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『1999年のサーフトリップ』第5章

<オーバー・ザ・レインボー>
 
 それは平成最後の年の冬に起った。井戸の中から髪の長い女の子が現れたという話ではなかったが、同じように奇妙な話だった。
 
 山口県長門市に「二位ノ浜」という北向きのビーチがある。五百メートルほどの幅の白砂のビーチだ。壇ノ浦の戦いの時、孫の安徳天皇を抱いて海に身を投げた 二位尼のドザエもんがここに打ち上がったことからその名が付いた。長門市の観光案内によると 日本屈指の水質を誇る海水浴場である。事実とても美しい海で、水の中で目を開けると ワカメの間を泳ぐカサゴが見える。ゴーグルなんて要らない。しかし、サーファーたちが二位ノ浜を好むのは別に水がきれいだからではなかった。
 
 二位ノ浜のビーチブレイクはサイコーだ、とキャプテン・メモハブは言う。
「なんてったって表情が豊かだよ。色々な波を見せてくれる。実際 表情が豊か過ぎて、二位ノ浜は女の顔に見えるからイヤだって言って二度と来なかった奴もいたくらいだよ。ほとんど「ヤバい」と「波乗りサイコ~」としか言わない面白い奴なんだけどさ。ラリッてたのかもね。まあ、北向きのポイントはあそこだけじゃないしね」
 もう一つの理由は人が少ないこと。
 二位ノ浜へ行くには急斜面をグルグルと登り、そしてまたグルグルと下らなければならない。下った先にポツネンと二位ノ浜はある。そこは、いくら美しい場所だったとしても、いや、美しいからこそ、とても 来るものを歓迎しているようには見えなかった。だから 海水浴シーズンが終わると サーファーか 散歩を兼ねてアオサを採る地元の人くらいしか姿を見せない。
 二位ノ浜へと続く坂道はあまりにも急なので、いつも金の無いサーファーたちのポンコツ車は 時としてその急斜面を登れないことだってある。あるサーファーの車は、果たして 坂の中腹で停まってそれ以上は断固として登攀を拒否した。一計を案じた男は、車をバックギアに入れ、180度回転させて無理矢理その坂をメイクした。
「その日は そこまでして行くほどの波じゃなかったけどね」とキャプテン・メモハブは言う。「だけどさ、そんなバカげた車ごとソウルフルなそいつも、そんなご機嫌なエピソードを生みだす二位ノ浜も俺はどうしても好きやね」
 
 俺が思うに、二位ノ浜が女の顔に見えたとしても、「綾瀬はるか」の顔ではないはずだった。「原節子」とか「梶芽衣子」とか、機嫌がいい時なら「岩下志麻」にも見えるかもしれない。
 
 さて、その日、その二位ノ浜に虹が出たんだそうだ。
「とんでもない」虹が出たんだそうだ。
 
 海に居たのはキャプテン・メモハブと仲間のAとBの三人だけだった。波はたいしたことなかった。三人で仲良く波を分け合いながらサーフィンをしていた。一時間ほど経った時 ふと空を見上げると、今まで見たことないような強烈な色彩の虹が立ち上がり始めた。最初は一部だけ、それからあっという間に水平線上に完全な半円が大きく大きく現れた。特に 左端の袂の色は あり得ないほど濃い。虹自身が発光しているように見えた。まるでネオンサインのようだった。
 
