
『1999年のサーフトリップ』第13章_4
2005年に俺は佐賀県の山の中で木を倒したり藪を払ったりする仕事にありついた。山合に月1万円で空家を借りた。そこらはぬるい温泉の湧く土地で、住民なら源泉掛け流しの共同浴場に50円で入れた。友達も家族もいない淋しい暮らしだったが快適だった。林業作業員の休日は日曜日だけだった。雨の日は作業ができないから1年を通じると勤務日数はだいたい週休2日の仕事と変わらなかった。日曜か雨の日に波があれば山を降りて海へ行った。波がなければ海とは反対方向へ山を降りて市の大きな図書館へ行った。仕事は極めてきつかったがすぐに慣れた。仲間とは上手くやっていた。まあ、だいたいは。山の人々は大半はお百姓で、彼らは素朴な働き者であり、同時に抜け目無い怠け者でもあった。同じ苗字の人間が多いので互いを下の名前で呼んだ。仲間の口は女の話か金か食べ物か陰口しか話さなかった。根が真面目な俺は時には面白くそれを聞いたし、時には言い争いをした。くだらない連中だと思った。だけど彼らは、言いたい放題言うよそ者の俺を苛めたり仲間外れにしたりしなかった。今思うと優しい人たちだった。山の仕事は4、5人の班単位で動いた。俺の班長は三十そこそこの地元農家の次男坊だった。どちらかと言えば湿っぽい連中が多い田舎の山で、この若い班長は珍しいカラッとした軽妙さを持ち合わせていた。誰も指摘しないのをいい事に実にしばしば言い間違いをした。「スムーズ」が「スムズム」、「ヒートテック」が「ヒーテック」、他にも面白い言い間違いがたくさんあったが忘れてしまった。休憩時間に木っ端をチェーンソーで一物の形に仕上げてはヘラヘラ笑った。そんな風だからベテランたちは彼をバカだと思っていたが、しばらく一緒にいるとこの男がただのバカじゃない事が分かった。一度聞いたことは忘れず、複雑な山の攻め方もすぐに把握した。説明も上手かった。動物や人の物真似が得意だった。平地人が忘れた山の中で凍結保存された昔ながらの本物の佐賀弁を面白半分に敢えて使った。山の台風災害の危険な倒木処理に駆り出された時に一番活躍したのもこの男だった。愚かさと高い知能が一人の人間の中で仲良く共存できるという事実をこの班長に会って俺は初めて知った。貴重な若手だったがどこの班に入れても上の人間といざこざを起こすので一匹狼のような存在になっていたこの経験も腕もある人望だけがない男に都会から流れてきた素人を任せた理由は明白だった。組合はすぐに音を上げて辞めるかもしれない風来坊をまともに育てようとは端から思っていなかった。しかし俺はその頃大抵の事なら人並にできるようになる自信があった。並外れてできる自信はなかった。別に並外れる必要なんてないじゃないか、芸術家じゃないんだから。だってお前らができるんだろ?それが俺の根拠だった。俺は体力があり健康でまだ頭が少しおかしかった。