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乃木坂46はK-POPのアイドルとは異なる価値を提供している〜日本人の協調的な幸福感〜

はじめに

本稿は、日本の協調的な幸福のあり方と乃木坂を絡めて論じている。グローバルな再生回数競争で負けても、乃木坂はある価値を押し出しており、その価値がどういうものかをお分かりいただけたらと思う。さらに、

どうせ、イベントで恋人みたいに扱ってもらうのが嬉しくてファンやってるんでしょ?

といった偏見をお持ちの方に、ごく普通の乃木坂オタクなら、メンバーとファンの関係性に加えて、メンバーの絆、グループへの愛、メンバー個人の自己実現に心を動かされていることを示していきたい。メンバーの動向にドキドキもするし、ほのぼのもするのです。ちなみに、乃木坂オタクのイメージは、一般人が抱いているであろうイメージとはだいぶ異なるので、まずは偏見を修正していただけたらと思う。

✖️世間のアイドルオタクのイメージ

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◯実際の乃木オタ(若者)のイメージ

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乃木坂の現場でオタ芸する人はほとんどいない印象です。では、本題に入ります。

馬鹿にはされたくなくて・・・

名前は知っているけれど、よくわからない。

乃木坂46のことを聞かれたら、ほとんどの人がこう答えるだろう。名前だけは知っているかもしれないが、一体どのような活動をしているのか。どのように楽しまれているのか。名前を聞くのは宣伝でテレビに出てる時とか、スキャンダルで報じられる時とか。「どうせ、彼女になってほしいから握手会に行っているんだろ」といったステレオタイプだけを持っている人も少なくないのかなと思う。

先日、韓国アイドルを礼賛し、日本アイドルの絶滅を寿ぐようなウェブ記事を読まされて、朝からモヤモヤとしてしまった。ビジネスという観点で劣勢に立たされているというイメージが持たれているらしい。

では、乃木坂46は、お先真っ暗、なんの価値もないコンテンツなのだろうか。いや、そこに価値があると感じるからこそ、筆者はファンであるのだ。ただ、その価値をうまく言語化することもなく、叩かれ放題を黙って過ごすしかなかった、これまでは。しかし、もう叩かれ放題で黙っているわけにはいかない。一人のファンとして、それの一体何がそんなに楽しいのか、そして、どんな価値があるのかを、できるだけ丁寧にお伝えせねばと思うに至った。その際、出来るだけメンバーの言葉を引用することを心がけ、メンバー自身がその価値を発信していることを強調している。ファンの妄想ではない。

グローバルなビジネスに負けたとしても、乃木坂は韓国アイドルと対抗する別の価値を売っており、筆者は積極的にその価値を擁護したいと思う。なお、これから述べていくのは10年目に入ったグループだからこその価値であり、初期にありがちな価値とはまた違うものである。※韓国にも多様なアイドルがいるのだろうが、本稿はBLACKPINKのようなアイドルを想定している。

見下される存在として

グローバル、リベラル、フェミニズムな韓国産アイドルに対して、日本のアイドルはローカルで保守的で女性差別的だというような単純な二項対立に持ち込んで、グローバルな競争環境で韓国のアイドルは勝ち、日本のアイドルは絶滅していくだろうというような論旨であった。

たしかに、韓国アイドルの方がリベラルなのかもしれないし、日本アイドルが保守的なのかもしれない。自立した女性のイメージで世界的なヒットを飛ばすアイドルがいる中で、日本のアイドルはローカルで保守的であるというステレオタイプな議論になりがちなのもわかる。あるいは、パフォーマンス、ビジネス、理念の全ての点で、韓国のアイドルが完勝しているという見方が支配的なのは肌で感じている。

正直にいうと、韓国のアイドルのパフォーマンスをしっかりと見たことがないため断言はできないが、日本のアイドルは韓国のアイドルほどパフォーマンスに力が入ってないのかもしれない。先日配信された乃木坂配信中で高山一実がダンスをミスしたことを笑い話にしていた。失敗した自分を隠さなかったのは、後から指摘されるよりも自分から笑い話に変えたほうが良いと判断したからなのだろう。しかし、スケジュールがキツくて振り入れが厳しいという事情もわかるけど、「一期生なんだからしっかりやってくれよ」というのがファンの正直な気持ちではなかったか。

