第3回球磨川リバイバルトレイル(2024年11月16日、17日)
出場まで
まずは決断。そして準備。
決断のきっかけは、軽い気持ち。一緒にトレランや山登りをしている仲間が、次々とマイラーになっていく。トレランをやっているからには、一緒に一度は100マイルを完走して、「マイラー」を名乗りたい。そう思っていたが、100マイルレースは、出場のレギュレーションが厳しい。100km以上のトレイルレースを制限時間内に完走しているとか、そういった条件が付く。しかし、この球磨川のレースだけは、「過去3年間で50km以上のレースを2回以上完走」という、若干緩い基準。ミドルレンジのレースであれば、週末だけで参加できるので、家庭持ちサラリーマンとしては出やすく、毎年1本は出ていたので、このレギュレーションはクリアできる。
レースの友であり、大学時代からの戦友である後輩を誘って、エントリーは完了。
さて、ここからの準備が大変だった。必携装備、補給食含め、準備のために一体いくらネットで購入したのだろうか。新しくトレランポールも購入した。
このポールは結局使わなかったのだが、長年参考をともにしたLEKIの登山用ポールをレース後にどこかに紛失してしまったらしく、今後使うことになりそうだ。
ヘッドライト2つ、モバイルバッテリー(軽いやつ)、ここらへんが値段が張るもの。補給食は、アミノバイタルゼリーの赤、アミノサウルスの00と01カキのたね、ミックスナッツ、といったところ。
<反省>
補給については、エネルギーゼリー系を中心としたが、これは失敗もあったと思う。100kmを過ぎてからは、とにかく知覚過敏がひどく、ゼリーやジェルが歯に当たると、痛みを感じた。そのため、ジェルは喉に直接流し込む感じになるし、エイドステーションの食べ物も痛くて食べるのが大変だった。それに重量もあるので、もっと軽くて歯に影響が少ないもの(パンとか濡れせんとかがいいと思う)を試してみるのがいいと思う。そうすれば、歯が痛くて消費しきれなかった柿の種やミックスナッツももっと食べることができて、エネルギー切れを防ぐことができたと思う。
会場まで
会場までも珍道中だった。次男を幼稚園に送り届けて、大急ぎで羽田へ向かう。この時急ぎすぎて、朝入れようと思っていた、スマホと時計の充電ケーブルをダブルで忘れる。これは致命的。後輩と一緒の出場じゃなかったら、次のエイドまでの距離が分からなくなり、路頭に迷うところだった。そして、空港について、急いで荷物預けをして、ラーメンを食べる。これは、熊本空港についてからシャトルバスまでの時間が少ないうえに、水上村についたら食べるところもないから。しかし、この荷物預けの時に、手荷物を一つ紛失してしまう(ラーメン食べた後に気づき、必死に探して無事に発見)。
そして、搭乗ゲートに行こうとすると、持っていきたかった酸素スプレーは没収(帰路で回収する予定だったが疲れすぎて忘れて、もうあきらめ)、ポールは長さ制限に引っ掛かり、緊急で手荷物預けになり、ゲートを通り抜けたのは、出発時刻の5分前くらい。走って搭乗ゲートまで行き、無事搭乗。一方、同行の後輩は、モバイルバッテリー3つが預け荷物としてNG(ライト×2+バッテリー)となり、荷物を全部解体、再度収納するという憂き目にあい、結局飛行機の出発を15分ほど遅らせるという大惨事となった。
そんなこんなで、無事?、熊本空港にたどり着き、シャトルバスに乗車。ここまで来るだけでもいっぱいいっぱい。②主幹前からの体調管理への気配りも含めて、スタートラインに立てるというだけで、けっこう満足するレベル。
バスで2時間、スタート会場につき、受付(荷物検査は無し)説明会を受けて(説明会を受けると完走率30%アップ!らしい)、各自割り振られた宿へ。夕食は、ジビエのカツやイノシシ汁を飲んで、英気を養う。しかし、朝食は出ない(大会側で用意してくれるおにぎり2つ)なので、もっと何か持っていくべきだった。
さて、そうこうしているうちにスタート時間が迫る。いつものラン前の準備体操をして、スタート地点へ。初100マイル(2人とも)、長い旅、長い一日(2日?)の始まり!
