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私の夢を語る日

みなさん、こんばんは。禧螺です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


今日は「一粒万倍日+天赦日+寅の日」というありがたい吉日です(というか、最近私の周囲は毎日吉日なようにも感じます)。

その影響もあってか、春の嵐さんも、きっと、私やみなさんの門出を、それぞえに応援してくださっているものだろうと思っています。

強風と雨のファンファーレをありがとうございます!


本日は予告しておりました通り、

禧螺の夢の表明日

です。

目次を付けていますが、記事自体が長いので「読んでみよっかな」と思ってくださった時に、お目通しいただけると嬉しいです。

ここまでくるのに、たくさんの経験を通して、自分とは一体どういう存在なのかという思考を深めたり、感じたことを味わってみたりしました。

この記事を出すのに、以前出した有料記事の公開よりも、さらに重いプレッシャーになっていたことも分かりました。

おそらく、自分の夢を封印する期間が長かったこと、自分を長らく否定することによって生きている実感を得ていたこと等が、こうした記事を書くことを拒んでいたのだと思います。

「表明したら人が離れる・ばかにされる」という以前の経験から守ってくれるための拒否だったことがわかって、自分自身がとても優しい人なのだなぁと、感じてしまいました。

視えない部分が傷付く痛みを、たくさん経験してきました。

でも、それがあるから、こうして大々的に発表しようと思えます。


私による私のための夢。

願わくば、それを必要とされている方たちにも、大きな恩恵を受けられるようにしてください。

私の夢に関わってくださる方たちが、どうかたくさんの実りを受け取ることができるようにしてください。

私の夢を、全てにオーダーします。



🦋

私の夢


剣を持って戦えるお姫さまに憧れた、絶対的な善よりも悪の力も内包した魔女の存在に憧れた、あの日の記憶と煌めき。

今までの遠い日の記憶は、今日のための約束だったのかもしれません。


イメージは、森の中にある、知っている人は知っている、または必要な人に拓かれている場所。

その場所は、生きづらさについて、いろいろな角度から見つめることができる場所。

誰かと共に見つめる場所ではなく、ただ一人で、自分自身と深く見つめ合っていく場所です。


具体的な場所構想として

「HSPのセレクトハウス」を思案しています。

この「セレクトハウス」は、ファッション業界用語でいう「セレクトショップ」から閃きを得ました。

簡単にこの用語について説明しますと

・特定のブランドやデザイナーの商品だけでなく、オーナーやバイヤーの独自のセンスとこだわりで、仕入れた商品を販売している店舗をいう。
・自分がそのショップのコンセプトに共感すれば、常に自分の趣味に沿ったものを享受し続けることができる。

というものです。

つまり、一つの場所に、いろいろなブランドといろいろな品が揃い、その品はオーナーのセンスや感性によって置かれる品が決まるのが、セレクトショップです。

「HSPセレクトハウス」では、禧螺が実際に体験し、経験したもの・ことで、

信念に共感しましたクリエイター様ご自身と、その作品(絵、文章、ハンドメイド、動画等)や創作活動を、支援し広めて行きたいと考えています。

その過程で、クリエイター様同士がつながることがあれば嬉しいですし、「HSPについて知りたい・学びたい」「HSPの人が表現する世界観を体験してみたい」といったご要望を持たれている方にも、クリエイター様につなぐという試みをしていきたいです。


また、もう一つ大切にしたいことがあって、

「一人でも、その世界への扉を開け歩めるように、支援する・応援する」

ことを考えています。

私が「HSP」を知ったのは、自分でインターネットで調べて行き着いた単語ですが、当時は不安で仕方ありませんでした。

すでに、実生活の中で「ただ甘えているだけ」とか「敏感すぎて相手にするのが疲れる」と言われていたので、HSPという枠の中でも「自分のつらさを拒否されたらどうしよう…」と、恐怖で泣きそうになるのを抑えていました。

