私を主人公にしてくれたニコニコ動画
ニコニコ動画と私のことについて書きたい。
※記憶が曖昧な部分は、私の都合のいいように補完されている可能性があります。
歌ってみた
じつは私、以前組んでいたバンドの仲間に勧められたのをきっかけに、ニコニコ動画に歌ってみたを投稿していたことがある。活動名もその人が考えてくれた。
といっても、ランキングに入るような人気歌い手ではない。万人受けしないような隙間ジャンルに入り込んだために、その界隈ではちょっぴり知られていたというだけ。歌い手としては弱小も弱小だった。
ただ、ありがたいことに演者の方には知ってもらえていることが多く、たくさんの奏者や歌い手の方と知り合うことができた。さらにそのなかで巡り合ったすごいメンバーたちと、新たにバンドを組んで、ボーカルとして活動できることに。
すごいメンバー
私が超ラッキーだったのは、メンバーたちがすごい人たちだったことだ。全員がランキング常連で多くの人に知られているというのもあるけれど、みんな音楽的な技術や感覚に優れている音楽人。超尊敬できる人たちだ。
一番無名なのがボーカルというよくわからない状態でありながら、バンドとして動画を投稿すれば、多くの方に再生してもらうことができた。そうすると、どういうことが起きるかというと、ドワンゴの運営さんにも注目してもらうことができる。
そしてそれがどういうことかというと、超会議や超パーティに出演することができる。そう、私、幕張メッセで歌ったことがあるの。えへん。
大きな失敗
私が超パーティに出演できたのは、注目されていたことのほかに、大きな失敗をしてしまったからでもある。その失敗とは、ライブで歌うことができなかったことだ。
そのライブもドワンゴが主催してくださったもので、大きな会場+生配信があり、たくさんの方が注目してくれていた。そんなライブの当日、違和感を覚えたのはリハ後のこと。
突然声がかすれていき、時間が経つほどカッスカスになっていく。喉が腫れているとか痛いといった症状はなく、とにかくカスカスで出ない。
だから自分でも何が起きているのか分からなかった。焦る私に、自分たちのリハや出番があるにもかかわらず、多くの出演者の方が心配して声をかけてくれた。
ただ、出ないものは出ない。当然歌うことも無理だ。それでも本番はどんどん近づいてくる。
いろいろと手は尽くしたけれど、結局声が戻ってくることはなかった。ボーカルのくせに歌えない、話せない、やばい。そんな状況のなか、いろいろなことを覚悟してステージに出た。
もちろん、マイクを通した私の声もカッスカス。その声でみんなに謝り、そのあとはステージを盛り上げることだけに集中した。声が出ないならパフォーマンスでなんとかするしかない、やり切るしかない。
結局私はボーカルでありながら一音も歌うことができず、悔しさや恥ずかしさ、悲しさ、いろんな感情のままステージを終えた。でも、それは私だけじゃなかったと思う。
ボーカルが全く意味をなさないステージで、メンバーも不安を感じながら、いつも通り、むしろいつも以上に力のこもったステージをやり切ってくれた。本当に感謝しかない。
リベンジしたいですか?
そんなことがあったステージの最後。運営の方に感想を聞かれるフェーズがあり、相変わらず声がカスカスの私もインタビューを受けた。
※ちなみにもう10年以上前のことなので、受け答えの内容はニュアンスで捉えてほしい。
私はこの日のために準備をしてくれた運営さんや来てくださった方に申し訳なく、またカスカスの声で謝った。するとそこで、突然運営さんからこう聞かれたのだ。
「リベンジしたいですか?」
一瞬客席がざわついていた気がする。本当にその場で突然言われたので、わけがわからなかった。ただ、このままで終わるのは嫌だ。
私は迷いなく「はい」と答えた。
すると「超パーティでリベンジしますか?」という運営さんの言葉。まさかの提案に、バンドメンバー同士でも顔を見合わせたような記憶がある。
こうして、私たちは超パーティに出演することになった。
そして超パーティへ
運営さんは、このときの約束をしっかりと守ってくれた。すでに開催が決まっていた、この後の超パーティに出演させていただくことになったのだ。
失敗してしまったステージよりも何倍も大きな幕張メッセという場所で、もっとたくさんの方が見にきてくれて、全世界に配信される。絶対にぜーーーーーったいに失敗できない。
かなりのプレッシャーを感じていたけれど、こんなチャンスもう二度とないかもしれない、というワクワク感もあった。そして当日。
ステージの幕が上がった瞬間、信じられないほど大きな歓声と、眩しくてキラキラの光景に、私は息を呑んだ。あとちょっと泣いた。
もちろんこれはステージにいた出演者全員に向けられたもので、私だけに向けられたものではない。だけどこの瞬間、
私は自分をステージの主人公だと思えた。
このときのことはきっと死ぬまで忘れない。本当に素敵であたたかい場所だった。
ちなみにステージは大成功。本当によかった。それにとーーーーーっても楽しかった!
それから
ありがたいことに、その後私たちは超会議やイベントに何度も呼んでもらい、たくさんのステージを任せてもらえた。
さらに、ニコニコ関連のイベントに限らず、ほかのバンドさんのツアーやイベントにもたくさん呼んでもらえた。それに自分たちのツアーやワンマンライブを成功させることもできて、5年ほどの期間だったにもかかわらず、かなり充実したバンド人生を送らせてもらったと思う。
読んでいただいたとおり、私の音楽のきっかけはすべてニコニコ動画だった。今は私自身音楽的な活動がなかなかできずにいるけれど、あのときに関わってくれていた人たちの活躍している姿を見るのは、今でも単純に嬉しい。
そういう人たちと出会わせてくれた場所であるニコニコ動画を、私は陰ながら応援している。いち投稿者ができるのは思い出話くらいだけれど、ニコニコって楽しいんだよ、すごいんだよって1人でも多くの方に伝わればいいな。
…それと、私のことを少しでも覚えててくれる人がいたら嬉しい。
またね