フランスに行ったときのおはなし(後編)
※後編から見ても大丈夫ですが、前編からぜひご覧ください。大学4年の夏にフランスへ短期留学をしたのですが、最後の数日間パリに滞在しました。
はじめに
まず、パリ市内の区割りってとても特徴的なんですよね。1区から20区まであって、内側からカタツムリの殻状に広がっていきます(フランス語風にいうとエスカルゴ)。昔は12区までとかだったんですが、1859年に20区にまで拡張されています。日本では江戸時代末期。産業革命による人口の流入が大きな背景でしょう。
そして、パリにはセーヌ川が横断しているんですが、それよりも南の方が左岸、北の方を右岸と呼んでいます。有名なノートルダム大聖堂は、セーヌ川の中洲であるシテ島の上にあります。
僕はパリ左岸の5区、いわゆる「カルティエ・ラタン」という地区の、とあるホテルに宿泊していました。なぜそこを選んだかというと、すぐ近くにソルボンヌ大学やコレージュ・ド・パリなどの学校がいくつもあって学生街で治安が良かったからです。それよりもこの地区は19世紀フランス文学とりわけロマン主義文学の舞台としてたびたび登場したために、憧れを抱いていたからです。地区の性質上、学生や画家などが多かったためにロマン主義の格好の的となったわけです。つまり、そういった文学的な空間に身を置いてみたかった、というだけです。
興味がある方はぜひプッチーニのオペラ『ラ・ボエーム』を見てみて下さい。フランス文学的にはアンリ・ミュルジェールの原作版。屋根裏部屋に住む貧しい芸術家ロドルフと娼婦(お針子)ミミの恋愛物語です。最後、その娼婦が結核(当時は不治の病でした)にかかり、死んでいく様がとても印象的です。娼婦って要するにいろんな男性とお付き合いしていくので、当時は社会的に「悪」ってみなされてたんですよ。だから、その制裁として病気にかかる。その病気は当時不治の病であった結核。一生の罰を背負いながら死んでいくというわけです。しかも結核という病は、美しい人がかかり肌が青白くなり美しさが際立って亡くなっていく特徴があります。同じく結核で亡くなったデュマ・フィス『椿姫』や、天然痘という病気で亡くなったヒロインが登場する自然主義の大作、エミール・ゾラ『ナナ』も合わせて読むと比較ができるでしょう。悪と美の象徴ともいえる結核という病はロマン主義文学の格好の的となったわけです。
概略的なフランスの恋愛文学についての著作は、前回紹介した僕の好きな教授が書いた本がオススメです。読み物としては最適です。個人的にはめちゃくちゃ面白いです。僕がフランス文学にハマったきっかけとなった本です。表紙とタイトルからして初心者向けの導入本って感じ。ご本人も「僕がつけたタイトルじゃない」と照れ笑いされていました笑
☆小倉孝誠『恋するフランス文学』
(Amazonのリンクを貼りますね。宣伝ではありません笑。)
パリのオススメスポット3選
本題に戻って、パリの話に戻りましょう。前回みたいにオススメの場所3選といきますか。
ちなみにパリ市内だったらそれなりに案内できる自信があります(突然の自慢)。
1つ目は「アレクサンドル3世橋」
パリ市内にある37の橋の中で一番豪華な装飾や景観だと思います、、よね?奥にある建物はグラン・パレという1900年の第5回パリ万博のために作られた展覧会場です。もちろん世界遺産の構成資産の一つです。
2つ目は「オルセー美術館」
美術館という名前ですが、元々は駅だったんです。なのでこのような大きな時計が設置されています。当時は19世紀印象派の画家セザンヌの展覧会中でした。内部にエスカレーターとかもあって外観のわりに近代的な美術館ともいえます。
パリ市内だと、美術館といえばルーブル美術館でオルセーは川を挟んですぐ近くにあるのですが、2番手って感じですよね。ざっくりいうとルーブルはいろんな時代の作品を幅広く展示していますが、オルセーは「印象派といえば」って感じです。超ざっくりなので異論は受け付けます笑
ルーブル美術館も写真を載っけておきましょう。ちなみにパリ市内の風景写真は全て僕が撮ったものです。こんなところで役に立つとは。。。
こちらはルーブルの入り口にあるガラスピラミッドです。完成したのは1989年、フランス革命(1789)のちょうど200年後ですね。
ちなみにフランスは◯周年という節目の年を大切にするそうで、2024年にパリ・オリンピックが開催されることになったのは、ちょうど100年前の1924年がパリでオリンピックが開催されたからです。
3つ目は「凱旋門」
割と定番って感じですね。あえてエッフェル塔を避けて、「2番手」って感じのチョイス。。。2番手って感じの建物ってよくないですか?()
時代的には18世紀、新古典主義と呼ばれる時代の建築様式。正確には「エトワール凱旋門」と呼ばれています。ナポレオンの凱旋を記念して建てられたとか。「オ・シャンゼリゼ」で有名なシャンゼリゼ大通りを西に進むと見えてくるのがこちらです。周りには一周できる道路があり、そこから12本の通りが放射状に分岐しているため、そのまま来れるわけではなく、地下道を通って門の真下に出てこれます。実はこの凱旋門、中に入って屋上に登れるんですよ。らせん階段なので結構ハードですが。
ちなみに凱旋門はパリに3つあり、それらは全て一直線状に並んでいます。その中央にあるのがエトワール凱旋門(1836)、そしてルーブル美術館の近くにあるカルーゼル凱旋門(1806)、パリ市外にある新凱旋門ことグラン・ダルシュ(1989)。しかも新凱旋門の完成はルーブルのガラスピラミッドと同い年(フランス革命200周年)です!
こちらがカルーゼル凱旋門。
そしてこちらがエトワール凱旋門から見た新凱旋門。高層ビル街にあるだけに近代的なつくりになっています。
パリの都市ってすごく直線的というか、非常に計算されて作られているんだなということがわかっていただけたかなと思います。
都市計画の歴史などについてはまたいつか語ることにしましょう。19世紀ジョルジュ・オスマンによって行われた都市計画である「オスマン改造」について調べてもらえればよくわかると思いますので、今回は割愛。
そして1991年に世界遺産に「パリのセーヌ河岸」が登録されたのは、彼のおかげといえるかもしれません。まあほぼその影響ですね。その街並みをほぼそのまま残しているわけですから。
それゆえパリはどこを歩いていてもインスタ映えするスポットだということは強調しておきたいと思います。(これについてもいつか記事にしようと思います。)
最後に
ちなみにパリはバスの交通量がめちゃくちゃ多いです。すぐ近くの場所に行きたかったのに検索の綴りを間違えてめちゃくちゃ郊外に行ってしまって割と詰みそうになったのもいい思い出です。
車もそれなりにありますが、何より結構気性が荒いというか、駅前とかはクラクションガンガンな感じ。また、「パリの車は一人乗りばかり」とも言われています。素晴らしい街並みを持っているだけに環境問題についても考えなければならないのかなとは思います。
少し関係ない話ですが、パリは海がないですがビーチはあります。この話もいつかできたらいいですね。
専門範囲なだけにいろいろまとまりなく話してしまいましたが、いかがだったでしょうか?
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自己満ですが、最後まで見ていただきありがとうございます。