可能性の扉を閉じる旅
滞英日記(19)
こんにちは。最近のイギリスは昼間は晴れていい天気ですが夜になると相変わらず真っ暗で、コンビニとか街灯の明かりとかがあった日本の夜が恋しくなります。岡崎は夜型人間なので(直したいのですが)日本の深夜にふらっと出かけて行って町を散歩するのが好きでした。
さて、人生には、最初はいろいろ可能性があって、その可能性の中から自分のなりたい人間像を選び取っていく旅路だなあと思います。
勉強だって、好きなことを勉強して、仕事だって、好きなところで働いて、好きな仕事をして、好きな人と暮らすことができます。過去の自分と未来の自分が目の前で出会えばきっと話に齟齬は生まれると思いますが、それでも子供のころはこれが好きだった、老けるとこういう考え方をするようになった、という話ができると思います。
何が言いたいか、というと、イギリスで人生を送るという自分のとりあえずの目標を現在進行形で叶えつつある中で、時々とても年老いた気持ちになることがある、ということです。もし仕事を終えて定年退職したら、自分は自由になった後何をしたいと思うだろうか、そして今までの人生を振り返ると、何もしていない不毛な時期が多かったと思うのではないだろうか、人生とは空虚ではないか、と思うのです。
悲しいかな、人生とは無限にやりたいことができるわけではなく、自分がこれまでやってきたことから180度新たな世界に飛び込むのにはある程度の覚悟が必要になります。老人になってできるチャレンジは多くて3つか4つで、5つ以上の新たなスキルを定年退職後に身に着けることはできません。そしてその幅は、若いときの自分の経験に基づいています。つまり、赤ちゃんの時には何でも選べても、老人になったら選べることの幅は過去の自分の選択によって縛られるのです。
もっと言うと、未来の自分の選択肢を狭めているのは今現在の自分の主体的な選択の結果です。無限の可能性を追求しているように見えて、面白くない可能性を自ら排除していく旅、それが人生なのかもしれません。ただ、人との出会いや環境への適応によって今まで視野に入っていなかった選択肢が急に魅力的に映ったりし始めるのが、「人間は変わる」という言葉の意味なのでしょうね、人の可能性は周囲によって広げられたり狭められたりするようです。
どんな可能性に蓋をしたいのか、考えながら生きる日々です。それでは、次回の記事もごひいきに。