私という生き物
私は自分のことを生き物だと思っています。
しかし、あまり人間だとは思えていません。
皮膚の色を疑い、血の色を疑いながら、自分の本質とは何なのかを探っています。
そのようなこと、表ではいえないのです。
あまり、人が見たいものではないようなので。
一応自分を売る仕事を目指しているので、人様のための自分でいるために、この部分はいささか厄介な扱いをされがちです。
でも、私はなぜか、人が見えるところで書き綴りたいのです。
承認欲求からではありません。
人を知りたいし、人に知られたい。愛されなくてもいいから、知られたいのだと思います。
でも、あまり自分が存在していることを受け付けれられないので、知られることで、認められた気分になりたいというなら、やはり承認欲求なのかもしれません。
言語を生むのが好きで、Twitterなどは永遠に更新できます。脈絡のないものばかり。
発信したいものではなく、発散したいものなのだろうと思っています。
真っ白なノート、ルーズリーフ、摩擦から生まれる小さな小さな欠片、灰色、有機物、壊れそうな脳みそ、発達していく心、触覚、失われる視覚、盲目的であるよりは、すべてを取り込みたい、光も影も、空間も、なにもかも。
死んでしまいたい。
でも、生命活動を終了したいというよりは、社会に自分がいるということが、気持ち悪い。こびりついてる邪魔者≒自分という気持ちになる。
私は私のエゴで生きています。やりたいこともあるし、知りたいこともあるから。
ごめんなさい、
また会いたいです。