前半戦 スタート~A3(ドロップバックがあるエイド)
~W1 旧古屋敷小学校跡(12km):1時間59分
ほぼ最後尾からゆるっとスタート。長い旅、無理せずに、確実に完走することだけを胸にスタートする。スタート前には、こちらも同じく大学の後輩(100マイルとしては大先輩)と会い、健闘を誓いあう。
これまでショートレースが中心だったので、スピード的には余裕がある。ただ、まだまだ先は長いのでゆるっと走る。事前にNoteで出ることを知っていたMIHOさんを発見し、いいペースメーカーかなと思ってついていこうとするが、集団ロストのタイミングで見失う。結果としては速すぎたので、良かったかもしれない。
大きく一山超えて、下りは終盤までおなじみとなる激下りを経て、W1に到着。ここまででも割と水は飲んだので、完全に入れ替えて、少しナッツも食べてリスタート。滞在時間5分
~A1 不土野峠(10km) 1時間32分(total 約3時間半)
あまり覚えていないがゆるっと上って、ゆるっとトレイルを登って行ったイメージ。記憶があまりないことを考えるとそれほどきつい区間でもなく、トラブルもなかったのだろうと思う。22kmといえば、普段のトレイルであれば、カウントアップからカウントダウンに入るタイミングだが、ペースがゆっくりであること、100マイルであることで、序盤、という意識で到着。ここで飲んだ、うどんの出汁、がおいしかった。ここでも水を入れ替えて、ナッツを食べて進む。後になっても、こうやってナッツを食べながら進めればよかったが、次第に余裕がなくなり、食べられなくなっていったように思う。滞在時間5分
~W2 銚子笠(3km)
ここは登りですぐに到着。この先は、九州脊梁の長い区間、ということで、水を2L持つ。ペースがどのくらいか分からないので、マーシャル的な人に聞くと、「超順調。速すぎるくらい。次のエイドまで5時間かけていい」と言われた。ここで陽希さんと一緒になる。よーきさんとは、ほぼ終盤まで一緒だった。
高塚山登山口(18km) 4時間17分 (total約8時間)
W2からいきなり急な登りをガツッと登る。大きく登り続けて、ジグザグに上るところもあり、登りきったところで、休憩しているよーきさんに会う。饅頭みたいなのを食べていた。今から思えば、ああしてしっかりと定期的に固形物(ジェルではないちゃんとした食べ物)を食べることは非常に大切なことだったんじゃないかと思う。
そして、レース最高地点を通過して、下っていく。すでに下りは脚が少し痛かったな。上ったり下りたりしながら、早くすれ違いポイントが来ないかなと思って進む。そして、高塚山を過ぎて、すれ違いポイントへ。エネルギッシュでスピーディな先頭付近の人とすれ違う。そして思ったよりも早く、みちたろう、そして、MIHOさんとすれ違う。驚愕。こんな速いのか。すでに1時間くらいはついている。確かにゆっくりは来たが、こんなに差が付くとは思わなかった。おそらく下るスピードの差なんだろう。おそらく登りは自分たちの方が早い(この時点では)。しかし、下る技術が格段に違うことはレースの中で実感した。下りと、終盤でも平地の舗装路を走れる強さ、これがロングトレイルを早く進む秘訣なんだろう。
ここまででそれなりに疲れた。疲れたというよりは、エネルギーが枯渇してきたのかも知れない。ジビエバーガーと、ジビエ餃子、そしてあるものを何か構わずに食べまくる。トイレにもいく・それでもエイドで過ごした時間は18分。後半にかけてエイドで過ごす時間が長くなるのは、行動が遅くなるからだろう。滞在時間18分
W3 梶原地区(13km)
意外と長い登り返し。そして、下りに入ってからの長い林道(ここの長さはあんまり覚えてないけど)疲れも感じたから淡々と進んだ。この淡々と進んだ時間にもっと補給をすればよかったかもしれない。エネルギーの枯渇は、筋肉の分解を進めてしまい、それが脚の痛みにつながる。
そして、暑いからといって手袋をしていなかったので、左右ともにまめができて破けてしまう。ここのエイドで、水を入れ替えるとともにバンドエイドを巻いてもらう。
