仮面ライダーBLACK SUNと、どうしようもない「薄っぺらさ」
仮面ライダーBLACK SUN 往年の名作「仮面ライダーBlack」をリメイクしたオリジナル作品で、Amazon Primeで配信中です。
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んで、子供の頃飛び飛びだけれど、旧作みてたなぁ……という私も見てみたわけですけれども、まあ、見終わっての感想としては、かなり粗が目立つ作品だなと渋い顔をしてしまいました。
んで、感じたことについて書き残しておこうと思うんですけれども、ここで注意が二つほど。まずネタバレありなので、これから見ようと思っている人は先に視聴したほうがいいいということです。
視聴するかどうか迷っている人は……手放しに褒められないのが難しいんですが、まず旧作のファンであり、なおかつ一話を見て問題なく見れた人なら大丈夫だと思います。旧作を一切見ていないと、終盤よく分からないシーンが出てくるし、ストーリー周りは1話な感じなので。ちなみに、一話がすごい気に入ってしまった!という人には逆におすすめできない。なぜなら、1話で提示された問題は何一つ解決しないので。
あと、差別について真面目に考えている人はやめておいた方がいいです。雑な描かれ方にアレルギー発症します。
続いて、これは大事なことなんですが、この記事を鵜呑みにして、見もせずに知ったような口で作品を叩いたりはしてほしくないということです。私が世界で一番気に食わないのは、エアプで作品を叩くやつですね。文句を言うのは別にいい。でも、見もせずに聞きかじった話だけで叩くのは許せない。
褒めるにしろけなすにしろ、ちゃんと全10話、438分使ってからにして欲しいと強く思います。
■どうにもならない薄っぺらさ
なんていうか、真っ先に思ったのが、「薄っぺらい」ということでした。無神経にいろんな差別描写を混ぜ込んだためにぼやけてしまったストーリー、作中で何度も繰り返される空虚なスローガン。(観客も監督もなんなら登場人物も信じていない本当に虚無の存在です)
物事って様々な側面があると思うんです。政策にしろ、社会問題にしろ。それをいろんな側面から見ていって、初めて立体的に見られるようになる。ところが、この作品はそれを放棄する。尺の問題かは分かりませんが、出てくる要素を一切掘り下げずに話が進んでいくために、奥行きが感じられないんです。
例を上げましょう。作中には怪人排斥団体が登場します。実は私、この団体の描写がめちゃくちゃ良いと思ってまして、変に日和ることもなく、アクセル全開で描ききっているのはナイスポイントだと思うんです。で、その排斥団体が掲げるプラカードに「私は家族を怪人に殺された!」というものがあるんですね。
私はそれを見た時「お!これは重い問題に踏み込むつもりだな?」と思ったんですね。排斥団体にもそうなってしまった理由があるに違いない。きっとこの作品はそこにも切り込んでいくつもりなんだな?と思ったんですよ。
いくら口では平等や人権を訴えても、家族が怪人に殺されたら、果たしてそのままでいられるんだろうか?これは難しい問題です。一体どうやって登場人物に答えを出させるのか……監督の力量が問われるぜ!
なーんて、思ってたら、なんと一切そこを掘り下げないんですよね。え?なんで?そこを描いてこそなんじゃないの!?いや、ヘイト団体に同情させろとかそういうことを言いたいわけじゃなくてさ、こういうのって、いろんな視点から社会問題を描くことで深みを出すものじゃないの?
ちょっとびっくりしてしまいました。この作品、万事そんな感じなんです。怪人が差別される理由も、社会がこうなってしまった理由も、どうして怪人と人間が見分けられるのかも、何からなにまで説明しない。
そして、肝心の差別描写も、かなり雑。おそらく在日朝鮮人差別をかなり意識していると思うんですが、そこに黒人差別を混ぜ込んでしまっているために、かなり変なことになっています。他の方も指摘していましたけれど、これって「それっぽい差別シーンの切り貼り」なんですね。文脈も考えずにそれっぽいものを適当に持ってきた感じ。はっきり言って、腹が立つぐらい不誠実です。
後半で出てくる、ジョージ・フロイドさんを意識したシーンを見た時、ちょっと本気で怒りました。遊び半分でパロディしてんじゃねーぞ。人が死んでるんだぞ。怪人ごっこで消費して楽しいか?
