『マジックミラー』

私は最近、作詞に興味関心がある。

文章を書くのが好き、音楽を聴くのも演奏するのも好き、おまけに絵を描くのも好き……となると、何か1つ作品がつくれそうな気がしている。周囲からも、そのエネルギーを何かに加工して形にできたら面白そうだよね、と言われる。そのために、色々と勉強してみたいという意欲が湧いている。

そこで、まずは好きな歌詞についてまとめてみようと思って、真っ先に思い浮かんだのが、大森靖子『マジックミラー』のこの歌詞だ。

あたしのゆめは
君が蹴散らしたブサイクでボロボロのLIFEを
搔き集めて大きな鏡をつくること
君がつくった美しい世界を
みせてあげる

大森靖子『マジックミラー』

好きな歌詞というよりは、自分もこんな歌詞が書けたらいいなと漠然と思った歌詞である。この歌詞についてもう少し考えてみたら、何かヒントが得られそうだと思ったので、そうしてみようと思う。好きな歌詞についてまとめるのは次回にしよ!

マジックミラーは、明るい側からは鏡に見えるが、暗い側からは向こうが見える、というものである。マジックミラーを歌だとすると、明るい側にいるのは聴き手、暗い側にいるのは歌い手。「歌い手」は「作り手」とした方が正しい気がするが、名詞と動詞がごちゃごちゃしてしまうので、ここでは「歌い手」とする。

歌い手は、聴き手のやり場のない感情を集めて、鏡をつくってあげる。聴き手はその鏡を見る訳だが、聴き手には向こうにいる歌い手は見えず、鏡に映る自分だけが見える。聴き手は、歌い手から離れて、自分がそうであってほしいと望む世界だけを、鏡に見出している。

言ってしまえば、聴き手が勝手に、その歌に自分の理想を重ね合わせているだけだということ。聞こえはあまり良くないが、それはそれで良いのだと思う。

あたしの有名は
君の孤独のためにだけに光るよ
君がつくった美しい君に
会いたいの

大森靖子『マジックミラー』

歌い手だって、聴き手がつくりだした理想に会いたいし、それを歌いたい。だから、歌い手は聴き手が見つめている鏡の向こう側にいて、聴き手を見つめている。聴き手も、鏡が真実を映しているものではないからこそ、鏡が映している自分自身の姿に救われる。

歌、聴き手、作り手。この三者の関係性をマジックミラーに例えるのは、言い得て妙だなあと思った。例えているつもりはないのかもしれないし、そもそも私の解釈が間違っている可能性は大いにあるけど。

逆に、作り手にとっての理想しか存在しない、聴き手がそれ以外を見ることができない歌は、マジックミラーではなくて……壁?(笑)良い言葉が思いつかないだけで、決して馬鹿にしている訳ではございません。聴き手はただそこに存在する壁しか見ることができないし、作り手も壁の向こう側にいる聴き手を見ようとはしない。

それはそれで、かっこ良くて素敵だと思う。しかし、私はどちらかと言えば、マジックミラーのように、自分の書いた歌詞にみんなの理想を重ね合わせてほしいし、私もみんながどのような理想を持っているのか知りたい。だから、自分もこんな歌詞が書けたらいいなと漠然と思ったのだろう。

まだ、自分は具体的にどのような作品をつくりたいのか、どのような作品をつくることができるのか、ほとんどイメージできていないが、私もマジックミラーを通してみんなのことを見つめてみたいな、と思う。