A3 髙野体育館(11km) 3時間23分(total約12時間)
梶原地区からここまではずっと舗装道路。下りの舗装道路は、この時はまだ走れたし、痛みに耐えるという感じでもなかった。平坦になっても走れたので、疲れは感じたが痛みは感じていなかったように思う。感じてたかもしれないけれど、後半に感じてた痛みに比べればないようなものだったのだろう。
川辺川沿いにずっと進み、最後に登って橋を渡る。やっとのことでA3。ここで、もう終わりたいくらい疲れた。
補給食を入れ替え、確りとエイド食を食べて、トイレにもいき、ガーニーグーを塗り込み、靴下を変えた。そうこうしているうちにあっという間に40分経ってしまう。滞在時間42分
後半戦 A3以降の100km
W4 宇那川林道(23km)
エイドを出て2kmくらい歩くと、トレイルに入り、直答する。直登に次ぐ直登だが、夏の継子岳の登りに比べれば大したことはない。ただ、エイドでめっちゃ食べたので、おなかが重く、気持ち悪い。そうこうしているうちに登り切って林道に出る。林道に出ると、下の方に明かりが見える。その人たちはこれから直登するのか、と思いながら進む。直答区間は、最長で帰路37分かかっていた。
そしてまたトレイルに入り、後半の最高地点をクリアする。仰烏帽子山(のけえぼしやま)だったと思う。最高地点は違うかも。でも、この山の名前はよく覚えている。たしか、3つのピークを順々にクリアしていった。その真ん中が最高地点。そして、下っていくが、これは激下り。ここらへんの山は標高はそこまで高くはないが、斜度はきつい。さらに下っていき、林道に出る。この前で、カフェインも痛み止めも飲んでいたので調子が良かったのか、下りの林道もがつがつ進む。ここは全く痛くなかった(これは完全に痛み止めの効果)。いろんな人がここの林道は長かった、と言っていたが、あまり長くは感じなかった。早歩きしていたら、着いた、そんな感覚。
A4 屋形多目的集会施設(10km) A3から7時間7分(total約19時間50分)
W4を過ぎてから、また舗装路や林道を登ったり下りたりを繰り返す。緊張感はないが、走る感じでもなく、ひたすら歩き続ける。ここが走れたら早いんだろうな。ただひたすらに進む。止まらずに進む。それが100マイル。そんなことを感じた。座禅のような時間。2人ともつかれて会話も少ない。100マイルはもっと、ゆっくりと進めるものだと思っていたが、思っていた以上に時間がなく、スピードも求められる。きつい。疲れた。でも進む。そんな感じ。広い公園のようなところの舗装路を歩いているときに眠気がピークに達し、歩きながら寝る。2人だからできたことだが、相方を視界にとらえながら、それ以外のものを視界から削除して、頭を休める。そんなことを10分か、20分かやっていたらすっきりして復活した。結局これがレース中、唯一眠かったポイント。
最後、舗装路を下ってA4に着くが、ここの下りはもう、明確に走れなかった。痛みで走れない。おそらく疲労も積み重なり、痛み止めの効果も薄れてきていたのだろう。登りは痛くないので、必要であれば、登りきったところで痛み止めを飲み、30分くらいで効果が発現、3時間くらいで効果が薄れ始める、という周期であることを覚えておきたい。そして、感覚は6~7時間は空ける。だから、飲んで3時間後からの4時間くらいは耐えなければならないということ。
トイレに行って、ろくに食べられもしなくなってきたけど何とか食べて(今思えばここのあたりから、歯痛がでてきて食べたくなくなってしまっていた)と過ごすが、あっという間に時間が過ぎる。滞在時間22分
W5 万江阿蘇神社(13km)
この後も林道や舗装路を上ったり下ったり。同じようなところがたくさんあったから、どこがどこだかよくわからない。確か、ここに到着したのが3時くらいだった。この時、一日を25時間で計算していたのを覚えている。頭も軽く壊れてきていた。
うどんがあったので、食べたが焼け石に水のような感じ。明らかにエネルギーが足りなくなってきていた。そして、この後が最後ではないが、大きな山としては最後にして、最難関。白岩山へ
