「『反逆の神話』の誤謬」補遺。
ヒースは『反逆の神話』と『啓蒙思想2.0』という名著を上梓している。だが、残る一般書である『資本主義が嫌いな人のための経済学』は推奨できない。
経済学の入門書だが、初歩的すぎ、内容が乏しい。
しかも、多少とも専門化すると誤りを犯す。
わざわざ誤謬を指摘するほどの価値がない。「『反逆の神話』の誤謬」の補遺として付記する。
"存在しない西洋の消費者向けのコーヒー豆栽培に使われた土地と労働力は、本当に必要とされているもの、例えば食糧(、、)の生産に使うこともできたのだ。それは重要なことなので忘れずにいたい"(p.195)。
この節でヒースは混乱している。
本書の第5章は比較優位による国際貿易の擁護だ。
本節を収める第7章「公正価格という誤謬」は均衡価格の擁護だ。
ヒースが混乱しているのは、価格規制の批判という目的をあらかじめ定めているからだ。
フェアトレードは価格規制ではない。そのため、フェアトレードを価格規制だと仮定し、価格規制を経済学的に批判し、そのあとフェアトレードが価格規制でないことを道徳的に批判するという、意味不明の論理展開をしている。
巻末で倫理的消費を擁護しているため、この道徳的な批判はなおさら支離滅裂だ。
"本当に必要とされているもの、例えば食糧(、、)の生産に使うこともできたのだ"と書きながら、エピローグであらためて比較優位を賞讃する。
ヒースが"フェアトレード信者"といって嘲笑うのは、世銀副総裁を務め、長年、経済開発に携わったジョセフ・スティグリッツとアンドリュー・チャールトン(『フェアトレード』)だ(p.193)。
企業の公営は"公有ならば確実に公益に資することが可能だと考えられたからだ"ではなく、自然独占と外部性のためだ(平均費用(AC=C[v](x)/x+F/x)につき、費用関数が劣加法的な場合(C(x)>nC(x/n))、規模の経済と範囲の経済により、独占市場のほうが総余剰が大きい)。
そのため、この段落から始まる節そのものが無意味だ。
本節を収める第11章「富の共有」は行動経済学よる再分配の批判だ。
章全体でヒースは混乱している。
そもそも、前提となる経済学の初歩と厚生経済学を理解していないためだ。
効用関数は各自で独立でなければ、パレート効率性を考える意味がない。
そして、限界効用の逓減が成立していなければならない。でなければ、効用可能曲線が原点に対して凹、すなわち傾きが負にならない(効用(U^[A](x[A],y[A]))、限界効用(α[A]=dv^[A]/dM[A])につき、dU[B]/dU[A]=-α[B]/α[A])。
このため、所得が低いほど消費性向が高い。
そもそも、一般に限界代替率は以下の前提をおく。1. 凸性((f(x)+f(y))/2>f((x+y)/2)) 2. 単調性(x>yかつx'>y'ならば(x,x')>(y,y')) 3. 解の一意性 4. x=0につき無限に発散、y=0につき0に収束すること。
消費性向が高いとは、貯蓄より消費の効用が大きい、すなわち、異時期間で現在に近いほうが効用が大きいということだ。
よって、一般的に再分配はパレート効率性を改善する。
行動経済学でパレート効率性が問題になるのは、ある効用関数について、ある財を消費する時期が変わることで、総効用が変わる場合だ。
ヒースが言う、同一時期での財の移転は、行動経済学にまったく関係がない。
ヒースが意味不明にも行動経済学を引用しているのは、そもそも、前提となる経済学の初歩を理解していないためだ。
そもそも、限界消費性向、時間割引関数を理解していない(最適消費・貯蓄(max[C1,C2,S] U(C1)+βU(C2) s.t. C1+S=Y1 C2=Y2+(1+r)S 今期消費C1 来期消費C2 貯蓄S 今期所得Y1 来期所得Y2 割引率β))。
そのため、ヒースは珍妙にも消費と貯蓄は同等だと言う。そして、なぜか、専門家である"かなりの高級紙に寄稿している解説者"より、独学者の自分のほうが経済学を理解しているという前提を改めない。
本書でヒースが引用する行動経済学の分野は、時間割引関数に関するものだ。そのため、ヒースは行動経済学も理解していない。
また、ヒースは厚生経済学も理解していない。
厚生経済学の第1、第2基本定理の証明は単純だ。
そして、第2基本定理の証明は、消費選好の凸性と単調性、生産関数の凹性の仮定を必要とする。
そのため、"第二基本定理の証明はやや複雑だが"と言うヒースは、そもそも証明を理解していなく、"複雑"と言って不理解を粉飾している。
経済学で効用関数は所与だ。
効用関数に道徳的な視点から非難を加えるなら、すでに経済学ではない。
そのため、"本書では、経済的な疑問について考えるときに起こる、ごく抽象的な概念上の誤りに重点をおいた。だが、これが日常の政治や政治的イデオロギーのレベルにまで浸透していることは、たやすく見てとれるだろう。"(pp.339-40)という、本書が目的とする科学の価値中立性について、誤りを犯す。
なお、パターナリズムという結論そのものには完全に賛同する。
経済学では誤りだということだ。
正規教育は受けるべきだ。
微積分ができない人間は経済学の入門書を著すべきではない。
"簡単なモデルにもとづく、ごく基本的な主張"(p.21)に依存すべきではない。