このことに加えて、一緒に考えてくれる人がいなかったので、気持ちの上では満身創痍な状態で、今の主治医の初診を受けたことを覚えています。

自分が調べたことが間違っていたらどうしよう、

これに縋っていたくて「あなたが弱いだけだ」と言われたらどうしよう、

そんな恐怖感の中で、HSPの情報を集めていた時期を、忘れることができません。


たった一人で、いろいろな気持ちを抱えつつ、情報を探して、どれが正しいかを吟味することは、口で言うほど軽くできるものではないと思っています。

真剣に探す方は必死です。

また、HSPとわかっても、急に「HSP」傾向の人たちのお話会だからと言って、話せるとも限りません。

そうした集まりだと分かっていても、誰か、自分の中で話せる一人にだけでないと、話すのが怖いと感じる人も居ます。

以前の私がそうでした。


理想は、一人でも「自分がHSPかも?」と思えた時に、さっと調べることができて、自分に合った解説に出会えて、自分なりに「敏感さ」とお付き合いできる方法が見つけられることがいいと思います。

ただ、これだけ人間がいるのですから、いきづらさに悩んでいる全員が、その道筋で生きやすくなるかと考えれば、そうではないと思っています。

極端な例を挙げるならば、SNSで挙げられている「HSP診断ツール」みたいなもので診断して

「ふーん、そっかぁ♪」で終わる人もいれば、

「これって、私のことだ!もっと知りたい!」という方もいて、

「やっと自分の居場所を見つけた!!生きてていいんだ!!」と思われる方もいるでしょう。

その中には、一人で調べることが「間違ってたら恥ずかしい・怖い」と感じる方もいるでしょう。


こうしていろいろな人がいる中で、一括りに「HSPは一つのラベルだから!それに傾倒しない方が良い!!」とは言えないと思っています。

「そうした傾向がある」「調べてみてもいいかもしれないよ」という選択肢はあっていいですし、あって欲しいです。

それが生きる糧になる人がいる限り、安易に「敏感さっていっても、それはあなたの気質の一部なんだから、あなただけでなんとかしなさいよ」とは、言えません。

最終的に「敏感さ」の部分をどうされるかは、その方の選択と判断ですが、その判断をされた後の、個人様の支援になれれば嬉しいです。


特に「HSPセレクトハウス」としていますので、

「HSPのことをもっと知りたい、学びたい」

「HSPと名乗っておられる方で、どんな人がいるのか見てみたい」

「HSPさんが表現されることを、体感してみたい」

「HSPを通して、自分自身を深めて見つめていきたい」

といったことを、支援していきたいです。


もちろん、この限りではなく

「生きづらい」

「生きづらいと、言っていい場所が欲しい」

「みんな一緒の環境にばかりいて疲れるから、一人になれる場所を探しています」

といった声も拾いたいです。



🦋

ここから、私の夢を具体的にご紹介させていただきます。


●HSP当事者会

私自身、当事者会に参加し、その一時だけでも、気持ちが軽くなったことが印象的でした。

現在は、多くのHSPで発信活動されておられる方が、当事者会を企画・運営されています。

ただ、やはり運営者が違うだけで、その当事者会の印象も全く違うものになると思ったのです。

それを想像すると、いろいろな発信者様が企画・運営してくださるからこそ、さまざまな幅でHSPや生きづらさを語ることができるのだと感じました。

ですので「みんなやっているから、いいや…」ではなく、私も私の感覚で、当事者会をやってみたいと考えています。



●HSP×一次創作(絵,文章,ハンドメイド,動画等)できる空間、集まりの整備

HSPの発信をしつつ、一方で一次創作活動に励んでいる私ですが、意外と一次創作者様には「敏感さ」を持つ方たちが多いのかなぁと思い、この考えにたどり着いたわけです。

Twitterの方でも、HSPについて語っていますが、特に一次創作で活動していらっしゃる方の反応もあって、共感してくださったり、理解してくれようとしてくださる人が、一見分からないですが、意外と潜在的に多いのかなと感じました。

確かに、自称で「HSP」を名乗ることに多くの議論がありますし、人によってそのことに関する見解がバラバラです。

例えば、そのことに関する自分の立ち位置が「別にHSPって分かったところで、人に言う必要ないと思う」であれば「その方にとっては、それが良い」のであって、創作者全員がそう対応できるわけではありません。