W6 白岩山(13km)
登り始めはなだらか。こんな感じなら楽勝だぜ、と思っていたが、下ったり登ったりしながら、たまに急登が現れる。しかし登りは大丈夫。足も動くし、痛くもない。いったん緩やかになってから、最後の登りに取り掛かる。上は見えているのでそんなにかからないなと思うと力も沸いてくる。周りも明るくなってきて、2度目の朝を迎える。さあ、今日はゴールに到着する日だ。日が昇ると気持ちも明るくなる。登り切ったあとに下って、林道に出て、緩く登ってW6につく。きれいな晴れだ。サングラスを取り出す(でも結局曇ったのでいらなかった)。水を補給して、下り基調に入る。この後がこのレースの最大のダメージ区間
A5 公民館川島分校(11km)A3から 8時間54分(total約29時間)
ここは11kmしかなかったのか。そう思うほど、長く、厳しい区間だった。下り基調とは言いつつも、アップダウンはある、と言われていたが、軽いアップダウンではない。100メートル単位で上ったり下りたりするのが3回くらいあった。そしてどれも急傾斜。登りはまだしも下りは自分で出力を決められないから、四頭筋に大ダメージ。この区間で足の筋肉が壊滅的になったのは間違いない。この後、一切走れなくなるし、舗装路の下りに関しては歩いても激痛レベルの痛みだった。たぶん、レース中のアドレナリンがなかったら、動けないレベルの痛さ。
最後に2kmくらいの舗装路を下って、A5に到着。子のエイドでもミスがあった。焼き肉がおいしくてたくさん食べたが、炭水化物摂取が足りなかったので、この後、エネルギー不足に陥ってしまう。おいしいだけではなく、何を食べるべきかもちゃんと考えなくてはならない。滞在時間24分
A6 田上社会教育センター(17km)3時間9分(total約32時間30分)
元来た道を戻って下るだけ。そう思っていたら大きな間違いだった。元まで戻って、また大きく登る。まだまだ上る。そして、おなじみ激下り。足は悲鳴を上げる。そして林道の下りから、舗装路の下り。このコラボレーションは本当にありにダメージが大きかった。よくケガにならなかったと思う。やっとの思いで球磨川に辿り着いた時には、完全に脚は売り切れ。8kmの長い平地だが、歩くことしかできない。できることなら走りたいが、歩いているだけでも痛いのに、走ることができるだろうか?そう思っていたが、もしかしたら、走った方が痛くない、ということもあったのかもしれない。レースが終わっても、頭がおかしい発言。
延々と水害からの復興作業が続く川沿いを歩く。赤い橋が見えてきて、あそこまでかなと思ったら本当に橋を渡って、少し、じゃなくてかなり行って、A6.ここまでくれば完走は確実と言われた、A6についた。進めば完走できる。でも、身体が、脚が痛くて、進めるか分からない。だけど、あきらめたくない。
たくさん食べる。とにかく食べられるだけ食べて(シチュー2杯、おにぎり2つ、ソーセージ2本)、コーラ2杯飲んで、水、アクエリを飲んで、最終決戦へ。あと2つ登って下れば、ゴールだ。マイラーになれる。滞在時間23分
FINISH 球磨川河川敷スポーツ公園(16km)4時間7分(total 37時間7分)
ついにここまで来た。舗装路を登って、痛みに耐えて登山道を下り、もう一度登って下れば終わる。そう言い聞かせて進む。今思えば、この時に痛み止めを飲んでおけば、もう30分くらい早くゴールできたかもしれない。そんなことも考えられなくなるくらい、疲れていたし、頭もバグっていた。厳格も見えた(赤いコーンとタイヤが応援者にみえたり、ガードレール支柱が人に見えたり、ただの枯れた木が彫りものに見えたりした)、幻聴も聞こえた(ラジオのザーッという音に人の声が混ざったのが30分くらい聞こえたり、聞こえるはずのない運営の応援者の声「(下山口で)おつかれさま~」と言っている声とカウベル)、それだけ早く終わりたかったのだろう。