いや、これは本当に社会問題を視聴者に伝えようと思って作ったシーンなんだ。と製作者は言うかもしれませんが、正直な所、それを真面目にやっているとは思えないからこうして腹を立てているんですよね。もっと真剣にやってほしい。
なにが悲しいかって、一話の時点では「これは、正面から社会問題に取り組む作品に違いない!」という期待感が持てることですよ。絵作りもリッチだし、舞台となる街も、やさぐれた光太郎のビジュアルも大変に良い。デモ周りの描き方も非常によく出来ている。
しかし、話が進むに連れて段々それは変わっていく。差別問題を掘り下げることはなく、作者が考えたプロット通りにただ動いていくキャラクター、ヘイト団体はただの悪いやつなので、やっつける。そうですか。
極めつけは観客を置き去りにした演説シーン、「どうしてあなた方は怒らないのか!!」マジでびっくりするぐらいシラケてしまいました。だって描かれないんだもの。当たり前じゃん。描いてないんだもん。監督が。
まあ、こうしてグチグチ文句を言っているのは私ぐらいのもんだと思いますし、大多数の人はそもそも438分もつかってこの作品を見たりはしないと思うんですけれども。ちなみに、私が「この作品に、どうしてみんな怒らないんだ!!」って叫んだ所で、みんなポカーンとすると思うんですけれども、ちょうどそんな感じなんですよね。あの演説シーン。
結論から言えば、差別をテーマにするならもっと本気で取り組んでほしかった。ってことなんですよね。一話で襟元を正して真面目に見る気になった人ほど失望するという奇妙な作品です。気軽に手を出すのは重いテーマだからこそ、しっかりと腰を据えて取り組んでほしかった……。
別にこの作品は差別をテーマにした作品じゃないんで、あくまでも味付けなんで~。って言ってもいいんですけれども、だったら最初から描くなよ。人間の尊厳を味付けに使っていいんか?とちょっと真顔でキレてしまいます。
■良かった所をあえて語ってみる
じつはこの作品、良かったところも沢山あると思っています。これは本当のことなのですが、私は1話を見終えた時、続きが見たくなり、すぐに2話の再生ボタンを押しました。それぐらいのパワーはある。だから残念だった点について語る前に、良いところについても語っておかないとフェアじゃないよなァ~と思ったので先に語らせてください。じゃないとボロクソ言い過ぎるような気がするので。
○リッチな絵作り
まず、なんといっても、映像がいいですね。ドラマじゃない。完全に映画の雰囲気。一話のアーケード街の雰囲気がめちゃくちゃいいです。「あ!俺、こういう雰囲気で仮面ライダーを見たいってずっと思ってた!」って思いましたもん。ここは監督の腕が光っていると思います。
○差別描写のリアルさ
この作品の凄い所であり、同時に不幸な点でもあります。というのも、さっきも書きましたが、この作品、差別自体に関してはわりと適当に考えているフシがあるんじゃないかと思うぐらい雑なんですよ。でも描写はめちゃくちゃリアリティがある。多分監督、人間観察がやたらとうまい。
私が凄いなと思ったのは、最終盤で出てくる「このバスは怪人を乗せるんですかぁ~~っ!」って運転手に向かって鼻息荒く叫ぶ若い女性のシーンです。差別主義者って、みんな割りとガタイの良い怖そうな男性をイメージすること多いじゃないですか。でも、それって一種の偏見なんですよね。差別って何も特別なこと無く、普通の人がやる。女性だってやる。
このシーン、怪人本人に向かって言うんじゃなくて、運転手に向かって言うのがめちゃくちゃリアリティあるんですよね。いや、本当にこういう対応する人いるんですよ。差別対象とは目も合わせずに、店員とかに向かって「これって問題ありますよねぇ!?」って社会正義を盾に文句を言うやつ。
被害者意識の出し方も非常にうまくてポイント高い。この人差別しているって意識ないんですよ。自分が不愉快になったから、被害者は自分なんです。だから不満を訴えるのは当たり前のことだし、周囲がなんとかするべきだ。そういう態度。
あと、喫茶店の店員が「他のお客様の迷惑になりますので」と怪人を追い出すシーン。「規則ですので」とかじゃなくて「他のお客様の~」とくるのがめちゃくちゃポイント高い。そうそう、まじでそういう言い方してくるんですよね。「不快になられるお客様もいらっしゃいますので~」も同様。
スタッフか監督か分かりませんが、とにかく制作サイドの人間観察力、時折異常な精度を叩き出すことがありまして、結果として「全体を見れば雑なのに、一つ一つの描写はものすごい良く出来てる」という不思議な状態になっています。でも、全部の描写を通してみると、ガタガタになっているのが「薄っぺらさ」の原因でもあると思うんですけれども……。
○あまりにも上手すぎる政治家造形
人間観察力が凄い。と書きましたが、それは国会のシーンでも否応なしに発揮されます。特に麻生元総理をイメージしたであろうキャラクターの出来がめちゃくちゃ凄いんです。凄まじい観察力。この部分に関しては「実在の政治家をイメージしたキャラクターを出すな!」なんて人も居るみたいですが、私はそれに関しては問題だと思いません。むしろ真正面からぶつかって欲しい。失礼なのは承知の上。その上で内容に関して、やいのやいの言われるべきだと思います。それが表現の自由ってもんですよね。
逆に言えば、こういうところが上手すぎた故に、「むう!この話はきっとヘビーな話に真正面から取り組む作品に違いない!」と勘違いしてしまったのが私が事故った原因かもしれませんが。
○ヘイト怪人井垣
ヘイト団体の代表として出てくる、拡声器怪人こと井垣。このキャラクター造形が非常に優れています。役者が凄い。すごすぎて今後このイメージに引きずられないかが心配になってくるレベルです。どう考えても元ネタの団体が存在するわけですが、ここで日和らずにアクセル全開で作っていったのは素晴らしいと思います。これがあったからこそ、活動家周りの方面で日和ったんじゃないか?と思える部分があるのは心底残念なわけですが。