自称することで楽になった人も一方でいるわけですし、他方で言わなくても普通に生活できる方もいます。

自分が公言して楽にいろいろ活動できるようになったので、「HSP」を公言しても、安心して創作活動ができるつながりを作ったり、共同制作できる空間や環境を作っていきたいです。



●HSPで集まってワークショップ

HSPさんの方が好きそうな工作や活動の企画・運営をやってみたいです。

イメージは、小学生低学年でやったような図画工作を取り入れたいと考えています。

小学校の低学年では、特に難しい素材を使うことがありませんでした。

細かい材料、細やかな作業が要求される創作もありますが、ただ絵の具を垂らしたり、無心で何かを書いたり、切ったり、はったりするだけでも、何かしらの表現です。

それを「どんな表現をやってみてもいい」という、安心を感じられる空間でできたら、なかなか楽しいのではないかと思います。



●HSP勉強会&読書会

これも自分で、過去に参加した時、同じHSPの方でも「こんなに感じ方が違うのかぁ」と、体感できた集まりです。

勉強会については、少し当事者会のような雰囲気が纏われるのですが、note記事に書くような「HSPと○○」や、いろいろなHSP関連書籍から、自分の感じたことや学べたこと等を共有していける場があればいいなと思いました。

これだけたくさんのHSP本が出回るようになったので、どの本をとっても、どこかで学びや気付き、感じる部分はあると思います。

それを「この本は書き方が分かりにくいからダメだ」とか「著者はHSPって言っているけれど、HSPじゃなさそう」という観点は一切抜いて、やってみたいです。

読書会は、ジャンルを問わず、いろいろな本からHSP視点を共有したり、語ることができたらいいなぁと考えています。

朗読会なんかも楽しそうですね。



●バッチフラワーレメディ

本日は、恐怖心から今まで書いていなかったことも書いて良い日だと思って、書きます。

私の「敏感さ」と向き合う手助けになった一つであり、生きる指針の一つにもなった、花療法のことです。

英国発祥の自然療法で、自分が持っている様々な種類の不安や恐れに対して、そこに直接、お花のエキスを使って、時間をかけて癒しを働きかけるものです。

今まで話題に出さなかったのは、この療法についても多くの議論が交わされているのですが、否定される人はとことん否定されますし、肯定される方は何処までも信じて活動されている状態に、自分はどうしたいのか分からず、目の前の議論に、感情を飲み込まれてしまったからです。

この記事を書くきっかけに、どうしてこれが好きなのかと改めて考えてみました。

詳細は話が長くなるので、別記事に委ねたいのですが、バッチフラワーレメディは、私にとって、感情に向き合うことの大切さを教えてくれた師のような存在であり、自身が生きるか死ぬかという状態を一緒に切り抜けてくれた盟友です。

使ってみて、自分の不安や恐怖を癒すことや、共にいよう心がけることだけで、こんなにも心身共に調子がよくなるものかと、驚きました。

薬で治らずに不安だった気持ちを支えてくれて、こうしたことでも快方に向かうこともあるのだなと、世の中は説明がつくことばかりではないことを実感しました。

そうした、自分が心安らかになれる方法・心身を癒やせる方法の一つとして、広められたら良いなと思いました。

このバッチフラワーレメディに関しては、現在免許修得中で、あともう一息の所まできています。

正式にバッチフラワーレメディを取り扱えるようになった時は、また改めてお知らせいたします。



●HSPカウンセリング(検討中)

