世界はグラデーションでできている
最近、他者との境界について考えている。
感受性のグラデーション
”サイコパス”がバズワード化しているが、サイコパスがあるならその逆もあるはずで、実際に”HSP(Highly Sensitive Person)”とよばれる人たちがいる。俗に言うエンパスである。
極端に感受性が豊かな人がHSPであり、サイコパスはその逆の極端に感受性が乏しい人たちにあたる(と僕は解釈している)。
HSPの子を持つkokokakuさんの記事によれば(子供の場合はChildでHSCとよばれる)、特徴は大きく以下の10個があげられるらしい。
HSC・HSP(Highly Sensitive Person)の特徴
①すぐにびっくりするなど、刺激に対して敏感である。細かいことに気がつく。些細な刺激や情報でも感知して深く処理する。
②過剰に刺激を受けやすく、それに圧倒されると、ふだんの力を発揮することができなかったり、人より早く疲労を感じてしまったりする。人の集まる場所や騒がしいところが苦手である。誰かの大声や、誰かが怒鳴る声を耳にしたり、誰かが叱られているシーンを目にしたりするだけでつらい。
③目の前の状況をじっくりと観察し、情報を過去の記憶と照らし合わせて安全かどうか確認するなど、情報を徹底的に処理してから行動する。そのため、行動するのに時間がかかったり、新しいことや初対面の人と接することをあまり好まず、慣れた環境や状況が変わることを嫌がる傾向にある。急に予定が変わったときや突発的な出来事に対して混乱してしまいやすい。
④人の気持ちに寄り添い深く思いやる力や、人の気持ちを読み取る力など『共感する能力』に秀でている。細かな配慮ができる。
⑤自分と他人との間を隔てる「境界」がとても薄く、他人の影響を受けやすい。他人のネガティブな気持ちや感情を受けやすい。
⑥直感力に優れている。漂っている空気や気配・雰囲気などで、素早くその意味や苦手な空間・人などを感じ取る。先のことまでわかってしまうことがある。物事の本質を見抜く力がある。物事を深く考える傾向にある。思慮深い。モラルや秩序を重視する。正義感が強い。不公平なことや、強要されることを嫌う。
⑦内面の世界に意識が向いていて、豊かなイマジネーションを持つ。想像性・芸術性に優れている。クリエイティブ(創造的)な仕事に向いている。
⑧静かに遊ぶことを好む。集団より一人や少人数を好む。1対1や少人数で話をするほうがラク。大人数の前や中では、力が発揮されにくい。自分のペースで思索・行動することを好む。自分のペースでできた方がうまくいく。観察されたり、評価されたり、急かされたり、競争させられたりすることを嫌う傾向にある。
⑨自己肯定感が育ちにくい。外向性を重要視する学校や社会の中で、敏感な気質ゆえに求められることを苦手に感じることが多く、人と比較したり、うまく行かなかったりした場合に自信を失いやすい。
⑩自分の気質に合わないことに対して、ストレス反応(様々な形での行動や症状としての反応…HSCの場合「落着きがなくなる」「泣きやすい」「言葉遣いや態度が乱暴になる」「すぐにカッとなる」、「発熱」「頭痛」「吐き気」「腹痛」「じんましん」など)が出やすい。感受性が強すぎ、繊細すぎるために、学校や職場での環境や人間関係から強いストレスを感じてしまい、不適応を起こしやすい。人の些細な言葉や態度に傷つきやすく、小さな出来事でもトラウマとなりやすい。
全てには当てはまらなくても、いくつかなら当てはまる人も多いのではないだろうか。
それもそのはずで、HSPは全人口の20%存在し、僕らのうち5人に1人はいる計算になる。
おそらく僕もHSPだ。
共感性が非常に高く、人と話すだけでエネルギーを吸い取られる。
ワンピースを読むと確実に1巻で3回は泣いている。
週5で会社に通ってると、入ってくる感情の量が多すぎて、週末は部屋にこもらないととても自分を保てない。
正義感が強く、組織の慣習のような非論理的なものに触れると(若手がドアをあける、暑くてもスーツを着るなど)、怒りがおさまらない。
飲み会が苦手で、暗黙の了解として話し続けなければならないといった状況に強くストレスを感じる。黙って考えることを受容されている場でないと、心底疲れてしまう。
学生のときまでは、少人数の本当に信頼できる人たちに囲まれ、そことだけ無意識的にコミュニケーションを取っていたから問題はあまりなかったが、社会人になって人との関わりが爆発的に増えると、どんどん疲弊してしまい(ましてや営業職)、自分はなんて情けないんだろうという気持ちになんども陥った。
二極化思考に陥りがちだが、感受性は人によってグラデーションがあって、HSP寄りめな人もいれば、サイコパス寄りめな人もいる。
ラベリングされることはものすごく嫌いだが、自分の抱えている悩みに名前がついて、自分がどの位置にいるのか知るだけで、思考がしやすくなりぐっと楽になる。
境界のグラデーション
感受性が強い/弱いとはなんだろうか。
文字通り、物事を感じ受け入れる性質なのだと思うが、これは他者との境界の濃淡に起因するのだと思う。
芝居をしていたときもそうだが、感受性の弱い人はまるで違う人間として役を作る。自分と役の混同は基本ない。
対して自分は、自分の1つの人格として役を作っていた。
自殺する役であれば、舞台が終わったあともひと月ほどはいつ死ぬかわからない精神状況に陥るし、恋をしている役であれば、しばらくは相手役のことを本気で愛している。
(なお、自分とまるで違う役は全く作れない。役を自分と認識しているからである)
自分と他者を違う人間として扱うためには、自分と他者が違うのだという認識が必要である。
境界は、設けなければ生きていけない。
境界が薄いことで良いこともある。
他者の気持ちを繊細に汲み取ることができる。違う価値観の人と共通項を見つけて受け入れることができる。
共感も生きていく上で必要なことである。なければ、全ての人に対して家畜のように接してしまう。
多様性を受け入れるとはなにか
他者との境界が薄い人が、違う価値観の人を共通項を見つけていくことは、果たして本当に相手を受け入れていると言えるのだろうか。
逆に、他者との境界が濃すぎる人が、相手を全く違う存在として捉えていくことは、果たして本当に相手を受け入れていると言えるのだろうか。
受容とは、「自分は自分で、あなたはあなた」かつ「あなたの感情は分かっても分からなくても汲んでいます」の2つが共存している状態だと思う。
言うなれば、境界を持ちつつ、共感できうる状態のことを受容という。
境界がない、または共感する気がない状態は拒絶なのではなかろうか。
サイコパス寄りの人が他者を受容しようと思ったら、感情を汲んでいく努力が必要だし、HSP寄りの僕のような人間が他者を受容しようとすると、自分と相手は違う存在だと捉えていく努力が必要である。
同じことでも、自分の位置で、アプローチのベクトルは変わる。