なお、井垣、問題点があるとすれば、特に内面もバックボーンも説明されずに終わったことですね。悪人にも理由が~みたいな話を嫌う人もいるとは思うんですが、私は井垣についてもう少し掘り下げたほうが、よりいい出汁が出たと思うんですよ。いろんな事件を通して、井垣のキャタクターに変化が生まれた……と思えた所で、殺す。やっぱりこれが王道ですね。
まあ、あえてそこを描写せず、あくまでも薄っぺらいただの悪として造形するのも悪くないとは思います。これは監督の采配なので、とやかく言うつもりはありません。
(2022/11/5追記)
大事な話を書き忘れていたので追記です。ヘイト怪人井垣の掲げるプラカードがそもそも「嘘」なんじゃないの?という指摘を受けまして、そっちの可能性も色々と発展できる可能性あるな。と思ったので書かせてください
「家族を怪人に殺された!」みたいなのは全部嘘で、井垣は他人の伝聞だけで怒りを燃やしているだけ。この設定はかなり良いところに切り込んでいけると思うんですよ。10年前に国民的漫画ONE PIECEで、まさにその「空っぽの差別主義者」を描いていたんですけれども、ちょうどそんな感じ。
その場合、ぜひ信彦と対比できるように作っていて、「怪人側の英雄の様に描かれている信彦も、実は井垣とそんなに変わらないのではないか?」という嫌な空気を出して欲しいと思います。実際信彦も光太郎も学生運動に参加する前は「特に……」と思想を持っていなかったわけなので。
ただ、残念なことにその描写も一切ないんですよね。井垣の主張が嘘だらけである。という描写はないし、逆に過去パートで、人間に暴力を振るう怪人が一瞬だけ描かれていたりするので、さらに分からなくなってしまう。
井垣、何かあった未来の一市民として描いても、空っぽの差別主義者として描いても、どっちを採用しても掘れる所は沢山あると思うんですが、残念ながら両方ともスルーされてしまいました。まあ、前に書いたことの繰り返しになりますが、監督が特に重要ではない。と考えたのだったら、尺を使わずあっさり退場させてしまうのもまた采配ですが……。
○旧作へのリスペクト要素
意外や意外、これほどやっていながら、旧作へのリスペクトが凄いんです。え?そこ拾う?って所が拾われるんですよね。ただ、逆に拾いすぎたが故に、失敗している部分も……例えば、これ、マジでツイッタで指摘されるまで気がついていなくて愕然としたんですが、終盤、命を失ったBlackをクジラ怪人が蘇生させるシーンがあるじゃないですか。
これ、旧作だと、クジラ怪人秘伝のエキスを使うことでBlackが復活するという展開があるんで、それをそのままやっているんですが、なんと、ここが新作だと一切説明されないんです。
もうね、私なんかは「お!海の洞窟にいくのか!クジラ怪人の汁で復活するのは当たり前だよなぁ!?」みたいな感覚でいたんですが、「初見じゃ分かんねぇよ!!」って言われるとまじでその通りなんですよね。もう完全に制作サイドも「ご存知だとは思いますが……」って感じで出してくる。
また、最終話のOPは、なんと仮面ライダーBlackのOPを完全再現するという手の凝りようで、初見で見た時「ば、馬鹿野郎~~!!」って叫んだあと爆笑してしまいました。旧作ファン、超嬉しい。でも旧作を知らないと「なにこの変な歌?」「ちょっと下手じゃない?」みたいに戸惑って終わってしまうんですよね。……歌の下手さは別にいいだろ!
私としてはツルギバチ怪人とか、オニザル怪人とか、アネモネ怪人とか、小さい頃てれびくん付録の怪人図鑑で見て猛烈に印象に残っていた怪人がちゃんと拾われていたことにちょっと感動しました。ツルギバチ、マジでそんなハチがいるのかと思ってましたからね。(造形がかっこいいんだこいつ)
そして、何よりも変身シーン、5話の「ゆ゛る゛さ゛ん゛ッ!」からの、拳ギリギリ……からの変……身ッ!は本当にテンションが上りました。ただ、作品としてはこの5話の変身がターニングポイントだと思ってまして、ここらへんから急に旧作リスペクト要素が増えてくるんですよね。
しかしこの部分、「旧作をやりたいのか、それとも今回のテーマをやりたいのか」がどんどんぶれてくる原因でもあると思っていまして、非常に悩ましい所です。クジラ怪人を出して再現してくれるのは旧作ファンには優しいんですが、同時に新作で盛り込んだ要素はその分なくなるわけで……。
○キャラクター造形のかっこよさ
仮面ライダーBlackは改造人間である!なんの改造人間かというと、バッタなですよね。で、今作はのビジュアルはその昆虫感を生かした姿で登場します。これが実に良いんですよ。異形の怪物!って感じで。
バッタって実は怖い生き物なんですよ。蝗害って言って、時に大量発生すると、全てのものを貪欲に食らいつくし、世界に死と滅びをもたらす。仮面ライダーBlack(旧作)では、改造される南光太郎の未来を予言するように、大量のバッタが飛来するという鮮烈なシーンがありまして、子供心に猛烈に怖かった。
そんな不気味さを持っていることから分かるように、仮面ライダーBlackってかなりダークな作風なんですよ。主人公も変身する前に、一瞬不気味なバッタ人間の姿に成ってから体を覆う外皮が出来てあの姿になるんですね。
今作ではそのバッタ人間を意識した不気味な姿で登場し、さらに作中で変身することで、最終的な姿になる。過去作の踏襲なんですね。
また、今作の姿には、石ノ森章太郎先生が描かれた漫画版も影響していると思われます。そちらに出てくる仮面ライダーBlackはかなりバッタ人間よりに描かれていて、腕も脇腹に二対余分についてたりします(でもこれって両手両足と合わせて八本になってしまうよなぁとは長年気になっているポイントではありますが)
禍々しさも、ブラックソードの出し方も、非常に良かったです。これは良ポイント。あと、原作にあった噛みつきも再現していて、テンションが上りました。
■ここはどうなのさ?