また、個人の自由の点では、恋愛スキャンダルでメンバーが人格攻撃を受けたり、グループから排除を望む声があがったりする。それはファンとメンバーの強い結びつきがあるがゆえに起こる現象であって、プライベートでの親密な人間関係を許さないといった風潮があることは認める。もちろん、個人の自由を認める論陣を張っているファンもいるにはいるが、あまり多くはないように思う。暗黙のルールを破って自分一人だけ抜け駆けした者への激しい怒り、反応的攻撃がメンバーに向けられ、謝罪に追い込まれたりする。個人的には、女性の性的自己決定への抑圧でもあるけれど、むしろ村社会の掟を破った者への制裁といった説明が適切なように思うんだよな。どっちにしろ問題か。

このように、パフォーマンスに関する問題だったり、個人を抑圧したりする問題があって、そればかりが世間に知られるようになってしまう。日本のアイドルが危機的状況にあることは疑いない。

では、そんな問題含みの日本のアイドルに、積極的に擁護すべきところが何もないのだろうか。筆者自身はそう思っていないものの、うまく言葉にできるとは考えてなかったため、誰かに任せていれば良いと思っていた。しかし、冒頭のウェブ記事に触発され、どこかに書いておいたほうが良さそうだと思うようになった。

そこで、パフォーマンスや音楽作品の詳しい説明は別の機会に譲るとして、理念や価値の点からグループについて説明する。もちろん楽しみ方は十人十色であるから、筆者が全てを代弁できるはずがないのだが、筆者が鑑賞者としてグループをどのように楽しんでいるのかを知ってもらえたらと思う。

努力と恩返し

乃木坂46には、コンサート前にきまって円陣を組んで掛け声を合わせる習慣がある。

努力、感謝、笑顔、うちらは乃木坂上り坂46!

数万人の中から選ばれた人たちが、グループ活動を通じて自分の未来を探していく。偶然によって一緒になったメンバーが「同期」という運命的な横のつながりと、先輩と後輩といった縦のつながりで強く結ばれながら、相互に認め合いながら成長していく。努力が一番最初に掲げられているのは、努力しないと生き残っていけない厳しい環境だからだろう。与えられた環境はとても恵まれているのだからこそ、未来を切り開くのは自分の努力なのである。

そんな努力の大切さは先輩から後輩へと受け継がれている。例えば、アイドルの魅力を模索するうちに壁にぶつかった四期生の早川聖来は、先輩である久保史緒里からのアドバイスに救われたという。

「3期生の久保史緒里さんが、『出来ないことでうまく転ぶこともあるけれど、きちんと出来たほうが、絶対に周りから認めてもらえて、得るものも大きい』と言ってくださったんです。そこで吹っ切れました。ちゃんとコツコツ努力をして成果を出したほうが良いとはっきりわかったので、今は自分の出来る限りの精一杯を積み重ねて、結果を出していきたいなと思っています」と打ち明ける。

ちなみに、早川を救った久保史緒里、ある番組で「結婚するなら欠かせない条件」として「自分より努力している人が絶対にいい」と答えていた。誰もが知るとおり久保筋金入りの努力家なので、はたして久保以上に努力をする人間がこの世にいるのだろうかと思ってしまう…。

また、加入してから一度も選抜メンバーに選ばれたことのない二期生メンバーの山崎怜奈のインタビューを読んでみると、不遇を理由に腐らずに努力で自分だけの道を切り開いてきた人間の凄みが感じられる。

世の中すごい人っていっぱいいるけど…私は、才能で勝ち続けている人よりも、負けて努力している人のほうが強いと信じています。

ただ、たった一人の力で道を切り開けた自分は凄えという傲慢さとは無縁だ。自分の境遇はスタッフやファンのおかげでもあり、いつか具体的な成果としてファンに恩返しがしたいということを言うメンバーが少なくない。ここで二つの例をあげたい。

