私が勝利至上主義である理由
おはようございます。今回はスポーツで私は勝利が一番大切だと考えています。その理由について述べていきたいと思います。
なぜ私が勝利が大切だと感じるかというと、そもそもスポーツは勝つために存在してるのだと思います。(私個人としては)ですがこれは至極当然のことだと思います。負けたいと思ってスポーツをする人がいるでしょうか。勝っても勝たなくてもどちらでもよいという人はおそらくスポーツに向いていません。それに勝てるチームは魅力的であり敗者はとても惨めです。
みなさんのなかにはそんなことはないと考える人も少ないと思います。人間性を育てることが一番だと考える人もいるでしょうし、団体行動を通して立派な人間なる等あるでしょう。しかしこれらのことはスポーツをするうえでそれほど重要ではありません。私は勝利を目的としないのであれば、スポーツをする意味はないと考えます。(痩せる等の理由は除く)ですので大学のサークルのスポーツ等は好きではありません。
もちろん人間性をよくすることを否定しているわけではありません。それらも大切なことです。しかしそれらは勝利をするという目的を達成してからの目標であり、勝利できない団体が重きを置くことでありません。皆さんは私が言い過ぎであると感じたでしょう。しかし社会もこのような仕組みなっています。
仮にみなさんがお金持ちになりたいとして、まず初めに考えるのはどうすればたくさんお金を稼げるかということです。そこに甘えや妥協や同情は必要ありません。そんなことをしていては人よりお金を稼ぐことができないからです。ここではあなたは、そのような甘い考えを捨てて日本で上位に入るほどのお金持ちになったとします。するとあなたは周りの人間によく思われないでしょう。金のためなら何でもする、冷徹な人間だなどといわれるかもしれません。そこでお金持ちはカンボジアに井戸を作ったり、学校を作ったり、環境問題のスピーチをしたりすることによって、自分は利益のためだけに行動していないと思わせるようなことをするのです。
今この例で伝えたかったのは、大切なのは流れなのです。お金持ちになるという目的を達成したのちに、社会から見ていい人とというレッテルを獲得していることです。つまりスポーツ話に戻ると、勝利することができる、そののちに人間性等を育てればいいということです。
私は勝てなかった人たちにこれまでやってきたことは無駄じゃないよ等の言葉は嫌いです。はっきり言って勝てなかったら意味ないです。
私はなんとなくスポーツをしている人にこのようなことは言いません。しかし、何かしらの目標がある人には強く言いたいです。その目標を達成したいのであればどうするば目的を達成できるのかを深く考えるべきであると思います。今あなたがスポーツをやっていて目標があるなら、その練習が目的を達成するために本当に必要なのか再度見つめなおし、何が足りないかを考える必要があります。
あなたがもし監督であるなら上記のことを思考し、選手であってもする必要があります。勝利は簡単には手に入りません。全員が勝利に飢えた時に、初めて勝利することができ、それが真に価値のあるものであると感じれるはずです。
勝利なきスポーツに価値なし
今回はここまで。皆さんの勝利を願って、アーメン。