と、まあ、いいところを語った所で、いよいよ本題の、私が見て駄目だった所です。
○ストーリーのメインは何?
見ている中で気が付いたのですが、この作品、全く別のストーリーが同時進行していて、そしてそれらがお互いに全く関係ないんですね。
・次の王を決めるための戦い
・差別と戦う現代の女子高生と、元活動家の出会い
なんと驚くことにこの2つ、ほとんど関係ない。特に、次の王を決めるための戦いと学生運動は全く関係ないので、「学生運動に参加した若者二人が、偶然、怪人の始祖である創世王の後継者として作られた二人だった」であり、いくらなんでも偶然がすぎます。差別の話に至ってはマジで関係がない。
実は一つ一つの要素は悪くないと思うんです。次の王を決めるための戦いは旧作からの要素ですし、どう料理しても美味しいネタです。(運命に導かれた戦いが嫌いな人なんています?)
差別の話も、怪人という異形の存在と社会との付き合い方を描く上で、色々と展開を考えることができるネタです。
そして、学生運動。正直私は、このアイディアはかなりいいと思ってみてました。学生運動って、結局は失敗したんですよね。(注・成功したと主張する人もいますが、この作品の中では明確に失敗しています)かつて、正義と信じているもののために戦ったが、その結果は尊い命の犠牲と、暴力の連鎖。そして、かつての仲間は体制と癒着している……。
正義と信じてスタートした活動が、いつのまにか悪の組織に成ってしまった……。皮肉です。なんていうか、仮面ライダー映えする設定です。
かつての戦士は現実を知って打ちのめされ、やさぐれた毎日を送っている。そこにある日転機が訪れ、かつての仲間と戦うために、老骨にムチを打ち拳を握って、――変身!
おお!!!めちゃくちゃいい感じじゃないですか!この設定だけで相当面白くなりそうですし、実際これまわりのストーリーは非常に良いんですよね。
問題はそこに、創世王とかサタンサーベルとかが、まったく馴染まずに絡んでくることで……。はっきり言って邪魔です。水と油みたいに全然混ざらない。
あの、これどれか一つに絞りませんか?
学生運動からの、青春に決着をつける。みたいな話にしたいんだったら、はっきり言って運命の二王子設定は邪魔です。むしろクジラ怪人とかコウモリ怪人とかのモブとして生まれ学生運動に身を投じた。みたいなキャラクターの方が映える。
なんていうか、他の部分でもそうなんですけれれども、旧作の要素に加えて、思いついたアイディアをポンポン入れていった結果収拾がつかなくなってしまった感じなんですよね。
○差別されている可哀想な怪人なのか、日本を裏で操る怪人なのか
怪人をどう描くか。今作では「差別される対象」として描いています。それは良いんですが、問題はそれと「政財界に深く食い込んだ秘密結社ゴルゴム」という旧作の要素が混ざった結果、「差別されている可哀想な怪人」「日本政府の中枢に入り込んだゴルゴム」が両立するという大変奇妙な構造になっています。
偶然にも、ネット右翼が言うところの「日本は在日朝鮮人に支配されているんだ!」という言説をそのままなぞってしまっていて、危険な感じになってます。実際、統一教会という韓国系の宗教団体が政権とズブズブな一方、それとは全く関係ない韓国系の人が風評被害を被ったりしているので、案外現実に似ているといえばそうですが。
これ、監督の問題点だと思いますが、被差別者を絶対的な正義として置いてしまっている部分があるんじゃないかと思うんです。実際はどんな陣営でも内部でのゴタゴタがあったり、お互いに差別し合ったりと、非常に複雑な構造があるわけですが。しかし、それを上手く描けないから、怪人は被害者で固定している。だから、政権と癒着しているゴルゴム幹部だって首相にいびられる。パワーバランスがマジでわからない。
旧作の様に、創世王の下に3幹部がいて、政財界のお偉方とはお互いの利益のために結託している。という設定の方が遥かにスッキリ行ったと思います。学生運動に絡めるなら、創世王はもうカットしてしまい、幹部は下級怪人のことなんて忘れてすっかり体制側に染まっている。みたいな方が良かったんじゃないのかなと思うんですよね。
○無能な悪役よりさらに無能な登場人物
堂波首相は本作における悪役です。政治家の家に生まれたボンボンであり、現首相。怪人を作って売りさばいたり、ゴルゴムの幹部をイビったりととにかく忙しい人です。しかし、この堂波、徹底的に無能なんですよね。特に極めつけが、シャドームーンがクーデターを起こしたことを報告されるシーン。
「そんなもん俺に報告してどーすんだよ!」とパワハラして、ノコノコとシャドームーンの所にいき、あっという間に部下を始末されてうろたえます。
スーパー無能ですね。状況判断が全く出来ていない。監督は無能な悪役を描きたかったのでしょう。それはわかります。しかし無能であればあるほど、「こいつに支配されてた怪人ってなんなの?」という疑問が湧いてくるんです。
「ユダヤ人は劣等民族でこんなに劣っている。という主張をしながら、ユダヤ人は俺たちを支配している。と主張する右翼」という「相手が劣っているということを証明すれば証明するほど、それに支配されている自分たちの株が下がっていく」というネタがありますけれども、対立する相手のことを徹底的にこき下ろす手法ってやっぱ幼稚なんですよ。中学生のメンタルというか。
このキャラクターは明らかにモデルがいるので、監督は多分モデルになった人物のことが嫌いだったんじゃないかなと思うんですが、そこで、じゃあ徹底的に無能なキャラにしちゃうぞ!!という判断をしてしまうのがあまりにも痛々しい。黒歴史ノートを見ちまったようなもんです。Blackってそっち!?