例えば、グループ結成から選抜メンバーとして活動し続けてきた松村沙友理は、グループ卒業を報告するブログで次のように述べている。

今後のことはまだ決まっていないことも多いですが、芸能活動は続けていく予定です。それでもやっぱり寂しいので最後に出来るだけ皆さんに恩返しができたらいいなぁと思っています。

コメント欄を見てくれたらと思うが、ファンの方も、メンバーに感謝の気持ちをコメントしている。サービスの提供者と消費者で割り切るのではなくて、互いに感謝の気持ちを忘れないことで、ドライではない、何かこう温かい関係性のようなものが作られているように見える。

また、テレビドラマ初主演をはたした久保史緒里がTVガイドのインタビューでこのようなことを言っている。

今までは、『お芝居をしたい』と言うことにも少しちゅうちょしているところがあったんですが、今回やらせていただいたことで、もっとアイドルというフィルターを超えて戦いたいと思うようになりました。ドラマ現場の皆さんにすごく支えられていると感じるので、まずは、ここでお世話になった皆さんに恩返しができるような活動をしていきたいなと思います。

お世話になった人々への恩返しとして活動していきたいと答えている。この恩は、久保に限らない、全てのメンバーが共通して大切にしている理念であるように思う。というのも、

努力、感謝、笑顔、うちらは乃木坂上り坂46!

という掛け声の感謝に関わってくるのだが、要するに、自分に関係している全ての人に感謝して、恩返ししていくということである。

唐突ではあるが、政治学者の施光恒が、「日本古来の「」の観念に着目し、この理念の意義をあらためて捉えなおしてみる」ことを提案していることを思い出した。

「恩」の理念は、現代の日本人にとっても日常的なものです。「おかげさま」「お世話になっています」といった相互依存を前提とする言葉は日頃よく使われます。若い野球選手がプロ野球チームに入団する記者会見で、お世話になった方々に恩返しをしたいなどと語る光景は現在でも普通です。

エンターテイメントの中で感謝が強調されるのは、日本人の間では、それらが忘れてはならない理念であると信じているからで、だからこそ、メンバーとファンの間で繰り返し確認され、エンターテイメントの一部として消費されているのかもしれない。

9th year birthday live の終盤に披露された『僕は僕を好きになる』の間奏で三期生の山下美月が次のような気持ちを述べた。

いつも温かい応援を本当にありがとうございます。みなさんの愛情はいろいろな形になって私たちにちゃんと届いています。そんなみなさんに、私たちから一人ひとりメッセージを書いてきました。辛い時や悲しい時、ファンの皆さんのことを思って、私たちは大きな勇気を感じています。乃木坂46を見つけてくれて、好きになってくれて、本当にありがとうございます。乃木坂46を愛し続けてくれてありがとうございます。離れていても、私たちの心は、みなさんの側にいます。これからもずっと私たちと坂を登ってください。みなさんのことが大好きです。

未来の懐古

さて 9th year birthday live を終えて、四期生の矢久保美緒がこのようなことを書いていた。グループの過去を振り返り、懐かしみ、未来へと継承していくことが、メンバーやファンにとって正しいことであると認識されていて、同時にそれが重要なコンテンツになっているのだ。

過去ってキラキラして見えますよね。当時は、その時なりの葛藤や苦しみがあっても、見返すとそんな事さえ尊い思い出になります。「今」を過ごしている時は、それが如何に大切な時間になるか想像がつかない。今回のライブはリハーサルから本番まで、未来の懐古を意識して過ごす事が出来ました。

たとえ葛藤や苦しみがあっても、そんなことですら尊い思い出になる。矢久保の言う未来の懐古を予感して、未来に懐古されるであろう過去が良きものになることを願って、メンバーとファンが共に思い出を作り上げている。

