生かすための「死にたくない。」
自分が年をとると初めて知ったのは、5歳だった。それまでは、子どもは子どもの国から、お母さんはお母さんの国から、お父さんはお父さんの国、おじいちゃんおばあちゃんもそれぞれの国から来たと本気で思っていた。
子どもは子どものままだと思い込んでいたから、いつか子どもだらけになるんじゃないかと考えたり、私は大人じゃなくてよかったなんて思ったりもしていた。
一つ年上のお姉ちゃんが小学校へ入学した時、先生から「次はあなたが一年生だよ。」と教えられた。一年生って何だろう。何でここ(保育所)にずっといられないんだろうと不思議で仕方なかった。
今でもその時の景色をよく覚えている。小学校の校舎裏を眺めながら、鉄棒に寄りかかりながら考えていた。
「一年生にならないといけないんだ。じゃ、私の次の子も一年生になるんだ。そしたら私は一年生じゃなくて、二年生にならないとだめなんだ、どんどん進んで行ったらどうなるの?」
この辺りから少しずつ恐怖を感じ始めた。永遠だった自分が変っていかなければいけない存在になり、「死」に近づき始めたからだろう。
「私もお母さんみたいにならないといけないの?おばあちゃんみたいになるの?…嫌だ…。」
それからは恐怖が大きくなるばかり。大人になりたくない。なれない。そして、
「死にたくない!」
実はこの「死にたくない!」という感情を思い出せたのは昨日のことだ。それまでは、年をとると気づいた部分までしか思い出せていなかった。子どもの頃の記憶に少しアクセスできたのかなと思っている。
あの頃の記憶と、腸の考え方を照らし合わせると、なぜそう思ったかが紐解ける。正確に言えば、なぜそう思わされたかということ。それは、
「生かすため。」だ。
自分にとって、消したい感情が自分を守るためのものだったなんて考えもしなかった。改めてごめんなさいとありがとうと伝えたい。それはもちろん、中のあなたに。