シャドームーンがクーデター起こして一瞬で立場逆転できるんだったら、堂波はもっと前にパワーバランス逆転してただろ!!!みたいな部分があり、解像度が一気に下がります。
例えば、堂波が創世王を秘匿していて、その居場所を誰にも教えず、エキスも独占しているため、怪人は逆らえない。とかだったら、分かるんですよ。
「俺を殺してみろぉ?創世王は行方不明になるし、エキスも手に入らないだろぉ!」
みたいな。こうなると、ゴルゴムと堂波の間で創世王を巡る駆け引き……なんてのがあってもいいですし、創世王奪還でイベントも作れる。後半創世王をシャドームーンが奪還して、一気に状況が変わる!とかだと大変スムーズに物語が進むんですが、現状、ほぼフリーパスで創世王の部屋に入れたりしますからその線は使えません。(どうしてこうなったの!?)
または堂波はそのまま無能据え置きで、ダロムを始めとする三神官がスキャンダルを盾に一蓮托生で堂波を影から操っているみたいな旧作を意識した感じにしてもいいかもしれませんけど……。
○ヘブンの設定、何?
作中ででてくるヘブン、創世王のエキスと人肉を混ぜたものなんですが、怪人が接種すると若いままでいられるという、陰謀論者が語る設定みたいな代物なんですが、割とよく分からない存在です。旧作にはないし……。明らかにシャブのことだ!という解釈も見かけたんですが、どうにもしっくり来ず。
ぶっちゃけ、これ無くても変わらなくない?と思うところはあります。シュンスケが復活する所ぐらいですか?まああそこも致命傷負わせなきゃいいし……。(大体結局死ぬわけで)
怪人が人肉を摂取する必要があるのだったら、それは人間と対立する原因にもなると思うんですが、そこらへんは描かれないし……。これも、思いついたアイディアを片っ端から入れていったって感じでしょうか。
○旧日本軍が作った改造人間
予め言っておきますが、この設定は悪くないです。たしか漫画版にもあったんじゃないかなと思って探してみたんですが、意外にもない設定でした。覚悟のススメ等の作品の影響が強すぎて、当然だろ?とか思ってましたが、違ったんですね。山口貴由先生、やっぱすげぇや。
まあそれはともかく、この設定のためにサタンサーベルやらなんやらの設定が欲わからないことになっているんですね。いや、無理やり解釈しようと思えば行けるんですが……。太古から続く因縁!みたいに盛り上げているのに、実際はそうではないので混乱してしまう元になっているんですね(旧作ファンは特に)
オカルトを研究したナチスドイツのように、旧日本軍が日本の旧村に隠れ住んでいた怪人(古くは妖怪と呼ばれていた)に目をつけ、創世王を強制徴用。怪人を解剖して分かった結果をそのまま兵器に応用しようとしたが……みたいな展開じゃだめだったんですかね。そうしたら、全部の設定に筋が通るのですが。しかしこうなると、石仮面を兵器にしようとしたナチスが出てくるジョジョみたいになってきましたね。
○ひょっとしたら自分も差別者になっていたかも……
この世界に生まれて、家族を怪人に殺されていたら、俺ももしかして拡声器を持って街を練り歩くようになっていたかもしれない……。
と、一切感じさせないのは逆に天才的なんですよね。この手の作品でこんなことある!?
ヘイト団体は、一切内情とか明かされず、とりあえず悪いやつなので雑に殺しておく。「もしかして、自分もこうだったかもしれない……」と視聴者に思わせてストレスを感じさせない親切設計です。藁人形に向かってプロレス技をかけて大盛りあがり。だれも自分が藁人形の立場であると考えないので、やいのやいのと歓声を送る。大人向けと言っておきながらなんでここだけ子供番組の質感になってるの?
○はやく改造人間になりたーい!