元々やりたかったことではあるのですが「カウンセリング」という位置づけに、少し違和感を持っているのが、正直な気持ちです。

個人的に、カウンセリング・コーチング類だと、どうしても「人を導く」色が強い気がするのと、相談者と指導者という分け方にひっかかりを感じます。

もちろん「導き」が必要な方や状態があるからこそ「導くこと」が必要とされているので、いろいろな色を持ったカウンセラーさんやコーチが増えればいいなぁと思っています。

ただ、私個人もそうなりたいかと聞かれると「はい」と即答はできない状態です。

これについては、周囲からの「こんなの向いてそうだよ」の意見を、一応取り込んでみた形です。

実際にできるかどうかは別としても「カウンセラーに向いてる」といってくださった一言は、自信にもなりましたし、そう見えている自分を誇りに思うことができて嬉しいです。

検討中とあるために、消える可能性もありますが、私が自分のHSPを深めようと思った動機であるのは間違いないので、この視点も持っておこうと思います。



●手紙やメール、SNSのDMでのカウンセリング(検討中)

「HSPカウンセリング」と概要がほぼ同じです。

形態が文章に変わったものです。

文章でも、自分が思いもよらない言葉が湧き出てきたり、そのやりとりを文章で見返せるからこそ、掴めるものがあると思っています。

やり取りするとしたら、その過程がお相手にとっても私にとっても、御守りになるようなものにしたいです。



●お相手の発信や創作から感じ取ったものを絵に描く

これは、知っている人は知っている「フォロワーさんを描いてみた」を発展させたバージョンです。

noteを開始してしばらくして、始めて自分一人でやった企画ですが、思いの外ご好評いただけたことが、私には涙が出るほど嬉しかったです。

商業用の美しい絵とは言えないでしょうし、かといって癒やし系の可愛い絵を描けるかと聞かれれば、首をかしげる部分ではあります。

でも、私の世界観から、その方がどう見えているかを想像することは、嫌いではありません。

みなさん、私にはない良いところがあって、それがキラキラと輝いているから「素敵」だとお伝えしたく、その方法が絵であっただけのことだったのです。

それが巡り巡って、こうして、生涯通してやってみたいこととしてかえってくるとは思いもしませんでした。

まだまだ成長途中ですが、それでも(以前に描かせていただいた方を含め)また描かせてくださる方がいてくれたら嬉しいです。



●HSPティーパーティー

おそらくこの項目も、知っている人はなんとなく知っている「ひとりお茶会」の発展バージョンです。

このパーティーは年齢好み関係なく、自分の好きなお洋服やおめかしをして、のんびりゆったりお茶や交流を楽しむ会です。

私はゴスロリ愛好家でもあって、普段からゴスロリファッションを嗜んでいる者でもあります。

私が知り合ったHSPさんの中に、ゴスロリファッションを芸術として捉えられる方が多く「ご自身もそんなファッションをしてみたい」と言われる方もおられました。

そこに加えて、自分が着たいお洋服で、自分がスキなスイーツで囲まれたいという話にも、発展したことがあります。

これはまさに「ひとりお茶会」のHSPバージョン!と感じたこともあり、参加してくださる方(むしろ、禧螺得企画なだけかもしれないですが)を募って、いつかHSPの素敵なお茶会を企画・運営してみたいなぁと思います。



●HSP映画会、音楽会

もう漢字のままですね。

HSPで集まって、映画鑑賞したり音楽鑑賞したりするものです。

ただし、HSPを題材にするものだけを取り上げるのではなく、あらゆるジャンルを鑑賞して、生き方について考えてみたり「映画のシーンのこの人がHSPなんじゃないかと感じた」とか「この音楽のここがいい」とか、語り合う会です。

「HSP」という前提が分かっているだけでも、いろいろな会へ参加するハードルが低くなる感覚を体感したことからも、HSPと表に出して、いろいろな企画を考えていきたいです。



●自分の一次創作で、本やグッズをつくる

これも、まさか生涯かけてやりたいこととして、ここに挙げられることに感無量です。

禧螺の創作から生まれたキャラクター、イサベルとユウリですが、ゆくゆくはグッズを実装させたいと考えています。

他のフォロワーさんがされているBOOTHやpixiv factory、SUZURI等で販売できる夢を見ています。

普通にキャラクターが載っているグッズも作りたいですし、もっと日常使いができる、ロゴやデザインが入っている小物、2人それぞれをイメージしたアクセサリー等も作ってみたいと思っています。

