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My favorite 100 #31 年の瀬の街

はじめまして、こんにちは、なぁこと申します。
2021年は「継続していく」ことを目標に掲げ、毎週ただただすきなものを紹介していくという連載を年始からはじめました。もはや毎週でもなく、書き方すら変わってきているけど気にしない。すきなもの多すぎて毎度テーマとっ散らかってんな~と思いつつ、つづけるのが大事!というスタンスでやってます。
ランキングではなく、リストから気分でピックアップしてテーマを決めております。
このnoteを偶然見つけ、読んでくださった方のなかに、おなじものがすき!って方がいたらうれしいな〜!という気持ちで更新中です。

My favorite 100 #31 年の瀬の街

年末の街の雰囲気がたまらなくすきである。
12/31という、ひとつのおわりにむかって一斉に、どこからともなく縦横斜めに動き出す街のざわめきがすきだ。
クリスマスと大晦日、それにお正月。それらを1週間のうちに抱える12月の最終週のために、街はさまざまなとくべつを用意している。
ドラッグストアでは掃除用品が全面に出てきて、大掃除を促すポップがつく。「今年の汚れ、今年のうちに」それねって急かされるような気になって、今年のできごとが脳内を早送りのように駆け巡る。わたしも12月の休日は掃除ばかりをしている。目下のところ片づけ中で、拭き掃除した本棚が乾くまでの隙間でこれを書いている。本に溢れてぐちゃぐちゃの部屋で…
パティスリーからコンビニまでクリスマスケーキの予約チラシが置かれ、ショッピングモールのおもちゃコーナーは大型のおもちゃが並び、百貨店のアクセサリーショップやブランドショップは混雑する。緑と赤に彩られた街はクリスマスソングを歌い、どこか皆を浮足立たせている。
イルミネーションは綺麗かもしれないけれど、息をひそめて歩くつめたい夜にはなぜか、からだがしんと静まり返る。ほんとうは綺麗だと思っていないのかもしれない、わたしは。せわしなく動きつづける人波のなかで、その光の粒だけ時が止まっているような気がしてしまうのだ。
25日を境として、クリスマスのきらびやかな雰囲気が消え、今度は一気にお正月のための、きわめて日本的な厳かな空気が座している、あの瞬時に時間や空間を消費して忘れていくようなどこか軽率なところもすき。
わたしは年末のスーパーマーケットがとくにだいすきで、それはやっぱり、そのときにしかお目にかかれないものがたくさん並んでいてわくわくもするし、季節と生活が違和感なく結びついて、幼いころから連なっているものを感じられるから。ものに流行はあっても、お正月に食べるものってあまり変わらない。しめ縄や門松に「今年の流行」といったかたちはあまりない(簡素化の流れや素材不足、後継者不足で変わりゆくものはあるかもしれない)。新たに流動していくものにたいして、わたしは俄然乗っていきたがったりアップデートを望んでいるところがあるけれど、それとおなじくらい、変わらないもの、続いてきたことを愛しているじぶんも存在する。
年末のざわめきは、365日近くに渡り、情報と消費に翻弄され奔走し、風に舞い上がる木の葉みたいに踊りつづけた自分を、すっとフラットに戻すような感覚。それがたとえば「今年もついに終わるな…」とか「大掃除毎年切羽つまるなあ」(とりかかりが遅いから、毎年!)とか、時代が変わったといっても今はまだあまり変わらない年末の街の色やにおい、雑踏、そういう「毎年やってんなあ」みたいなものによって、もたらされているのだと思う。
そう感じるとき、きまっていろいろな人生を思う。
たとえば手に入りにくいプレゼントを頼まれて、走り回ることになるかもしれないひと、勝負のデートを待つ洋服やうやうやしくリボンがかけられた箱、ひとめで大掃除やっていることがわかるようなある日の家、お客さんを迎える機会が多い季節だから、ちょっと良さげな食材でいっぱいになっているだれかのカート、年末年始もいつもどおりに過ごしたいひとや、変わらずに働きつづける職業、この時期に合わせたかのようにハイパービジュが整っている推し事務所のアイドルたちとそれに沸くわたし……
人生の旅はさまざまで、分岐点も希望も絶望も、体調も気分もそれぞれちがう。他人がなにをしているのか、なにを考え、どんな岐路にいて、どれほどのものを抱えているのかなんてわからない。だけどたしかにそれぞれの人生がこのざわめきの中で息づいてこの時代に交差していることを、「年の瀬」という誰しもにひとしく訪れるひとつの区切りが、さりげなく過ぎてしまう季節よりも鮮明に映し出している気がして、わたしはいつも泣きたくなる。

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