改造人間周りの設定、第1世代は改造された記憶あるから証言できるやろ。とか色々と言いたいことがあるんですが、視聴者を混乱させるのはやっぱりニックの存在。そもそもあまりにも自由すぎるキャラクターなんですが、「俺を改造人間にしてくれ!!」と言って葵を裏切る。
ここがマジでよく分からないというか、一貫性がないから視聴者が混乱してしまう。旧作だと、怪人になれば5万年の寿命が手に入るので、政財界の大物がこぞってゴルゴムに媚びる。(怪人も様付けで呼ばれる高待遇)という設定があるんですが、うっかりそれを引きずってしまったような感じがあります。
そして、葵も改造人間を否定するのがよく分からないし、実際の差別とリンクさせるとおかしなことになる。
「お前を黒人にしてやろう!」「うわー!やめてくれー!!」
なるか????自分に置き換えて考えてみましたけど「え?俺が黒人に?……まあ、いきなり姿が変わるのはびっくりするけど、そんな困るものでもないし……」ってなるし、それが在日朝鮮人でも同じことでは……?
というか、「お前を在日朝鮮人にしてやろうか!!」「うわー!やめてくれー!」って展開、はいくらなんでも失礼でしょう。せめてもっと考えてからやってくれ。特に隣に「俺を改造人間にしてくれ!」ってやつがいる状態でやるなよ!わからないよ!
真面目に差別について考えている人ほど、怒り出すシーンだと思います。
このシーン、意図的には「口では差別反対と言っている葵だって、差別対象を見下してんだろ!」という意味のシーンと考えると完璧に筋が通るのできっとそうなんでしょうけれども、やっぱり隣にニックがいるのがノイズすぎる。何なの????
○人権活動家に現実を「分からせる」
はっきり言って、監督、この葵ってキャラクターのこと嫌いなんだと思います。というかストーリーの流れは完全にそうなんですよね。
甘っちょろいスローガンを振りかざす人権活動家が、真の男、南光太郎に出会って変わっていく……という話なので。ここに「国連で演説する少女に現実を分からせてやるぜ!」みたいな嫌な欲望を感じるんですけれども。まあそれはともかく、明らかにストーリー的にはそうなのだけれども、作中でそれが全然描かれない。というのが混乱するポイントだと思うんですよ。
思うんですけれど、監督、日和ったんじゃないかなと。だって、人権活動家って揶揄するといろいろな所から怒られそうなので。なので、日和ってそういう描写は抜いた。でもストーリーはそのまんまなので、余計にわかりにくくなっているんじゃないかなと思うんです。
はっきりいって、めちゃくちゃ残念です。初期の葵をもっと独善的なキャラクターとして描けていれば、その分、南光太郎と接することで生まれる変化もさらに味わい深くなったはず。最後のオチも、「国連で演説したけれども結局何も変わらない」感を出せていればいいのに「オーマイガッ!」みたいな反応にしてしまったために、最後の流れが事故ってる。
ヘイト怪人井垣や、国会の真似が凄い出来だった分、「物言えぬ空気、言論の自由ってなんなんだろうな……」と神妙な顔になってしまいます。結局、悪口を言っていい空気が出来ているやつにはボロクソ言えるのに、世間で良いものだ。とされているものには及び腰になってしまうというか。端的に言ってダサすぎる。言いたいことがあるなら、しっかり言うこと。それで叩かれたり、文句言われたっていいんですよ。表面だけ取り繕うよりはずっと良いと私は思います。もっと勇気を持っていいんやで監督!
まあ、「人権活動家に現実を分からせてやったぜーーー!!」という内容が果たして視聴者に受け入れられるのかは別問題ですが。
○ペラッペラのスローガン
「怪人も人間も命の重さは地球以上、1gだって違いはない」というやたらと長いスローガンがありまして、作中でも何度も使われます。
が、はっきり行って、監督はかなりこのスローガンに対して悪意を持っている使い方をしていると思うんですよね。つまり「脳内お花畑の連中が掲げるスローガン」として考えているっぽいです。
だって、作中でバンバン命は失われるし、葵が演説している後ろで警官隊は景気よく殺されるし。この件に関して「怪人も人間も命の重さは同じだから人間を殺してもいい!」みたいな意見も目にしたんですが、随分と軽い地球もあったもんです。それは明らかに違うでしょうよと。そういう誤解を招くぐらい作中での扱いが軽いです。
やっぱりこれも薄っぺらさの原因だと思うんですよね。「あいつら頭お花畑だぜ~~!」と揶揄したいがために、持ってきたとしか思えない。
どんなに現実離れしたスローガンでも、どんなにキレイゴトでも、それを信じて最後まで突っ走るやつがいれば、それは作劇上意味があると私は思うんです。
「仮面ライダーは人々の自由のために戦うのだ!」
へっ!キレイゴトじゃねえか!現実が見えていないぜ!って言うのは簡単だし、それをくさすのも容易にできることだと思います。でもそれを貫いてこその仮面ライダーじゃないの。って思うんですよね。
葵がこのスローガンを信じて、どんなことがあってもこれを支えにして生きていく……という流れだったら、葵もまた自分の信念を貫き通したのだ。と納得できるんですが、実際はそうなっていないんですよね。結局監督の逆張りが勝ってしまったというか……これ、どうにかならなかったんですかね。
○国連に頼る歪み