「あ”~!!!!!!」「なんじゃこれ~!!!!!????」「うっわあ!!!!まっじで!!!!なっにこれっ!!!!」
 
 ほとんど言葉にならない叫びを十度ほど発したメモハブは、同じように口をあんぐり開けて驚いている他の二人を海に残し、虹をカメラに収めるべく 時速50キロのパドルで岸まで戻り、車に走った。急いでiPhone6 を取り出し、興奮状態のまま先ず写真数枚を撮り、さらに動画を回した。その後 キャプテン・メモハブはその自らの行為を深く深く後悔することになるのだが、この時点ではまだそれを知る由も無い。
 残念ながら、写真を撮影した時すでに虹の強烈な光はいくらか失われていた。それは、もうただの「すごくきれいな」虹に過ぎなかった。しかしまあそれはいい。仕方ない。人生そんなものだ、とキャプテン・メモハブは思った。その後 事件は起こったのである。
 すっかり体も冷えて寒くなったキャプテン・メモハブは服に着替えて車から二人のサーフィンを見ていた。十分ほどしてBが上がってきた。表情がなんだか固い。Bは先ずキャプテン・メモハブに、虹の写真が撮れたかどうかを訊いた。虹は撮れたけど海で見た異常に強い光には間に合わず撮影できなかったと伝えると、Bは、
 
「虹はいいけど、なんか他の物写ってなかった?」と言うのである。
 
 なんのことやら理解し兼ねているキャプテン・メモハブにBは、珍しく真剣な表情でこのようなことを言った。
 
 メモハブが海から上がってから一分経ったぐらいだろうか、強力な光を放つ虹の袂から無数の飛行物体が次々に現れたそうだ。 最初にそれに気づいたのはAだった。AはすぐにそのことをBに伝えたが、その時点では近眼のBの目には何も見えなかった。Aによると、虹から出てきた物体はそれぞれ五十機ほどの二つのグループに分かれ、合計百機の大編隊になった。Aはあまりにも異様な光景を信じられない気持でただただ茫然と見つめた。やがてそれは、近眼のBにもわかるほどの規模になった。最初は鳥なのかなとも思ったそうだ。しかしほどなく、スピードと大きさから鳥というのはあり得ないという結論に二人は至った。距離感から想像すると、大きさは 小さい物で自動車ぐらい。大きいもので百メートルといったところだ、とBは言う。色はと言えば、夜空に光る星の中で一番大きい星をもっと大きくしたようなイメージとも、太陽の光のような、黄色をどんどん明るく眩しくしたような感じだとも言っていた。
 もうお分かりだろう。AとBはUFOを目撃したのだ。少なくとも二人はそう思った。A曰く、UFOは時々形を変えているように見えた。大きくなったり小さくなったりもしていた。水平方向にすうっと高速で数キロぐらい移動した物もあるし、上下動、左右の動きなどそれぞれの一機ずつの個体が別々の動きをしていた。山の彼方へ消えて行くように見えたり、戻ってきたように見えたりした。海から上がった時に「無事でよかった・・・」と感じたらしいが、恐怖感はそれほどなかったと二人は言う。距離が数キロぐらいは離れてる感じだったし、自分たちに向かって来るような印象は無かったからだということだった。
 冗談を言いながらも動揺していたBが、車に戻って眼鏡をかけ、もっとはっきり見ようとキャプテン・メモハブのところまで来た時にはそれはもう跡形も無くなっていた。さらに五分後、続いて上がってきたAと共に、随分光が弱くなったものの、まだ空に残っている虹を三人で穴の開くほど凝視したが、そこにはただ美しい虹があるだけだった。
 キャプテン・メモハブはその場でさらに二人にインタビューを試みた。二人ともメモハブのしつこい質問にいちいち真剣に答えてくれた。いつも人のことを茶化したりふざけたりしている いい加減キャラのBもこの時ばかりは終始 硬い不安気な表情のままだった。いつもニコニコなAも険しい顔に、「まんまる」と大きく目を見開いた驚愕の表情を貼り付けたままだった。それは、事態がどれだけ常軌を逸したものだったかを物語っていた。全く関係は無いとは思うが、Aはその夜インフルエンザを発症して寝込んでしまった。
 