(追記)筒井あやめは5/23放送の『乃木坂46の「の」』で四期生ライブを振り返りながら次のように言っていた。

本番前日に、明日本番だ!ってなって、リハの期間のことを思い出してみたの。そうしたら、ほぼ下駄ップのことが頭に出てきたんだけど(笑)、本当に皆んな一生懸命にやって、明日本番で出せるかなっていう不安と、終わってしまう寂しさと、(本番前に)そういうことを思っていることもキラキラしているなと思って。

大事なのは、尊い思い出を誰かと共有することであり、一緒に懐かしむこと。他のメンバー、そしてリスナーであるファンと共に。

追記 7/7

早川聖来のブログに「思い出」を振り返った時の幸せについて書かれていた。

だいたい幸せを感じるのは終わってから少し経って思い返した時なんです。
 
だから

これから思い返して「あの時楽しかったな。幸せだったな。」って感じられるような今を過ごしたいなって
 
そんなことを考えてました。
 
だからこれからも皆さんと思い出して幸せだったなぁって思えるような思い出をたくさんつくっていきたいです^ ^

よろしくね。

エモさ

そして、こうした懐古が、あるメンバーの卒業記念楽曲になってしまったこともある。らじらー!SUNDAY、初代MC中元日芽香がグループ卒業と同時に番組を降板することになり、中元が最後に出演した日に、オリエンタルラジオ中田敦彦が過去をこのように懐古していた。

振り返ると、全部眩しくて、(番組が)始まった時から、一緒に音楽番組に出たこととか、お祝いしたこととかも、なんか楽しいことばっかりで、良かったなって思いますね。なんか、こんなふうに、共演者と別れるので泣けるとは思わなかった。それだけいい時間だったんだなって、いま、思います。卒業おめでとう。

アンダー(選抜に選ばれなかったメンバー)として苦しい時間を過ごすことが多かった中元日芽香をオリラジが応援してきたということもあって、あの中田敦彦が涙してしまうほどの、特別な別れとなった。

当時の中田はRADIOFISHとしても活動しており、中元が卒業するタイミングでコラボ楽曲がリリースされた。未来に目を向けて、共に歩んだ過去を振り返って懐かしんでいるのが印象的だった。ファンにとっては最高にエモい楽曲に仕上がっている。

(追記)6月24日、中元日芽香の「な」が放送された。卒業後、心理カウンセラーになった中元が自叙伝や卒業後のことなどを語った。


このように、ファンとメンバーが過去の思い出を共有することで心が揺さぶられる瞬間がある。いわゆる「エモい」が日本のアイドルの核心部分なのかもしれないと個人的には思っているが、日本がアイドルをグローバルに展開するのであれば「エモい」に強く依存することはできないのかなと思う。我々ファンは三期生ではないけれど、楽屋にはいないし何話してんのかわからんけど、あーわかるわー、と共鳴した岩本蓮加ブログの一節から。

楽屋に居る時は永遠に過去の話で盛り上がっていて、あんな事あったよね!と当時は苦しかったであろう想い出を今では笑い合って話せるから時間ってすごいなぁ思います。あの頃はきっと口にはしなかったようなことも今ではみんなが口々にするし、愛しか感じません( ˶˙˙˶)

選択の自由と仲間への思いやり

久保史緒里はブログの末尾に刺さる言葉を残すことで知られるが、9th year birthday live の前日に更新されたブログの末尾に以下の言葉を残した。

私は自分の人生を自分で選んで、この場所に来ました。でも、この12人になる事は私が選んだ訳ではない。なのにこれしか無かったと思えるのです。こうでなければ、私は今、別の選択をしている道もあったのかもしれないと思うほどに、これしか無かったと思えます。いつだって、自分の選択で道は切り開いていくものだけど、そこに偶然が重なった時、奇跡となって輝くのだなと思いました。おばあちゃんになって、人生を振り返った時、この一点が輝いてくれていると思うのです。その輝きは何なのか。忘れることはないでしょう。

矢久保の未来の懐古を、久保はなんと、おばあちゃんになった自分というかなり先の未来にまで伸ばして懐古しようとしてみせた。しかし、ここで「私は自分の人生を自分で選んで、この場所に来ました」という一文に表れている久保の自由で主体的な選択の感覚に注目したい。