昔から気になっていることがあります。どうしてみんなそんなに国連を神聖視するんだろうと。いや、国連、悪い組織じゃないと思うんです。あれがあるおかげで紛争を避けられている面もありますし、非常に大きな役割を持っていると思っています。
でも、結局は国の連合体なんですよね。「国家は信用できない」「政府は信用できない」という人が「国連で演説して世界を変えよう」と考えてしまう所に私は大きな歪みを感じています。国家は信用出来ないのに、その集合体である国連は信用できるの?おかしくない?って。
権威主義っていうか、他力本願というか、そもそも「国連にお願いしてどうにかしてもらおう!」の国連の部分を、学校の先生とか、お殿様とか、水戸黄門とか、理解のある彼くんとか、神様とか、いろいろ置き換えることが出来ると思ってまして、それってどうなの?と思っているわけです。
でも、これ一種のジレンマでして「だから俺は誰にも頼らないで自分の力だけを信じるぜ!」となると、南光太郎のように荒野で生きる限界中年男性になってしまうんですよね。一人の力には限界がある。実際に世の中を変えるのは世に訴えかける葵の方なんですよ。
だから、その対比が来るのかな~と思っていたんですが、来ないんですねそれが。
クライマックス、葵が「国連で演説する」というシーンがあります。怪人の謎を暴露する。というシーンなんですが、大盛りあがりしている演出とは裏腹に、結局この演説、意味がないんですよね。
だって、葵は最終的に言論ではなく暴力で戦うことを選ぶので。
このストーリーでいくなら、この国連のシーンは大失敗に終わっていないとおかしいわけです。葵が必死に怪人のことを暴露するも、「フェイクだ!」と言われ、嘲笑され、誰にも信じてもらえない。だからこそ葵は言論を捨てて、暴力を選ぶ。
これだったら筋は通るんです。ところが演出はそうなっていない。国連での演説は大成功しちゃう(世界の人間が驚く日本!みたいな安い演出が入ってむず痒くなります)
国連で演説して解決。というゴールがあって、そこを動かせなかったからこその違和感だと思うんですが……。
○総理にダメージ入ります?
総理関連のスキャンダル。「祖父が怪人の誕生に関わっていた!」というものなんですが、作中で出てきた瞬間、私は「いや、そのスキャンダルはまだ弱い!もっと本人が関与している証拠を掴まないと!」と思ったんですよね。(というか現在進行系でやってるし……)
だって「祖父がしたことを私は知らなかった」「家族にも秘密にしていた」って言えば簡単に乗り切れるネタなので。
ところがどっこい、作中ではビルゲニアが「これは政権が吹っ飛ぶぞ……!」なんて盛り上げてくれるので、「??」ってなるんですよね。なるか?それで??実際ジェネリック麻生大臣にも「しばらくすれば国民も忘れる」と言われて、実際にその通りの始末なので……。
この疑問についてつぶやいたら「実際の国会でも似たようなネタで騒いで結局なにもならなかったわけで、逆にリアルなのでは?」みたいな意見を頂いて、たしかにその通りかも……と思ったんですが、だとしたら、作中で「これは政権が吹っ飛ぶぞ!」と演出されてたのはなんだったんだっていう話なんですよね。
他の所でも見るんですけれども、前フリしておいて、別にそんなことはなかったぜ!みたいな不発が来るので、かなり脚本に不安を感じてしまいます。
○感覚の古さ
国連周りもそうなんですけれども、とにかく感覚が古いように見受けられます。中でも、インターネットがほとんど出て来ないのがかなり不思議な感覚です。間違いなく今の差別の本場はインターネットなので。まあ、この世界ではインターネットはそれほど発達しなかった。という設定にすれば無理はないですが、葵はどうやらチャンネルを持っているみたいだし、これは端的に監督がインターネットに詳しくなかったからなのでは?と思ってしまいます。
ただ、これは詳しくもないのに取り入れて盛大に事故るよりはいいかな……と思っていまして、なんでも自分の得意分野に持ち込むのは正しいスタイルだと思っています。
○パンチやキックで解決できない問題にライダーはどう立ち向かうのか?
第一話を見た時、自分は真っ先にこう思ったんですよね。同時にすごい期待感を抱きました。
アメコミでも、スーパーマンが、力では解決できない問題を、クラーク・ケントとして記事を書くことで解決しようとするように。バットマン・ダークナイトのバットマンが、ハービー・デントにゴッサムの未来を託すように(失敗しちゃったけど)。こういうテーマって今までもあったわけじゃないですか。ヒーローが暴力で物事を解決しようとしても限界がある。北風と太陽のように、ヒーローが解決できない問題を解決する人が必要なんだ!って。
だから、きっと、そういう葛藤を見せてくれるものだと思ったんです。一話の段階では。んで視聴していたわけです。
……いや、パンチやキックで解決するんか~~~い!!!!!!
もうね、ここでズコーッ!ですよ。海外産のコンテンツと比較するのは良くないとは思うんですが、最低限そこだけはやってくれると思っていたことがスルーされちゃったので、盛大に事故ってしまいました。
といっても、当然、パンチやキックで解決できない問題なので、シャドームーンが暴れた程度ではうまくはいかないんだろ……とか思ってたんですが、その後、クーデターがパンチやキックでうまく行っちゃうのもすごすぎる。いけたんだ……?