 以上がその日二位ノ浜で起こった出来事である。
 
 この後キャプテン・メモハブは何人かの人々にこの出来事を話し、彼らの見解を訊いた上でいくつか自分なりの意見を俺にも述べたが、もちろん結論には達していない。その日の夜すぐにネット上でありとあらゆるUFO目撃談かそれに類する話がアップされていないか調べても、「長門市どころか、全国レベルでもその日にその手の目撃談は無かった」ということだった。
 俺は思うのだが、それはUFOの話であり、UFOの話では無かったのではないだろうか。その晩キャプテン・メモハブがUFOの話じゃない方の話をググっていたなら、あるいはなんらかの答えがiphone6に引っかかったんじゃないのか。いつか観た映画のように老人ホームの年寄りがブレイクダンスを踊り出した、とか。「クララが立った」とか。仲の悪い夫婦が突然分かり合えたとか。そんな奇跡がその日起こっていたのかもしれない、なんて思うのである。仮にキャプテン・メモハブと三人の仲間たちが西暦元年のベツレヘムの羊飼いサーファーズだったとしたら、彼らはその日世界を救う救世主サーファーが誕生したことを知ったんじゃなかったのかと、そうも思うのである。それは「UFO」や「飛行物体」と同時に「奇跡」なんていうハッシュタグでググられるべき出来事じゃなかったのか。「始まり」?それとも「多様性」?このような変梃な出来事を保存する方法を発明する必要がある。映像や言葉ではなくそのエネルギーを保存するのだ。エネルギーの保存ができたとしてもそれを理解できるとは限らないけれど。
 その二十年前の1999年に俺がキャプテン・メモハブや数人のサーファー仲間と初めて二位ノ浜へ行った時、確かそこはまだトイレといい加減な駐車場があるきりのやる気のない海水浴場だった。昼下がり、サーファーたちは他愛ない会話を交わし、儀式のようにボードにワックスをゴリゴリと塗る。俺には意味の分からない言葉で話しながら海を何度か指さした。何やら複雑な握手をした後黒づくめの男たちは海へ散らばって行った。連中はなかなか戻って来なかった。ダットサン720に残された俺は暇つぶしに持って行った本を読んでしまうと小便くらいしかすることがなくなった。海とサーファーを見ているしかなかった。波と風の音、鳥の鳴き声だけが聴こえた。初夏のビーチが暮れなずむ頃に連中はやっと海から上がってきた。かるく五時間は経っていた。そんなに長い時間海を見ていたのは初めてだった。ほとんど半日間飲まず食わずで波に揉まれたあげく、
 
「ショルダーはってぶあついリップがおちてきたとこにエグいかくどでテールぶちぬいた。かえしのはやさはヤバかったけどノーズがささってヤられた!アウトのなみはトリプルぐらいあってドロップがおもろいけどひらきぎみでタルくなってカットバックでつないだらミドルのサンドバーからホれてリップなんぱつでもイケるし、インサイドのセクションはいきなりダブルアップしてあさくてすなまきあげてすげ~あぶないけどバレルがねらえる」
 
などと呪文のような言葉を際限なく繰り出す黒づくめの男たちは、遥か宇宙と交信中の地球防衛隊のように見えなくもなかった。その日のことを思い出すと、二位ノ浜は確かに女の顔をしていたような気もするし、そうでもないような気もするのである。
 
 ところでUFOなら俺も見たことがある。海辺の町の高校生だった。家をこっそり抜け出して、今では父親のコネで入った何処か大きな会社で偉くなっているはずの友人と真新しい埋立地の堤防で夜釣りをしていた時のことだった。奇妙な光が二つ、水平線の彼方で上下左右に踊るのが見えた。
「あれは何だ?UFOじゃないのか?」と俺は友達に何度か言ったがそいつには見えていないようだった。俺は光をずっと見ていた。なんだか一度も生まれてこなかったような儚い気分になった。そのまま夜は更けていった。ハゼが三匹釣れた。
 何年も経ってから東京で偶然会った時、ルノアールでコーヒーを啜りながらいきなりいつかのUFOの話をそいつが始めたので俺はかなり面食らった。実はあの時自分もUFOを見たのだとそいつは言うのである。なぜ今更そんなことを言い出すのか?なぜあの時嘘をついたのか?俺には宇宙的に意味が分らなかった。奴の顔が次第に友達でもなんでもない他の連中と区別がつかないほど平凡に見えてきたので言ってやった。
「本当はお前が宇宙人なんじゃないのか?」
 もちろん奴はこう言ったのだった。

「そりゃあ俺は宇宙人だよ」


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