『"自由"になる事とは、選択出来る"人生のサンプル"の多さだ』
『ファイト・クラブ』(1999)
☆監督
デヴィッド・フィンチャー
☆出演
ブラッド・ピット
エドワード・ノートン
ヘレナ・ボナム=カーター
ジャレッド・レト
☆STORY
主人公の“僕”は都会の自動車会社に勤務する若いサラリーマン。
雑誌やテレビで紹介されるようなライフスタイルに憧れて北欧製の家具を買い漁るも、理想を追い求める生活に疲れて不眠症に悩まされている。
そんなある日、出張時の機内でタイラー・ダーデンと名乗る自由人と出会い、意気投合してバーで酒に酔ったあげく、殴り合う。
そんな肉体の痛みに奇妙な爽快感を覚え、彼らを中心に同じようなモヤモヤを抱えた人々が集い、”ファイト・クラブ”という殴り合いのグループに発展。
タイラーはそのカリスマ的なリーダーとなる。
一方で、自由奔放で皮肉屋の女性マーラが彼らの生活に介入。
“僕”は彼女を嫌っていたが、タイラーは彼女と寝る仲になり、ふたりの男の友情はぎくしゃくし始める。
やがてタイラーは自家製の爆弾を武器に、仲間を率いて文明社会への攻撃をしかけようとする。
テロも同然のこの計画を、“僕”は阻止しようとするが……。
☆感想
原作は1996年に発表され、当時の若者の等身大の感情をバイオレンスとともに切り取ったチャック・パラニュークの同名小説。
当時「ファイト・クラブ」の映画化はあまり期待されていなかった。
そこで『トレインスポッティング』の監督ダニー・ボイルに持ち込んだが、ベストセラー小説『ザ・ビーチ』の映画化で実現できなかった。
そこで名前が上がったのがデヴィッド・フィンチャーで、彼は『エイリアン3』でシリーズ最大の失敗作というレッテルを貼られていた。
まあ、当時はスタジオの意向を反映せざるを得ない新人監督だったので、できることも限られており不評も致し方ないけど…。
その反省を活かし、彼自身のビジョンに則った作品を撮ろうと決意し、非メジャーのスタジオで創作の自由を得て完成させた『セブン』が大ヒット。
メジャーに再昇格して手がけた『ゲーム』(97)も好評を博し、とにかく勢いに乗っていた。
そこからこの『ファイト・クラブ』という映画が生まれる。
1番観た映画といっても過言ではないこの映画は
映画人生において、最も転換点だった映画とも言える。
ここでタイラーの名言をいくつか挙げると
「すべてを失って、初めて真の自由を得る」
「君たちは伸びるべき可能性を潰されている。
宣伝文句に煽られては要りもしない車や服を買わされる。
世界大戦も恐慌も経験していないのに、毎日の生活は大恐慌だ。
テレビは“君も明日はスーパ―スターか億万長者”と言うが大ウソだ。
そんな現実を知り、俺たちはムカついている」
「職業がなんだ? 財産がなんの評価になる? 人は財布の中身でもファッションでもない」
アメリカン・ニューシネマの名作であり、僕の最も好きな映画の5本に必ず入る『イージー☆ライダー 』で、ジャック・ニコルソンが
「金のために生きているヤツは自由にはなれない」
という名セリフを残した。
それをより具体的に、現代的に語ったのがブラッド・ピット演じるタイラーダーデン。
彼が説く"自由"とは金や物、地位や名誉に縛られている現代人とは対極にある。
自由人とは、つまりはそういうことだ。
そして、彼らのファイト・クラブは暴力的ではあるが、いわゆるバイオレンスとは少々異なり、重要なのは殴ることではなく、殴られること。その痛みをとおして、彼らは自分が”生きている”ことを実感する。
それをヒロイン、マーラを演じたヘレナ・ボナム=カーターは、こう分析する。
“これは痛みなしに、精神を死に追いやる社会に対しての、必死のメッセージよ。
と。
ここから本題なんだけど
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