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生きることは幸せ屋さんだ

原始人が生きていて、
狩猟や採集していた頃。
生きるために
食べないといけない、
住まないといけない。
でも生きた先には、確かに幸せがあった。のだろうなと思う。
今の僕たちも同じように幸せなんだと思うのです。
なんやかんやで。

普段の生活に幸せを感じにくいかも知れないけど、ふとした瞬間に幸せを感じるのはお腹が満たされてるとかの満足や家にいる安心が、まずベースにあると思うのです。
そのもとで、深呼吸して、あぁ生きてる。となるのだと思うのです。

話は戻って。
採取や狩猟にも、自分の得意ができたり、技術が生まれたり、保存できたりして、幸せの"交換"が発生した。
お互いの幸せの量とか満足の等価交換。
大根2本とお魚1匹をこうかんこね。
みたいに。

それがまた、一時的に仮置きできたり価値を判断するための物差しとして、お金が発明されたのだと思うんです。
理由はたぶんもっと色々あったのだろうけど。
お金ってのは本来そう言うもんだとしたら
幸せの量。目には見えないエネルギーの物質化。それの交換品。
幸せ交換タンクだ。

お金は汚いもの。
稼ぐことは悪いこと。
みたいなこと一昔前に数回言われたことがあるけど、
それは汚く扱ったから
お金のことだけ第一に考えたら
そりゃそうなるでしょうね。
そもそもで言えば、
その考え方は違うなと思ったのでした。

お金ってなんなんだろうなって考えた時にそんなこと思いました。

最近のハナシで、
駅のトイレを利用させてもらってる時に、おばちゃんがトイレ掃除をしてくれてました。

さっきの考えでトイレ掃除を紐解くとピカピカトイレでみんなを幸せにしてるのだ。
僕は綺麗なトイレ好きだ。
でも時給で1000円貰っても、みんながみんな、トイレ掃除はしないと思うのです。
たぶん1000円もらえる仕事は他にも沢山、色々ある。

そう思ってたら感謝しかなかった。
でもどうしよう。
このピカピカトイレで幸せだという気持ちをどうしよう。
駅を利用するだけで、おばちゃんに直接、僕のエネルギーは届くのかな。
唐突にお金を渡すのも妙だし。
第一いくら渡したらいいのだ。

どうしようもなく嬉しくなっちゃったので、戻って、ありがとうございますって直接言うことにしました。
伝えたら、おばちゃんニッコリ笑って返してくれた。

等価交換だったのかな。
わからなかったけど、間違いなくおばちゃんと僕のエネルギーは素敵な形で混じり合ったんだと思う。

トイレ掃除でだけじゃない。
家でお金が発生しなくても、
働く方達、みんな感謝されまくるべき。という気づきがあった。
家でも日常でも、人を幸せにすることはなんでもです。
毎日洗濯して、ご飯作って、掃除して。挨拶して。たすけてあげて。話聞いてあげて。
よく言われる話かも知れないだけど。
家の仕事(家事)なんかは、やってみりゃわかる。
感謝されまくるべきなのだ。
外に働きに出て帰った人に、
「お疲れ様、いつもありがとう」と
ねぎらうのも立派な仕事だ。
めっちゃ幸せだもの。その一言は。

だから誰かを気持ちを晴れさせる人も、ありがとうに気付いて沢山言える人もすごく働き者なのだと思う。
誰かの悲しみにイライラせず、癒してあげれる人も。立派な仕事だ。
お金が発生しないとしても、立派なのだ。
仕事じゃなくて別の言葉を作りたいくらい。
ありそうだけど。
幸せ屋さんの幸せパンチとか、そんなだ。

赤ちゃんなんか、完全に幸せ屋さんだ。
僕からしたら。
当然、人によって幸せの感じ方は違うことも理解できてるつもりです。

それからは僕が嬉しくなって自分の心がきらりと晴れた時はできるだけありがとうするようにしてる。
できてない時もあるけど、素敵な言葉を選ぶようにしてる。
そうすりゃ働き者だし幸せ屋さんだ。

そのあとどうなるかはあとは因果応報に身を任せて
それはきっと、届くことを知ってる。

素敵な種を巻きましょう。
いい水を飲みましょう。
あなたの花が綺麗だと自分で思えたり、思われたら、それって素敵じゃないですか。
できない時はそれでも大丈夫。
出来る時にしたらいいです。
もしそれもできなくても、
大丈夫大丈夫。
あなたがここまで読んでくれたら僕が幸せなので。
あなたもこれで幸せ屋さんだ。
幸せパンチありがとうございます。

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