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父親が亡くなった話

2ヶ月前に、兄からメッセージが届いた。
「じいちゃんが亡くなりました。連絡ください。」

じいちゃんというのは、実父のこと。生命力が強い人で、「120歳まで生きるわ」と豪語していた父。病気という話は聞いていない。なぜ? どうして? と、混乱したまま、兄に電話で話を聞く。

山で遭難した。
遺体は見つかった。
帰ってこい。

連絡を受けた時、偶然にも姉と一緒にドライブをしていた。
姉とは年に数回しか会わないのに、なぜこのタイミングなのか。
頭が回らないまま、そのまま2人で実家に戻ることにした。
実家は、車で6時間ほどの田舎である。途中、真っ暗な山道がつづく。

私は小さい頃から、山が怖かった。
父はたびたび、木を切りに山にいくのに私を一緒に連れていった。
昼はいい。山の緑、木漏れ日、とても気持ちいい。
だが、夕日に気づいたら、あっという間に闇が迫ってくる。
山は光を吸い込んで、闇を作り出す。そんな山が怖くて、父が仕事を終え車に戻ってくるのを、車の中で縮こまりながら待っていたのを覚えている。

父は山が大好きだったのだろう。
年のため家業を廃業した後も、山によく遊びに行っていた。
その日は、友人と一緒に2人で山に入ったが、父だけが行方不明になったらしい。
山に入るといっても、登山ではない。川で石を拾うという、散歩の延長上の、日常の行動だった。

翌日には、ヘリコプターが飛び、滝壺に潜る、大規模な捜索隊が出動したらしい。
なかなか見つからず、その日の捜索を諦めかけたとき、兄は行方不明になった現場にふと戻り、父の手ぬぐいが木に引っかかっているのを発見。その下の崖に目を向けると、父が横たわっていたらしい。

検死の結果、どこも怪我がなく骨も折れていなかった。
死因は、凍死 とされた。

季節は初冬の11月。雪国の山の中は、とても寒い。夜半には氷点下になる。
指は凍傷でパンパンに腫れていた。
だが顔はとても穏やかで、寝ているようだった。

母の一周忌以来、実家には帰っていなかった。
父と会うのは何年ぶりだろうか。

私は、父とはウマが合わなかった。
大学入学とともに実家を出て、そのまま都会で暮らしていこうと心に決めていた。そのために仕事も頑張った。
数年前、最後に交わした会話では、身近な人の悪口を言われてムッとし、やっぱり父とは合わないと再認識した。

私は父に何も返せなかった。可愛くない子供であったと思う。
たとえば、余命1年と宣告され、時間の猶予があったとしたら、私は何をして、何を話しただろう。
納棺を前に、遺体と1人で向き合った時、涙が溢れ止まらなくなった。
どういう涙だったのかはよくわからない。でも、よかった。多分私は、感情と向き合うことに少しだけ間に合った。

寒い、真っ暗な山の中で何を思って死んでいったのだろうか。
好きなことをして、好きなところで死ねて本望だったと思うのであればいい。私のことは思い出さないまま逝ってくれたのであればいい。

49日が過ぎ、忌明けした頃になると、気持ちが落ち着いてきた。
この忌中の期間設定は、本当によくできている。

父と母は出会えただろうか。






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