って1万円札を差し出してくるのに、その日は明らかにテンションが違っていた。

「トモヤス、悩みなら聞くよ…」とジャブを出すと彼は堰を切ったように、周りの人間はみんな結婚し、家を建て、子供がいるという世間的な当たり前を達成していること、レンタルビデオ屋の店員でいることにも嫌気がさしているけれど、恋愛だけしてきた自分に転職できる力がないこと、それらに対する虚しさをただひたすら1時間以上話し続けた。

話の内容自体はありきたりなものだったけれど、彼の遠い目を見つめていると、この人は遠くないうちに死んでしまうのだろうなという確信めいた何かが僕の頭をよぎった。それから彼はさらに30分以上話し続け、最後に「たまちゃんはこんなとこで恋愛の話ばっかりしてちゃだめだよ」と言って帰っていった。

それから一度もトモヤスを見ることがないまま店を辞めてサラリーマンを始めた。毎日怒鳴られながら忙しく働いて終電の小田急線に揺られている僕にまさちゃんから一通のLINEが届いた。

「トモちゃん自殺しちゃったんだって」

あまり驚かなかった。トモヤスは遅かれ早かれ自ら死を選ぶのだと、最後に店に来た日になんとなくわかっていた。下半身の生き方に少し早めの限界がきただけなのだ。

今は下半身の生き方の全盛期だ。マッチングアプリで手軽に恋愛ができるし、恋愛が得意でなくてもピンサロや風俗、キャバクラやガールズバー、ホストや女性用風俗など街にはあらゆる性的娯楽が揃っている。目の前に簡単に手に入る快楽というニンジンをぶら下げられた状態でまっすぐ走れる馬はそう多くはないし、まっすぐ走らなかった先は自殺したトモヤスと似たような行き止まりか崖の下だ。

人間、最期まで腰を振り続けて生涯をまっとうすることはできないし、いつかは早かれ遅かれくる行き止まりに備えた生き方を見つけなくてはならない。面倒なことだ。日進月歩の医療によって人間は長く生きることに特化しすぎた。80代なんて言わずもっと早めに、できればまだ下半身だけで生きられるうちに眠るように死ねればいいのにと時々考える。トモヤスもきっとそんな気持ちで繁華街のビルから飛び降りたのだろう。

もしTwitterの更新もこうして文章を書いて後悔することもなくなったら、あいつも孤独と虚しさで死んだんだなあと思ってほしい。僕の不幸で誰かが踊る時、僕は自分の身に降りかかる不幸をやっと人生として飲み込める。

最近厄介な持病が再発してしまった。すぐに死にはしないだろうけれど、これからどう生きようかなあ。

甘いもの食べさせてもらってます!