しかし、予想は裏切られる。舗装路で上っていくと、下り始める。一番痛い、舗装路の下りだ。これは聞いていない。勘弁してくれ。そして、また登り始める。この舗装路の登りは傾斜がきつい。口の中が痺れるような感覚が出てくる。これは、エネルギー切れの時の典型的な症状。これが悪化すると動けなくなる。残りのエネルギージェルを投入する。1つか3つ。持っていても重いだけ。食べられるものは食べる。そして、散策路という名のトレイルに入り、階段を上り、天文台がある頂上へ。そして、登山道を下る
。いやになるくらい下る。新幹線があるところまで下って、そこからラスボスの高岳。最後のジェルを投入する。登れることを信じて。ちょうど夕日が差し込んでくる時間だった。頑張れば夕日が見えるかもしれないと思うと、不思議と力が出てきて、一気に登ることができた。しかしさすがラスボス。登っても登ってもつかない。鉄塔までついてもまだ先がある。本当に300メートルくらいしかないのだろうか。それでも最後まで力は出せて、思ったよりも早くクリア。ついに最後の下り。丁寧に下れば、大丈夫。そう言い聞かせて、痛みをごまかしながら、というか痛みに耐えながら下る。そして、舗装路へ。ここも走れればよかったが、もう走れない。体がばらばらになりそうだ。大きく遠回りしているように思ったが、地図で見るとそうでもない。そして河川敷へ。最後数百メートルだけ走ってゴール。不思議とそこまで痛くなかったのはラストマジックか。
ついに100マイルを完走し、マイラーになれた。
レース後
レース当日
レース後のことも、記録のために残しておいた方がいいだろう。
終わって、カレーを食べたらすぐにタクシーでホテルへ。自律神経の異常か、エネルギーの枯渇か分からないが、とにかく震えがすごい。チェックインしたらすぐに風呂へ。
体を温めて、何か食べたほうがいいのは分かるし、歯磨きもしたいが、もうそれどころではない。とにかく布団に潜り込んで、すべてのスイッチを切る。1時間~2時間くらい寝ただろうか。気絶というのだろうか。そうしたら少しやる気が出てきて、飲み物を買いに行って、歯磨きをした。しかし冷たい飲み物を飲むと、またすごい震えが。布団に潜り込むとあっという間に朝になった。
翌日
足のむくみが半端ではない。いつもの靴がきつくて仕方ない。朝食ビュッフェで山ほど食べて、朝風呂。そしてシャトルバスで空港へ。大きな荷物は宅急便にした。足を引きづるようにして空港へ行き、空港内を歩く。
ここでみちたろうに会ったので昼食を一緒に食べる。そして久々のビール。おいしかった。
搭乗手続きを済ませた後に、馬刺しとコーヒー。もう思い残すことはない。そして帰途に就いた。
その後の体の状況
火曜日 這うようにして会社へ。段差は全てエスカレーターかエレベーター
水曜日 登りの階段が何とか登れるようになる。でもまだまだふくらはぎにピリピリした痛みが出る
木曜日 恐る恐る会談の下りが下れるようになる
金曜日 ゆるっと朝スイムができた。身体がこわばっているのを感じた。階段の上り下りができるようになって、いつもの23階からの下り、もできた
土曜日 30分のイージーライドだが、ローラーができた
日曜日 いつものメニューでしっかりと朝スイムができた。スピードはいちだん遅い感じだが、悪くはない
翌月曜日 レース後、初めてのジョグ。普通に走って、入りは帰路6分越え。そこから少しづつ上がるが、最後もキロ5分半。トータルで4.8km。
超長文となりましたが、初100マイル完走記録。
なお、普段の練習は、完走者の中で一番走ってないんじゃないかと思うので、記載しておきます
通常の練習メニュー
月曜日 30分くらいのラン
火曜日 朝スイム4000m
水曜日 30分くらいのラン
木曜日 朝スイム4000m
金曜日 オフ
土曜日 1時間くらいのラン
日曜日 ローラー台1時間
と、1週間で2時間くらい、トータルで20~25kmくらいしか走っていない中で、168km、37時間の旅ができたのは、上出来だったのではないかと思います。
そんな中で、次はどのマイルに出るかな、とか思っているので、誰か止めてください。