ただ、ここまで来たあたりで、私は思いました。「きっと、パンチやキックで解決できない問題を解決していくポジションとして葵がくるんだろうなぁ……」と。
南光太郎はかつて学生運動に関わって、そして戦いに失望したわけですよね。かれは暴力で解決できなかったことを身をもって知っているわけです。それでも今更生き方を変えるわけにはいかない。だから最後の最後まで戦うしかない。このキャラクター造形はいいと思うんですよ。間違っていることは知っている。でも俺にはこれしかないんだ。せめて後の世代のために、この時代で因縁を断ち切る――変身ッ!みたいな。めっちゃアツいじゃないですか。実際そんな要素は含まれています。
んで、葵はブラックサンとは違う世代なので、それとは別の道を選ぶ。その道は険しいかもしれないけれども、南光太郎の意思を胸にいだいて、きっと社会を変えていくことができるだろう……。
ってなると思ったんです。ならなかったんだけど。
いや、葵もパンチやキックで解決するんかーい!!!!!
なんなんだこれは……。いや、監督がですね「キレイゴトで物事は解決しねぇんだーッ!死ぬまで戦うしかねぇんだよぉ!」と考えているなら、このラストでいいんですが……。だったら、葵周りの前フリはほぼカットでも良かったよね。という問題が発生します。
■最後に、これはフィクションだから
つらつらと書いてきましたけれども、最後に大事なことを一つ。
この作品はフィクションです。だから現実の世界とは関係ありません。
だから作中で描かれる差別が現実のものとリンクしないのは当たり前のことなんですよね。言ってみれば、「仮面ライダーになにマジになっちゃってるの?」という話でもあります。それは分かります。
でもさ、だったら「これは現実に起きている問題なんだ!」って叫んだり、実際に人が死んでいる事件を取り込むのはどういうこと?って思うんですよね。まあ、それでもいいと私は思いますよ。「差別に対してなにマジになっちゃってるの?」と宣言するのも自由だと思います。受け入れられるかはさておき。
都合が悪くなれば「これはフィクションだから」と予防線を貼った状態で、現実の差別について語り、「これは現実に起きている問題なんだ!」と叫ぶのは端的にかっこ悪いですよね。流石に監督もそれをわかっているだろうし、だからこそ、本気で取り組んでくれたと信じたいのですが、本気の結果がこれなので、やはり反発してしまうわけです。
ライダーごっこをやりたいのか、重いテーマをやりたいのか。本当は監督はライダーごっこをやりたかったんだと思います。後半になるに従ってその要素は強くなってくると思いますし。だったら、それに正直になったほうが良かったんじゃないでしょうか?
ということで色々と書いてきましたが、分かって頂きたいのは、表現は自由ってこと。
総理を揶揄するキャラクターが出てきたから問題あり!みたいな意見を私は一切支持しません。失礼なのと、作劇上意味があるのは別問題なので。
んで、その表現に対して、怒るのもマジになるのも文句を言うのも自由ってことです。なので、色々と書かせていただきました。
ここまで書いてきて思うんですけれども、監督はやっぱり自分の得意分野で勝負するべきだったじゃないかと思うんです。下手に差別に切り込んで持て余すぐらいなら、そこの要素は最小限にして、光太郎と信彦の因縁の戦いにフォーカスする!そんな風に割り切ったほうが良かったんじゃないでしょうか。そんなことを思う作品でした。以上です。
(2022/11/05・追記)
予想以上に沢山の人に読まれているようなんですけれども、このNOTEを見て「ブラックサンは悪い作品なんだ!」と捉えれると困るなと思ったので追記させて下さい。
似たようなことはすでに書いていますが、表現は自由ですし、それに対する感想も自由です。でもあくまでも感想でしかない。
正しい、間違っているの話ではないんです。この記事では良いところも書いたつもりです。マイナス要素よりプラス要素が上回れば、当然高評価になる人だっているはずです。実際私だって、いくつかのシーンはいいな!と素直に思いましたし。それは書いた。気持ちはすごく分かる。
感想は自由なんですよ。人間なんて千差万別、バックボーンも違えば、普段から考えていることだって違う。だから、違う感想が出て来たっていいし、その感想には良いも悪いもないんです。
私個人で言えば、長々と書いてきた理由が積み重なって事故ってしまいました。だからそれを正直に書いたつもりです。一話を見て、襟元を正しすぎたのが悪いのかもしれませんし、案外自分で思うより、活動家よりの精神だったのかもしれません。ちょうど、作中の信彦や葵が他人の怒りにフリーライドして活動してしまうように、私も「差別をこんないい加減に使うな!」と怒ってしまった面はあると思います。
逆に言えば、作中の活動家って外から見ればこんな風に見えているってことなのかもしれませんけどね。
私が懸念しているのが、「面白い、面白くない」「評価する、評価できない」という話から、「善い悪い」の話になることです。
「つまり、こんな作品を高評価しているやつの人格を疑うぜ!!」みたいなことを言う人が出てくるってこと。「ブラックサンは作中の差別描写をゲラゲラ笑って流せる"大人"向け作品だ!」みたいな話が出てくるんじゃないかなと思っています。でもそれっておかしい話だと思うんですよね。
別にどんな感想を持った所で自由だし、いろんな人間がいるから当たり前のことで、それに対して人格を否定してもなんにもならんでしょという。
だから、そういうのはマジで止めて欲しい。作品を見もせずに文句を言うやつとか、自分以外の意見を認めないやつに、私は毎度毎度腹を立てているので、広がる前にしっかり追記しておこうと思います。
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