見出し画像

奥山田の神輿流失事件簿

図書館の郷土資料コーナーで心奪われた薄い小さな本がありました。
タイトルは「天狗様が住む村」

何だろう、人間界とは違う世界線が好きな私は天狗様というワードに惹かれました。
中を開くと、”はじめに”の文章に

これらが、私達の子供達の心のなぐさめの一端となり、ふる里を愛する心の糧となり、さらには、彼らが彼らの子供達に語ってやれる糸口となるよう念じているものであります。

と素敵なことが書いてあり、最後に奥山田地区の方と荒木地区の方のお名前が書いてありました。奥山田の方はお世話になっている方のお父様でした。
(ちなみに私は奥山田に移住して6年です。)

目次を見ると「神輿流失」というタイトルが。すごく簡単に書くと↓


奥山田に立派なお神輿があった。
或る年、この地方一帯に毎日雨が降り続き、家屋が流されるほどの大洪水に見舞われた。
その時の洪水で氏神様にお祭りしてあった神輿までもが濁流にのまれ、川下まで流されて行った。
そして、二里余り離れた所の江州大石に流れつき、これを大石の人々が濁流の中から拾い上げ、社を建ててお奉りしたという。
(2つ伝説が残されているが、今回はこちらの伝説のみご紹介)
その後、数年を経て、村はもとどおり再建され、神輿を返してもらいに大石へ行こうという話になった。
村から30数名選び出し、大石へ向かった。
ようやく大石の神社に着き、預けた神輿を返してくれるように頼みこんだが
大石の人々は返してくれなかった。
結局諦めて帰る奥山田の人々。
ところが、帰り道に不思議なことが起こった。
正体不明の病に取り憑かれ、ひどい高熱を発する者、吐き気を催し、あまりの痛さに腹を抱えこみ一歩も動けない者など、何かの祟りではないかと恐れながらも
ようやく村に辿り着いた。
しかし、村人達は納得いかず「あの様に立派な神輿は、そうざらにあるものではない、何としても取り返さねば」と、再び一行を組織し、江州大石に出向いて行った。ところが、先程奇病におそわれた同じ場所にさしかかると、またもや不思議なことに奇病を発し、病の恐ろしさと気味悪さに震え上がり、神輿を取り返すことを諦めた。
村人達は、「これはきっと神様のお告げで、神輿も大石の村が住み良くて奥山田に帰りたくないのだろう」とうわさをした。
この様な話が、のちのちまで語り継がれ、今なお大石の神社と奥山田天神社との交わりは深く、神輿流失をしのばせている。

天狗様の住む村より一部引用

奥山田から大石に立派なお神輿が洪水によって流れて行ったとな。
そこで、私、YAMAPさんの流域地図を見ました。

まさに、奥山田から川の流れは大石に向かっていました。
そうやって流域地図をみると
あぁ、うちの前を通っている川は、大石の方に向かって瀬田川に合流しているのかぁと改めて知ることができました。
流域おもしろ〜。県またいで繋がってる〜。

奥山田は淀川水系、瀬田川流域、大石川支流流域、奥山田川支支流流域、というらしいです。
ようやくこの記事を書きながら自分の居る場所の流域が分かってきました。

そして、気になりますよね。
その流失したお神輿、大石の神社にまだあるのか。。

著者の方に連絡し聞いてみたところ、今は神輿はないそうですが、神輿塚があるそうで今でも、奥山田天神社の代表団が神輿塚に毎年お礼参りに行くそうです。
その神輿塚があるのは、滋賀県の大石にある佐久奈度神社にあるそうです。

そうだったのかー!奥山田に住んで6年。
知りませんでした。
なにこれ楽しい!
他にも面白そうな伝説、言い伝え、昔ばなしがありました。
昔の物語を知ると我が町に愛着が湧くのは間違いないですね。
(ころ柿のお話は恋愛話でしたよ)
一度、この本を出版した奥山田と荒木の方にお会いしてお話を伺いたいと思います。

この記事を書いた人→ユイ

流域探検隊うじたわらMAPでみる


いいなと思ったら応援しよう!