内田(2020)によると、職業や家庭について個人が幸福を求めるために自由に選択するという経験は実は、たったの五〇年ほどしかなされていないという。近代社会の選択の自由が人々の幸福をもたらす反面、自分が選択される側に回るという厳しさも持ち合わせる。これがリベラリズムの幸福感である。久保の言葉からは、リベラリズムの幸福感が感じ取れる

同時に、自分で選択したわけではないメンバーとの偶然にも思いを馳せている。内田(2020)によると、日本人に良い友人の特徴を聞くと、「趣味が同じ」「話題が共通している」というように、何らかの共通の基盤を有している場合が多く、友人を選んだという感覚を持っている人は少ないという。クラスやクラブといった「場」を共有している人間どうしの結びつきなのである。友人は選択ベースではないので、相手を気遣い、互いの考えを察し、共有することで、友人関係を維持していくことがより重視されているのだ。

実は、メンバーは友達のようでもあるが、友達ではない。このように考えているメンバーは多い。なぜこのように考えるのだろうか。日本人にとっての友人の感覚と、自己選択の感覚が交錯するグループアイドルという職業ならではであるのかなと思う。例えば、山下美月が、実写映画版『映像研には手を出すな!』の取材において、次のように答える。

作品の中に“友達”と“仲間”という言葉が出てくるんです。乃木坂46というグループにいる中で、毎日のようにメンバーと触れ合っているんですけど、私はメンバーのことを“友達”と思ったことはなくて。仕事として一緒に作品を作り上げていく同志というか、戦友のようなものなので。もちろん、お互いのことを思いやり、支え合う気持ちも持っているけど、それぞれが頑張る力を持っていて、お互いに高め合っていく、みたいな感じです。絆に甘えないのが“仲間”なんじゃないかなって思います。

要するに、努力で自分の人生を切り開き、同時に仲間のことを思いやることも忘れない。リベラリズム的であり、コミュニタリアン的でもある。日本のアイドルとしては、どちらかに振り切らないで、中間的なポジションを取っているようである。

人間関係の温かさ

『Sing Out!』に次のような歌詞がある。

ここにいない誰かもいつか
大声で歌う日が来る
知らない誰かのために・・・
人はみな弱いんだ
お互いに支え合って
前向いていこう

自己選択、自己責任、激しい競争・・・リベラリズムを貫徹すると冷徹な競争社会が出現し、多くの気持ちが荒んでしまうだろう。他人を蹴落としてまで上に登ろうとする過酷さは、端的に、日本の風土に合わないだろう。

メンバーが口を揃えて言うのが、乃木坂の温かい雰囲気が好きで守りたいということだ。これは断言できるのだけど、ファンも、グループの温かい雰囲気を感じ取って、好きになっている人が多い。そして、長くファンを続けている人ほど、その雰囲気を守ってほしいと思っているはずだ。温かい雰囲気をグループの魅力と捉えている乃木坂46メンバーのブログをいくつか紹介する。9周年記念のライブを終えてのブログで、グループの魅力に言及している。