もちろん、2人の物語待ってくださっている方も、既にいてくださっているので、本も作れたら嬉しいなと…。



●ダウンルーム、リラックスルームとしての部屋の貸し切り

自分で言うのもなのですが、敢えて言いますと、うちの家は短期間であれば滞在していただける広さはあります。

私一人でも、部屋を3つ持っています。

そこでふと思ったことです。

「毎日の学校がしんどくても、帰ると楽になれたのは、全くの1人になれる空間にいることができたからなんじゃないのか…」

一人っ子という状態も加わって、幼い頃に、一人で遊んで一人で創造できる時間が、この上なく楽しかった記憶があります。

おそらく、自分の表現に制限がかかることなく、その時間は自由に過ごすことができたため、1人という空間の楽しみを見出してしまっているのでしょう。

今でも1人空間を最高に楽しんでいますし、癒されています。

この状態を、普段1人をなかなか味わえない方に体感していただくのはどうだろうと、考えたのです。

構想がふわっとした状態なので、詳しくは書けませんが、1人を黙々と味わえる空間があってもいいと思っています。



●蝶のお世話で自然ふれあい会

「ああ、ついにやるのか」と思ったそこのあなた、お察しがいいです。

去年から蝶の世界にどっぷり浸かっているのですが、そのどっぷり具合が高じて、現在、地道に蝶が来やすいとされる庭「バタフライガーデン」をひっそり制作中です。

さらに、うちに蝶の幼虫が育つ木々があることからも、春から秋にかけて、蝶を楽しめる季節でもあるのです。

この蝶を通して、自然を楽しむ会をやってみたいと思っています。

蝶を観察することで、私自身いろいろなものに意識が行くようになりましたし、今では蝶の幼虫探しや、卵探しは任せていただいても構わないくらいに、小さな部分にも視線が行くようになりました。

ただ育成するだけではなく、その育成を通して、いろいろな感性を育てていける場所があってもいいし、あって欲しいなという願いから、実装してみたいと思っています。



🦋

ここまでご覧くださって、ありがとうございました。


この記事を書くまでに、何度も手が止まったり、もやもやした感情と向き合ったり、自分ではやはり何をやってもダメなのではないかと心がへし折れそうになった時もあります。

今までとは全く違う路線に行くのですから、怖いし不安ですし、失敗したら、誰にも振り向かれなかったら悲しいという気持ちがありましたし、今でもあります。

公開ボタンを押すのが怖いです。

それでもこうして記事にして進むことは、内なる私が望むことであり、怖いのに、気持ちはとても晴れやかです。

「やっと…やっと一歩踏みだせる」と、涙を流して喜べることなのです。


私が社会に対して、具体的にお役に立てるかどうかは分かりません。

それは、死を目前にした私のみが分かることでしょう。

それまではどんなに願ったところで、結果などわかりません。


それでも、今、言えることというか、言いたいことは、

私は私で生きていくことこそが、社会の恩恵になると証明する!

です。


いろいろな変化の要素がありますが、私が、ここまで現在の私であることの意味を、自分自身をかけて将来に向かって証明していきたいです。

意味なんてないかもしれませんし、そもそも意味を探ることが違うのかもしれません。

でも、私はそれが欲しいので掴みにいきます。

それが私が求めるものであれば、どこまでも求めていきます。


ここまでお付き合いくださり、本当にありがとうございました。

この記事を読んでくださったあなた様にも、大きな恵みがありますよう、画面の向こうでたくさん応援しています。

この記事に目を通してくださった全ての方が、心穏やかに、健康に過ごせますように。

胸に秘めている願いが叶いますように。


ではまた、明日か、明日でない日にお会いしましょう。

ご縁があれば会えるでしょうし、遠くなったとしても、個人の奥深くではつながっていると思われますので、それはその機会だったのでしょう。

それぞれの道を歩む時です。

私やみなさんの旅に、多くの喜びに溢れますように。



🦋

みなさんからのスキに、私は今日まで、そしてこれからも生かされることでしょう。

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました。


それでは、今日はここまでです。

今日も誰かのいい一日に、おめでとう🦋🌈


2022.3.26 禧螺



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禧螺
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