中高六年間一貫男子校の弊害をじっくり考える。
男子校に通う人は少なくはない。芸能人だとバカリズムやオードリー若林など。ただ中高一貫となるとまあ数は限られてくるだろう。実際に中高一貫男子校に通った側からすれば、その世界しか知らないので一般的な共学中高生活は想像がつかない。自分では男子校で良かったと思っている。
ところが、大学に入ると確実に違和感を感じた。
その違和感の正体を自分なりに探り続け、だいたい絞れてきたのである。
・簡単に失われかねない、己の立場
中高時代、何かをやらかして友達からハブられるとか、そういう風潮はあまりなかったように思う。一時的に喧嘩しても、悪口を言っても、それで根本的に拒絶するということはあまりなかった。(物をいくつも盗んだ犯人はさすがに避けられていた)これは自分だけでなく、周りもわりとそうであったように思う。
例えば文化祭とか、みんなが好き勝手やってて、それぞれのことに対して興味を持ってた。誰も文句言わんし。(俺は地歴研究部の鉄道模型の凄さに感動した覚えがある)
ところが、大学に入るとそうはいかないようだ。まあ年を考えれば当然なのかもしれないが、明らかに周りとの立ち位置や振る舞いに緊張感を感じる。それも女子がいれば当たり前なのか。一番顕著に感じたのは、酒でやらかした男子がめちゃくちゃハブられそうになってた時。まあやらかすのが悪いんですが、そこまでか?と個人的には思った。めちゃくちゃ仲良いもの同士以外は、大学生は全体的に付き合い方がキナ臭い感じがする。功利主義というか。
・人と違うことをしないと評価されない男子校的価値観
男子校は有象無象のキャラクターの集まりなので、その個性に気を抜けば簡単に埋もれ窒息してしまう。どういう環境で育てばそんな風になんねんみたいな人間しかいない。だからこそ面白い。理解不能変人の巣窟。(中高時代自分は一番まともやと思っていたけど、周りが圧倒的すぎただけやった。)
しかし、大学でその価値観を貫きすぎると浮く。友達ができない。俺の中高の友達もあまり大学に友達がいない。俺もそんなにいない。そもそも六年間過ごしたヤツらがいたら友達のハードルは上がる。彼らとはいるだけで面白さが確約されるので、友達というものはそういう存在だと擦り込まれる。大学で直面する上辺だけの会話に絶句。もちろん、大学が悪いというわけではない。ただ母数が多すぎるので、新歓期などにそういったキショいサークルのすり寄り方があるのは間違いない。
・男女グループという集まりに対する免疫の無さ
まあこれはもうどうしようもねえ。無かったんやから。部活ですらマネージャーが男子のこの状況、こなれてる方が数少ないのは当たり前。なんかそういう集まりにいるとこっぱずかしくなって、結局一人隅の方に行きたくなる。これももちろん、周りが悪いわけでは全くない。ようはめんどくさい人間になるのだ。
結論
男子校は最低で最高です。しかし卒業生その後を見ていれば、娑婆の世界に馴染めないものも多い。諸刃の剣のようなものです。
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