秋元真夏
私なんかが偉そうなことは言えないけど、同期のいつまでも変わらない温かい空気感とか、後輩がどんどん乃木坂を背負って育っていたりとか、先輩後輩が融合して作る雰囲気がとにかく好きだなって、何回も思いました。
生田絵梨花
会場にいるメンバー、スタッフさんで、普段の乃木坂の柔らかな雰囲気が漂う中、ファンの皆さんに届け〜〜っという熱い思いで一丸となれました。みなさんに受け取ってもらえていたら、嬉しいなぁ。もちろん初期の乃木坂が恋しくなることはあるけれど、今の乃木坂も愛おしいなぁと。改めて感じることができた時間でした。一緒に歩んできた同期、ぐんぐん成長する頼もしい後輩たちに感謝です...!
久保史緒里
乃木坂46はあたたかいです。優しくて、あたたかくて、守りたい。今はそんな気持ちです。あまりにも素敵過ぎるから、この先もずっと、ずーっと続いてほしいなと、何年も先のことまで願ってしまうくらい。でも今以上はないって知ってるから。これからも常にそう思える私でありたいな。
遠藤さくら
9th YEAR BIRTHDAY LIVE無事終わりました。見てくださった皆様、ありがとうございました!9歳おめでとうございます!ありがとうございます!乃木坂が大好きっていう気持ちが溢れて止まらないライブでした。こんなにも温かい場所に居られることが幸せで、もっともっと大好きな乃木坂のために貢献できることを探して頑張りたいと、10年目への気持ちも強くなりました。楽しかった〜〜!
賀喜遥香
9th year birthday live、本当に ありがとうございました!乃木坂の歴史を感じました。改めて乃木坂46が大好きだなぁと思いましたし、私も大好きなグループの一員として貢献したいと思いました。乃木坂の暖かさを感じてすごく楽しかったのですが、やっぱりファンの皆さんに会いたくなりました。会える時が楽しみです!その時のために、今 頑張ってます( ᐢ˙꒳​˙ᐢ )
筒井あやめ
色々な気持ちがこみ上がってきたライブでしたが、終わった時は心がぽかぽかする様な、幸せな気持ちでした。改めて乃木坂46の温かさを感じました。これからも大好きな、先輩方、4期のみんな、スタッフの皆さん、ファンの皆さんと坂を登っていけるよう頑張ります!
佐藤璃果
今までの乃木坂46と自分の思い出は、先輩方が守り、築いてきた10年間があるからこそのものだなと感じました。心からの有難うございます。おめでとうございます。これからもよろしくお願いします。(前夜祭について)先輩方や4期生のみんなの裏での努力や乃木坂らしいあたたかい空間を沢山沢山楽しませて頂きました。

作品の質とイデオロギーでファンを魅了するのがグローバルに成功できるアイドルであるとすると、アーティストの雰囲気が大きな魅力となっている点でグローバルな展開は厳しいのかもしれない。しかし、グローバル規模で経済的に成功できなかったとしても、理念や価値で劣っているとはいえない。韓国のグローバルなアイドルが自立する女性というイメージを売っているのであれば、乃木坂はそれに対抗して、日本の受け手にエモさを感じさせる価値を売っているのだ。それは、努力と自己決定によって道を切り開く人間像であると同時に、仲間に対する思いやり温かい関係といったものだ。『シンクロニシティ』の歌詞では誰かとエモを共有して苦境を乗り越えられることを謳っている。

だから
一人では一人では負けそうな
突然やってくる悲しみさえ
一緒に泣く誰かがいて
乗り越えられるんだ
ずっと
お互いにお互いに思いやれば
いつしか心は一つになる
横断歩道で隣り合わせた
他人同士でも
偶然…

内田によると、日本では個人達成志向が強ければ強いほど、他者との結びつきが得られにくくなって幸福感が低下するが、この傾向はアメリカではみられない。また、個人単位での自由競争を推奨する新自由主義が集団主義的な日本社会にもたらす負の影響は大きいという。

日本においては現在、「個の独立」と「他者との協調」という二つの自己のあり方が存在し、この二つが過度に対立してしまう場面がある。今日の日本社会における幸福を考えるうえでは、協調性という日本社会に存在するモデルの根源的な要素と機能を示したうえで、個の独立の適正なあり方を模索する必要がある。
(『これからの幸福について』122頁)

芸能界における競争によって夢を叶える個人と仲間を思いやる関係性を価値として提供しているグループアイドルにこそ、個人の自由と他者との協調の良いバランスが見て取れるような気がしてならない。なお、内田によると、二律背反と考えられがちな独立性と協調性は、一階部分を保守的で階層的なものではなく、互いの信頼関係を構築し、維持するシステムとして利用することによって、実は両立可能なのではないかと主張している。※図は内田(2020) p.124

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グローバルな展開

一般論として、潤沢な資金があり、なおかつ競争の激しい環境であれば、より洗練されたものが生まれやすいというのがビジネスの真理なのかなと。そういった環境が整っているのは、東京ではなくソウルなのだという冒頭のウェブ記事の指摘も、実績から見れば納得感はある。

