【引用】鴨崎暖炉『密室偏愛時代の殺人』のアツいアジテーション

 すでにシリーズ第1作『密室黄金時代の殺人』で、

"「推理作家は口が裂けても、『新しい密室トリックは存在しない』なんて言ってはならない。だってそれは自らの仕事を否定することになるのだから。嘘でもいいから虚勢を張るの。そうすればいつかその嘘から、真実が零れる日が来るかもしれない」"(p.355)

"「だって誰が犯人かなんて、密室の謎に比べたら遥かにどうでもいいことでしょう? だから私はあなたに犯人の正体を教えるの。本当に密室の謎を解きたいのなら、密室以外のことにかかずらっている時間なんてない。すべてを密室に捧げなさい。じゃないと、解けないわよ」"(pp.343-4)

 と、アツいアジテーションをしていた作者ですが、シリーズ第3作でさらにアツいアジテーションをしています。

 しかも、展開もアツいです。巻を追うごとに密室殺人が1件増えるので、テンポが高まるのは当然ですが、それにしてもアツいです。
 公式のあらすじでは省略されていますが、序盤の展開は以下のとおりです。

巨大な鍾乳洞内部につくられた、白い直方体の建物が並ぶ奇妙な集落・八つ箱村。
祭りの最中に作家一族の三つ子姉妹の娘が頭を撃たれ、村を出ようとした青年の体が突然発火し焼死体となったのを端緒とし、連続密室殺人事件の幕が切って落とされた。
事件の背後にはかつて村で死んだ昭和密室八傑の呪いが!?
さらに村に架かる橋が落とされ、東西が分断されてしまう。たまたま村を訪れていた高校生の葛城香澄と、幼なじみの朝比奈夜月も離ればなれに。東西の集落では三つ子姉妹が被害者となる密室殺人が同時発生。香澄と夜月はそれぞれ名探偵を見つけ、謎を解かせるが、仕掛けはどちらも双子トリックで――!?

 以下、引用です。

" 船頭多くして船山に登るとはよく言うが、この企画に関してはその例は当てはまらない。何故なら八人の天才作家が、それぞれ自身が最高だと思う密室トリックを一つずつ持ち寄るのだ。つまり最高の密室トリックが八つ入った小説になる。そして、その時点で話の質は関係なくなる。何故なら最高のトリックが八つも入っている時点で、仮にストーリーがどんなに稚拙だったとしても、それは最高の本格ミステリーになるからだ。(p.50)"

最高。


" もっとも今やベストセラー作家の彼ではあるが、三年前までは本当にうだつの上がらない、ただの社会派ミステリー作家だった。彼はデビュー以来ずっと密室殺人と社会派ミステリーの融合を試みていたが、知っての通り密室と社会派ミステリーは相性が最悪だ。何故なら密室というものはミステリーにおけるフィクション性の象徴で、対する社会派ミステリーはリアリティーの権化なのだから。二つ合わさると電子と陽電子の対消滅のように互いの良さを消し去ってしまう。つまりは社会派ミステリーの中に密室を登場させてしまうと、それだけで物語のリアリティーラインが下がり、同時に社会派ミステリーとしての評価も下がってしまうということだ。だから密室と社会派の融合を試みた物柿涼一郎は、志こそは立派だったが、実際には空回りしていて世間の視線も冷たかった。でも三年前に起きたとある大事件によって、涼一郎の立場はそれこそ百八十度変わることになる。
 その大事件とはもちろん、三年前に起きた日本で最初の密室殺人事件――、もっと言えばその事件に対する東京地裁の無罪判決だ。その判例によってこの国では密室殺人が起きるのが当たり前になり、同時に密室殺人におけるフィクション性は失われた。つまり、密室殺人が起きることこそがリアルとなった。そして同時に密室は大きな社会問題となり、それを小説という形で取り上げ、社会に問う需要が生れたのだ。いや、需要ではなく、それは義務であるのかもしれない。日本を揺るがす深刻な社会問題である以上、社会派ミステリー作家たちは『密室』というものをテーマに作品を書き、それを世に問う必然性が生れたのだ。だが、ここで唯一にして最大の問題が立ちふさがる。それはもちろん社会派ミステリー作家には、新規の密室トリックなど思いつかないということだ。密室を解くことができないからこそ犯人が無罪になるというのに、作中の密室が簡単に解かれてしまえば、そこにリアリティーは生れない。つまりとても皮肉なことに、今までリアリティーを武器に戦ってきた社会派ミステリー作家こそが、『密室』というテーマを扱った瞬間、逆にリアリティーの欠片もない駄作を書いてしまうということだ。それは完全に密室ミステリーと社会派ミステリーの立場が逆転したことを意味していて、その構造の歪な変化にいち早く気づいたのが物柿涼一郎だったのだ。"(pp.135-6)

拍手喝采。


 密室トリックもアツいです。「昭和の伝説の推理作家が遺した密室トリック」という前口上で、納得がいくか疑問に思うでしょうが、心配無用です。横溝正史の巧緻、江戸川乱歩の猟奇のあとで、偉大なるバカトリックが展開されます。

 シリーズ第3作で急に蜜村がポニーテールにすると覚醒することになったり(『バック・トゥ・ザ・フューチャー2』で急にマーティが「チキン」と呼ばれるとキレることになったみたいに)、前作で思わせぶりに登場した「密室全覧」が完全に無かったことになっていたり(『エイリアン2』で前作のユタニ社が悪の企業だという設定が完全に無かったことになっていたみたいに)するのも最高です。

 そして、犯人当て(フーダニット)の推理でなされる宣言もアツいです。
 蜜村は犯人当ての推理を2つの方法に分類します。「犯人しかそうする必然性がなかった」と「犯人しかそうできる可能性がなかった」です。そして、「操り」問題のために、確実な犯人当ての推理は後者を根拠にしなければなりません。ですが、じつは「犯人しかそうできる可能性がなかった」はつねに物理トリックによって否定され得ます。
 つまり、つねにトリックはロジックより強いのです。

 『密室偏愛時代の殺人』は、つねにトリックはロジックより強いということ、そして、つねにB級はA級のアートより強いということを示す快作です。

・追記(ネタバレあり)

 双子トリックの競合が明かされたときに、「じつは四つ子だった」というカスの双子トリックを疑っていました。すみません…
 なにせ、『密室狂乱時代の殺人』のカスの図と地の逆転のトリックが強烈すぎたので… ですが、『密室狂乱時代の殺人』のカスの図と地の逆転のトリックは最高です。
 トリックではありませんが、本作のカスの登場人物表も最高です。


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