<Vol.76>モンゴンゴがたくさんあるのに、なぜ仕事をする必要があるんだい?
外出自粛要請の影響を受け、僕が働く会社でも4月9日から”休業”という形になりました。
今まで取れなかった「時間」がどさっとプレゼントされたので、ちょっとワクワクしている自分がどこかにいます。
…ということで、今日は「働く」ということについて考えてみたいと思います。
<働くとは何か>
まずは歴史を紐解いてみましょう。
そもそも「働く」というのは”人が動く”、すなわち生存するために必要な行為のことを指しています。
先日読んでいた本の中にこんな記載がありました(以下)。
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人間はみな狩猟採集民の子孫であるが、多くの狩猟採集民はかなりのんびりとした生活をしていた。
カラハリ砂漠に住むボツワナのサン族は、今でも狩猟採集の生活様式を営む最後の種族の1つだ。
彼らが生活を営む居住エリアの近くには、豊富なブルーベリー、フルーツ、根菜、木の実、そしてモンゴンゴ(ナッツ類)が驚くほど多くとれ、それらを食べて生きている。
彼らは栽培はせず、家畜も飼わない。
男はたまに狩猟へ行くが、これは気晴らしの意味も兼ねている。
いわゆる「働く時間」は週に12〜19時間程度であり、それ以外の時間は歌って踊ったり、娯楽を楽しんだり、親戚や友人を訪ねたりして日常を過ごす。
彼らは「仕事(農業など)をしないのか?」と聞かれた時、怪訝な顔でこう言った。
「モンゴンゴがたくさんあるのに、なぜ仕事をする必要があるんだい?」
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。。。いかがでしょう?
「働く」ということの本質をよく捉えていると思いませんか?
日本に生きる僕たちは、豊かな生活を送るために多くの「お金」が必要になっています。
そしてそのお金を維持するために、多くの人が毎日「仕事」をしています。
ではもしサン族のように、住むこと・食べること・生活していくことに一切のお金がかからなくなったら…?
そうです、僕たちもまた「働く」必要性はなくなります。
<働くということ>
『働かなくていいんだ、やったー!』
そう思う人も多いかもしれませんが、これはこれで大変です。
もし今、僕がサン族と同じ生活を強いられたら…
きっと一週間で飽きてしまう(物足りなくなってしまう)自信があります。
「働く」というのは、単にお金を稼ぐためのものではなく、
(ストレートに言えば)人生の"暇"をつぶすことでもあり、人生に"+αの喜び"をもたらすものでもあります。
モンゴンゴだけを食べ、家族と団欒し、やがては年老いていく…それはそれで素敵な人生かもしれません。
ただせっかくこの豊かな日本に生まれ、この情報社会の現代に命を授かっているのであれば、その恩恵を十二分に味わい尽くさなければもったいないです。
広い世界を見て、大きな感動を得て「あー、いい人生だった!」と思って死んでいく。。
それってちょっと素敵なことだと思いませんか?
僕はそう生きていきたいなぁ、と思う今日のこの頃です。
最後にちょっとした名言を。
本当に重要なのは「なぜ偉大さを追求するのか」ではない。「どの仕事なら偉大さを追求せずにはいられなくなるのか」だ。
「なぜ偉大さを追求しなければならないのか。そこそこの成功で十分ではないのか」と問わなければならないのであれば、それはおそらく仕事の選択を間違えている(ビジョナリー・カンパニー 2 - 飛躍の法則)
いい仕事をするためには、いい仕事を「選択」しなければなりません。
人生一度きり。後悔のない日々を過ごしましょう。
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