メンバーの表現力や音楽の品質に加えて、韓国アイドルの優れた作品はグローバルスタンダードに合致した表現であって、普遍的なメッセージは、複雑な文脈への理解だとか、言語の壁だとかを超えて、グローバルに共感されやすいのだろう。

他方で、日本のアイドルは、日本の芸能界という特殊環境で発達したものである。乃木坂に関しては、もちろん台湾や香港にファンはいるけれども、たまたま日本の音楽やアニメが好きだったり、メンバーが可愛いだとか、努力する姿だったりメンバー相互が思いやるのが好きだとかいった要因がファンを作ってきたと思う。

日本以外の人間に「見つけてもらう」というと、例えば乃木坂が海外進出していく場面では、日本でウケたものが海外へとじわっと拡張していくようなイメージがある。海外市場でウケそうなものを製造して輸出することではないのだ。海外進出といっても、たまたま、海外に受容してくれたファンがいたら、そこに出向いてコンサートを開くといった感じである。

よく日本人にはマーケティング思考が不足していると言われるけれど、まさに、日本のアイドルビジネスは、国内市場と海外の物好きに頼っているように思われる。近年のシティポップブームだって、海外の物好きが日本の古き良き音楽を再発見てくれた偶然だし、Youは何しに日本へといったバラエティが意味するのは、日本がマーケティングや宣伝を頑張らずに、なぜか日本が好きな外国人から日本の良さというものを見つけてもらうわけで、ここにも偶然に頼っている日本のマーケティング不足?を象徴しているような気がしていて。。

日本の家電とかはそれで悲惨な目に遭うけれど、文化についてはそれで悪くはないかもという気もしている。見つけてもらって評価された時のあの「嬉しさ」ってなんだろうか。高度成長の時代を知っている高齢者が「実は日本すごい」で気持ちよくなるアレなのか。しかし、自分は平成生まれなので、自信と誇りを取り戻すとかいう感覚でもない。世代は関係ない、根源的な人間の感情なのだろうか。

グローバル化の時代にナショナルな文化がどう加工されて輸出されていくべきか。マーケティング思考を駆使して、日本国外でウケそうなコンテンツを日本国内で製造するべきなのか。日本とごく一部の海外ファンにしか受け入れられないコンテンツではダメなのか……

実は私のモヤモヤは、少し前にツイッターでは知られている右派論客が設立した政治団体のウェブサイトに掲載されている、以下の鼎談に目を通したことが発端になった。冒頭のウェブ記事がモヤモヤを増幅したというわけです。

ここでクールジャパンについては深く掘り下げる余裕がないので、割愛させていただく。

昭和からの伝統

さて、約二年間続いた乃木坂どこへ、ノギザカスキッツの後継番組である乃木坂スター誕生がスタートすることを記念する特別配信があり、そこで四期生をリードする四人が意気込みを述べていた。彼らの発言を聞いて、改めて、日本のアイドルがテレビ文化との縁が深いということを認識し、トラディショナルでナショナルなコンテンツという印象を強く持った。

田村真佑
昔のアイドルさん、私たちにとっては大先輩だよね?その方々の歌を、改めて歌わせていただけるから、人それぞれやり方はあるけれど、私は、とにかく楽しく、できるだけ動画をたくさん見て近づけるようにやりたい。
早川聖来
この番組が始まることをお父さんお母さんに話したら、『これ歌うの!』っていう反応があって、私たちのような若い世代も、お父さんお母さんとかちょっと上の年代も、乃木坂を知らなくても、懐かしさを感じながら楽しんでいただける番組なんじゃないかなと思います。
賀喜遥香
また四期生で番組をやらせていただけることはありがたいですし、ここで学んだことを乃木坂に持ち帰れたらと思う。歌唱力や昔のアイドルさんのパフォーマンスを研究して、自分たちの力にしていけたらなと。番組を通して私たちが成長している様子を皆さんに見届けていただけたらなと思います。
遠藤さくら
とにかく皆さんに楽しんでもらえたら、一番良いのかなって思っています。みんなでまた、素敵な番組を届けられるように16人で頑張っていきたいと思います。とにかく四期生は歌声がいいので、そこに注目していてください。

日本の歌謡曲とアイドル

昨日、ごめんねFingers crossedの音源とMVが公開された。

ツイッターにYOASOBI感という感想が多数上がっていた。I see...のSMAP感以来、◯◯感と言うのが流行っているのだろうか。確かに、そうかも...

