もう少しだけ生きてみようかな
6月が希死念慮のピークだったのだろう。
本気で◯のうとしていたし、方法も固まっていた。
今も希死念慮は強い。
が、先月ほどのとてつもない強さではないため、「ただちに実行しよう」とまでは思っていない。
それでも時折めちゃくちゃ鬱になるが。
多少希死念慮が弱まった理由は、主に3点だ。
①残された人の悲しみ
一番に思いつくのは、やはり親だ。
私の希死念慮は親に知られている。
そして、親は私を愛してくれている。
あなたが◯んだら気が狂うと。
生きているだけでいい。
どうか◯なないでと。そう言われた。
この辺の事情は、過去記事を読んでくれた人なら知っているかもしれない。
息子を愛し、育ててくれた親にここまで言われて、それでもなお命を絶つという選択はどうしてもできなかった。
その後も頻繁に親からの電話が来ている。
むろん親だけではない。
事情を知っている友人も◯なないでくれと懇願してくれた。
ただしこの理由は残されたものが悲しむからという、消極的な理由に過ぎない。
一時的に自◯を回避しても、これだけで生きづらさが変わるわけではない。
親のために生きているわけではないのだから。
②楽しめる趣味がある
最近はボードゲーム熱が高い。
遊んでくれるフォロワーさんたちのおかげだ。
いくら遊んでも遊び足りないくらい、これからもボドゲを楽しみたいと思っている。
この気持ちが一生続くとは限らない。
しかし少なくとも、今はボドゲがとても楽しい。
楽しめるものがあるうちは、素直に生きて楽しんでも良いのではないか。
そんな風にも思っている。
③人の温かさに触れまくっている
noteを始めて、たくさんのフォロワーさんと交流した。
SNS上で。あるいは直接会って。
定期的にボドゲで遊んでくれる人もいる。
そんなフォロワーさんたちは、本当に良い人ばかりだ。
皆も精神疾患や生きづらさなど、何かしらの悩みを抱えている。
人の痛みがわかるからこそ、他人に優しくなれるのだろう。
そんな優しい人々のことが、好きになってしまった。
また会いたいと。
もっと話したいと。
もっと遊びたいと。
そう願う気持ちがある。
ありがたいことに、遠方から出向いて会ってくれた人もいる。
私は都内住みなのだが、茨城や群馬といった北関東から東京まで来てくれた人もいた。
名古屋から弾丸で来てくれた人もいた。
なんと…鹿児島の離島から会いに来てくれた人もいた。
さすがに「ど、どひゃああああああ😂」という感じで驚いた。
大阪から来てくれた人も。
その人は東京旅行が目的で、私に会うこと自体を目的としていたわけではないのだが。
深い話もたくさんし、最終的にめちゃくちゃ仲良くなれたと思っている。
こんなにも私に興味を持ってくれている人がいること自体。
恐れ多くも、本当にありがたい。
もちろん直接会わずとも、コメントなどnoteを介して交流してくれている人もいる。
そんな人達に、励ましや応援の言葉をたくさんもらった。
辛い時、悲しい時、どん底にいる時。
そんな言葉にどれほど助けられたか。
人の温かさに触れまくっている。
熱烈な言葉の数々。
正直、泣かせられる事さえあった。
これだけ素敵な人がいて。
温かい人がいて。
寄り添ってくれる人がいて。
◯ぬのはあまりに勿体無いというか、早計なのかもしれない。
そんなわけで今日明日に逝くとかそういうレベルよりは落ち着いた。
もう少しだけ生きてみようかな。
しかし、気分が変わりやすいのがうつ病という疾患だ。
明日には気が変わっているかもしれない。
猛烈に◯を望むやもしれない。
それはわからない。
もしかしたら。
また、前向きに生きようと。
そう思える日が来るのだろうか。
絶望的な思考から、変われる日が来るのだろうか。
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