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明治生まれ、曽祖母の思い出
ふと俯瞰してみると、娘2人的人生の順調なことよ。自分の人生と比べると愕然とする。
曾祖母もそうでしたが、とても明るくポジティブでした。だから99才まで生きたのでしょう。死ぬ10日だけオムツをして寝込んだだけで、本当に高鼾をかいて眠っておりました。大きな口をあけ、いまにもいびきがきこえそうでした。よく寝ておりましたが、老衰で他界されました。
私もあのように死にたい。
畳の上で死にたい。
曾祖母はひ孫である私に英語を教えてもらいながら、掃除をして遊び倒しておりました。
私が英会話を習ったのは、曾祖母の方のボケ防止に英語を教えることも含まれておりました。
明治生まれの曾祖母は日清・日露戦争からスタートし、第二次世界大戦まで、あらゆる戦争を経験しました。しかし、昭和62年に他界された時は、こんな高度経済成長期が来るとは思わなかったでしょう。
「長生きはするものです。あなたも長生きしなさい!」
戦争のない時代の素晴らしさと、テレビやラジオ、様々な文明がいかに目を白黒。曽祖母の時代はエレキテール、
「ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする」
それをネイティブに体感してしていました😅
幼児の私の子守りを引き受けてくださいました。私は掃除を遊びの一部として育てられました。私は曾祖母から旧仮名遣いをインストールされました。曽祖母(ひいばあちゃん)は、大変に優秀な子供だったらしく、校長先生が家に頼みに来て、女学校、今で言う中学校に進学したそうで、読み書きを知っており、ひ孫の家庭教師をしてくださいました。
しかし、小学校では現代仮名遣いに再インストールするため、放課後居残りとなりました。小学校教諭も旧仮名遣いを、明治生まれの曾祖母流?が最後の力を振り絞り渾身のインストールしており
「私もこんな古い漢字や、ひらがなの使い方は知らないわ...」
と驚いておりました。
「椅子に座る前に、神武天皇から、今上天皇の歴代天皇暗唱、天皇陛下万歳三唱はしないのですか?」
こんな質問を昭和団塊の世代ジュニアにされるとは思わず、母親も曾祖母が秘密裏にインストールしたとは知らず...目を白黒。
軍国主義的な思想はこうだったのです。今は変わりましたが、もし将来の体験において知っておいた方が良いでしょう。そして曾祖母は英会話の大切さを私に強く語りました。
「英会話ができたら、アメリカ人に大切にされ人質にならず優遇され、生き延びることができる。ネイティブに紛れることができるくらい英語を勉強しなさい。そして婆にも教えてください!」
そう言い...
酒屋の軒先にあるタバコ売り場に曽祖母はいつもおり、海外の顧客の通訳を私に仕込み、
曾祖母は
..
How are u? タバキ?:
はう あ湯
-どのタバコにする
Here u are.
冷や湯 あぁ…
-はいこれね
Thank you very much
短気(たんき)ベルマン
-ありがと、またきてな
などの簡単な会話をしました。
私の発音を元にメモを曾祖母は作成しました。
なあせ、英語は敵国語。
知らないから漢字とひらがなで当て字をつけたのです。