愛されていて、恵まれている。
そう思うと自然と会話でき、大きなやさしさに包みこまれる感覚になった。
愛も幸せもやさしさも、すでにそこにあるんだ。
やっと腑に落ちた。
ここまで長い時間がかかったなあ。
もう生きてるだけでいいや。
仕事できてること自体が奇跡。
感謝の気持ちが溢れてくる。
ここ1,2ヶ月くらい、心にも身体にも余裕がなくて、仕事もしんどかった。
全然楽しくないし、やりがいも感じられなかった。
商品製作もいつも焦ってつらくなってた。
それが今日、先輩に見られても緊張せず、製作ができたんだ。
しかもしゃべりながらやった。
マルチタスクが苦手な私は、話しながらなんて考えられなかった。
それかつ製作したものもかわいいと言ってもらえて、
何かを乗り越えた感じがした。
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昨日のグルコンで発言した。
私は今まで自分の考えを言うのが怖くて仕方なくて、
笑われるのが嫌だった。
高校生の頃、古文の問題の答えを間違って笑われ、
以前いた会社では、とことん話し合い落としどころを見つけるといった、
仕事への姿勢をバカにされた。
ちょっとしたことかもしれないけれど、心に残るくらい私には強烈だった。
でもこのコミュニティでは発言したい!シェアしたい!と思えるようになった。
まだまだ話を広げることは苦手だけど、それでもしっかり聴いてくださるみなさんがいて、私はとても安心できている。
グルコンのときは特に仕事で起きた嫌なことが嘘かのように本来の温かい自分でいられる気がする。
ポンコツだし人間力ないけど、それでも向き合ってくださるみんながいるおかげで私は生きていられる。
ありがとうございます。
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今日気づいたのは、私って本来はひとりで行動したくて、勝手に成長を感じていたいんだということ。
たしかに自閉的な部分はあるけれど、ひとりで自由に表現できる場っていうのが必須。
絵を描いていたときやジグソーパズルをしていたとき、そこには私しかいなかったけど、時間を忘れるほど没頭していた。
ひとりが好きなんだけど、上手くできると自慢したくなったり、誰かに話したくなったりっていうのはあったなぁ。
本当はあたたかくて誰かを応援できるような、そんな広い器を持っているのが自分。
今はちょっと器の中身が多くて、器が重くなっているだけ。
ここを減らしてちょうどいい重さにできると、自分らしくいられるんだ。
話の聞き役でもいいし、話したいことがなければ話さなくていい。
そうやって、自分の気持ちを大切にすることから、本来の自分に戻ろうとしているんだろうな、って。
それから仕事の人間関係はほどほどでいいってこと。
無理に仲良くしようとすると、距離が近すぎて窮屈になる。
ほどほどでいいんだ。キャパオーバーになりそうなら、離れればいい。
3人のときに1人になるのは寂しくもあるけど、自分なりの距離の取り方なんだろうな、って思うことができた。
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幸せはすぐそこにあるし、私はすでに愛されている。恵まれている。
そのことに気づけた今日は、特別な日になるかもしれない。
本日もありがとうございました!
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