乃木坂46の楽曲にはこれいった一貫性はないように思うけれど、J-pop的なサウンドが根底にある。桜井和寿がライブイベントでカバーしたことでツイッター上で話題になったのが、乃木坂46の『きっかけ』である。

どうして乃木坂46の『きっかけ』をカバーしたのかと言うと、ミスチル的な良い曲だったからだそうだ。

『きっかけ』に関しては大絶賛している桜井さん。当日のライブでは、『きっかけ』のカバーは桜井さんからの提案だったことが明かされ、「ものすごい良い曲なんですよ。桜井が書いた歌詞でしょ、と思えるくらい、凄い近い感じなんですよ」とMCで説明した。また、雑誌『LuckyRaccoon vol.43』の取材で最近オススメの曲を聞かれた際も、『きっかけ』を挙げ、「小林武史プロデュースのミスチル的なアレンジを感じる」と語っている。

乃木坂46、日本のアイドルは、日本の音楽文化とも深く結びついているのよね。だって、作曲家がミスチル好きだったりするんだもの。

地元への恩返し

地方出身のメンバーが多数在籍している。宮城出身の久保史緒里は二年連続でイーグルスガールイメージキャラクターを務めている。

また、地元宮城県の銘菓「萩の月」のナビゲート役も務めている。

同じく東北の岩手出身の佐藤璃果もローカル誌の仕事ができることを喜んでいる。

初めての地元のお仕事です。とても有難い気持ちでいっぱいで、最初にこのお話を聞いた時には、なんとも言えない心の浮遊感に駆られました。加入当初からやりたい仕事と言っていた地元のお仕事。これからもっともっと大好きな岩手のいい所が広まって、沢山の人が岩手を愛してくれるように、私も少しでも力になれればと思います。岩手のお仕事ができて幸せです。本当にありがとうございます。

大阪出身の早川聖来は地元での公演について意気込みを語っている。

成長した姿を、自分の生まれ育った大阪で、家族も含めて観てもらいたい。大好きな大阪、関西に住んでいるみなさんにこの作品をお届け出来るのがすごくうれしい。より一層力を入れて頑張りたいです。

憧れられる存在として

上昇志向がありながら、仲間への思いやり、周囲への感謝の気持ちと生まれ育った故郷と家族への恩返しを忘れない。人間の理想的なあり方をアイドルたちが体現しているのである。そんなアイドルにインスパイアされて、ある人は自分自身の生き方を点検するかもしれない。若者にとっての手本になったり、ある時には勇気を与える存在であるかもしれない。加えてちょっとした癒しをも与えてくれる。日本のアイドルは風土に根ざしたエンタメの形態なのだ。

おまけ

クールジャパンとの関連で一つだけ。
Adoの『踊』という楽曲を聴いて、すげーかっこよくてビックリした。クセになる!

その『踊』を作曲したTeddyLoidとGiga、そしてReolが日本人としてのオリジナリティについて言及している記事を見つけた。

Reol:島国だからこそ生まれたガラパゴスな音楽を、いかに海外の人にも聴きやすく輸出していくか、という話だと思うんですよ。実際、自分で言えば、私はリアーナでもニッキー(・ミナージュ)でもなくて、身長も小さいわけで。でも、アメリカ人にそんな人はいないし、だからこそオリジナルになれるとも思うんです。

(追記)2021.5.30
J-POPというよりK-POP的に聞こえたというインタビュアーの意見に同意。

《引用文献》
内田由紀子(2020)『これからの幸福について』新曜社