『1999年のサーフトリップ』第13章_3
「海部川河口」は生見から国道を徳島方面にしばらく走ってから川沿いを右へ曲がり、少し入ったところにあった。ポイントの隣に小さな漁港があった。たぶんあれは網を干すための場所だと思うんだけど、サーファーたちはそこに車を止めてるようだった。海部も大きな石がゴロゴロしてる殺風景な場所だった。河口ってあんな感じなんやろうね。俺たちが海部に行った時は波もあまりなかったから海に入ってるのはほんの2、3人だった。夕方の3時くらいだった。俺も入った。すぐに上がった。天下の海部といっても何の感慨も無かった。
メモハブは海に入ると3時間は上がってこない。海から上がった俺は一人で晩飯の支度をしてた。その日のメニューはカレー。飯炊いてカレー似込んで一通り調理終わってから車に戻ってまたなんかしようとしたんだろうな。ボンネットに置いてたガラス瓶が下に落ちて粉々になった。瓶の中には釣りの餌用にそこいらで集めたゴカイとか貝が入ってた。そんなのボンネットに置いとくなよ、とは我ながら思った。サーファーが裸足で歩き回るところにガラス破片が散らばってたら危ないからさ、まあそれで一所懸命破片を拾ってたんだよ。這いつくばって車の下とかもちゃんと見てさ。手が届かない場所にあるやつはわざわざ車動かしたりして。そしたら女の子が声掛けてきた。
「こんにちは。手伝いましょうか?」って。
その女の子がいるのは気づいてた。俺たちの横に車停めて、車にサーフボード積んでるからサーファーに違いない。だけど、海には入らずにテトラポッドにずっと坐ってた。そこからだと海が良く見渡せた。何時間もずっとそうやって海を見てた。ずっと。二人でガラス拾ってたらメモハブが漸く上がってきた。「なんしよん?」と訊くので、かくかくしかじかでこうこうこうで彼女が手伝ってくれてると説明した。それで、「じゃあ不味いカレーでも一緒に」ということになった。
彼女の名前は「カズコ」。苗字も言ってたけど忘れた。出身は大阪。徳島に移住して4年。サーフィンを始めたきっかけは友達の彼氏。カズコがオーストラリア旅行した時にサーフブランドのTシャツを友達のサーファーの彼氏に買ってきて上げた。お礼にサーファーのその男がカズコをサーフィンに連れて行ってくれた。たった一度でハマった。どんなにショボい波でも、雪の降る凍える寒さでも楽しかった。ワイプアウトして洗濯機の中で回るように波に巻かれることすら楽しかった。海外にだって一人でサーフトリップへ出掛けた。インドネシア、ハワイ。男でもよほど腕に自信無いとシーズンのノースショアにひとりで出かけて行って海に入ったりしない。というか入れない。メモハブも感心しながらカズコの話を聴いていた。それで、1995年の1月17日がやってきた。地震で職場の建物が崩壊した。知り合いも死んだ。その時カズコは思った。
「一瞬でこんな有様になるんなら好きなことして生きよう」
1995年というのはその他にもオウム真理教の地下鉄サリン事件なんかもあった。なんだか不穏な年だった。何かが変わって行くような、それも悪く変わって行くような、そんな年だった。カズコは会社を辞めて、サーフボードと車に詰めるだけの荷物を積んで徳島にやってきた。とりあえず決まっているのはサーフィンすることだけだった。生見の近くの民宿の駐車場に車停めてその中で生活してた。昼間はサーフィンして夜は車で寝る。民宿の人にしてみりゃ迷惑な話だよ。ある日見兼ねた民宿の主人がカズコに言った。
「うちで使ってやるからそんなとこで寝泊まりするのは止めろ」
カズコはその民宿で住込みで働くことになった。普通なら主の親切に報いるべく粉骨砕身働きます、ってなるところやけど、カズコはそんなのじゃなかった。相変わらずのサーフィン三昧で、必要以上の仕事は一切しなかった。ある日の夕暮れ、サーフィンしていた時民宿の親父が海へ向かってサーチライトを照らした。カズコは親父が彼女がサーフィンしやすいよう灯をくれたのだと思ったが、それは「早く海から上がって仕事しろ!」というメッセージだった。ほどなくしてカズコは民宿を首になった。
「俺お前使いにくい」と最後に民宿の主はカズコに言った。
それから幾つか職を転々とし、家も転々と変わって、その時は農家の離れを借りていると言ってた。そこいらは田舎だが家賃はそれほど安くないのだと言っていた。カズコが最初に肩の靭帯を切ったのがいつのことだったのかわからない。しばらくは大人しくしているよう医者に言われた。しばらくは大人しくしていた。しばらくするとまたサーフィンを始めた。それでまた同じ場所を断絶した。今度はちゃんと治さないと本当にサーフィンはできなくなる。俺たちが海部でカズコに会ったのはそんなタイミングだった。サーフィンはできない。しかしカズコは海へ毎日やってきた。
「海部と仁淀でサーフィンしたからには、コウジさん絶対サーフィン続けて下さいね」とカズコは俺に言った。握手して別れた。
どうでもいいことだけど、カズコと話すきっかけになったガラス瓶。砕けた破片を一緒に集めたガラス瓶を俺はまたぞろボンネットに置いてたみたいでさ、カズコが帰ってから車を動かした時それが漫画みたいに再び下に落ちて砕けた。メモハブも呆れてたけど、俺も呆れた。