娘のばあば

娘はばあば(私の母)が好き
明るくて、優しいばあばが好きで一緒に遊んだ時も楽しそうだった

私は母が苦手、嫌いではない
もしかしたら好きなのかもしれないが苦手

いつも理想論にまみれてて、現実を見ておらず
何度注意しても月額の色んな契約を、勧められるがままにしてくるし(しかも使わない)
仕事忙しい時に電話来たと思ったら、明日みなとみらいのホテルとったから泊まろうと平日の仕事の日に誘ってくるし
その癖、後日金がないとかいいだすし
引越しするにしても、電気ガス水道に連絡しない荷物、ゴミそのままで結局コチラに連絡がくるし
これがほんの一部
助けてもらえるのが当たり前のような行動をし、そしてこちらの注意等は全く響かない

でも愛嬌があり、なんだか憎めないのか
実際、周りの人に助けてもらってることもあったようだった
まあ、最終的にどうにもならない程困ってから私の元にくるのだが
話すと楽しい人だった、とはいっても私はばあばにお説教ばかりしていたかもしれない

私は、自分がばあばのようになっていないか不安になりながら確認しながら生きてきた

そして、本当に良くないのだが無意識にそれを娘にも当てはめてしまっている事がある
話を聞かないのを直さないと、ばあばのようになってしまうのではないか
何でも人に頼むようになってしまったら、自分自身でチャレンジする気持ちがないと後々困るのではないか
娘がばあばのようになるのを恐れてしまい、厳しくなりすぎてしまっていたなと反省する事がある

ばあばがガンで倒れて動けなくなり、お見舞いに行った時
「お外で、みんなでご飯食べたいね
今度またみんなでご飯食べようね」とばあばは娘に言った

もう、立つ事は出来ないのに
娘と遊ぶ事も一緒にご飯を食べる事もできないのに
子供だから気を遣ったのか、その方が子供にとって良いことなのか
単純に本当にただ気持ちを吐露しただけなのか

娘はお見舞いの帰り道
「ばあば、治るの?だいじょうぶの?」と言った

私は、そのまま伝えた
もう歩けないこと、もうホスピスから出られないこと、長く生きれないかもしれないこと

事実を隠して
遊ぶつもりだったのにいなくなってしまったら、私だったら嫌だから
でも、小さい子供に伝えてしまう私がおかしいのか?自問自答した
娘は、特に取り乱すこともなく「そうなんだ」とだけ言った

認知症も併発し、最後の方は私の事も娘の事もわからなくなってしまった
娘の事がわからなくなってしまっているばあばと娘を会わせるかどうか悩んだ

長くないと言われた時、娘が熱を出したり治ったりしていた
熱が下がってから数日後なら一緒に行けるから
その時には娘をばあばに会わせてみようかとか
でも、自分の事がわからない事にショックを受けちゃうかなとか
色々考えながらブリ大根を煮込んでいた

そして翌日、出社直後にばあばがもう息が浅くなってきているという連絡があった
娘がもう熱は下がってるけど規定期間は経ってない旨を伝え、それでも一緒に来て良いと許可をとり急いで娘を迎えにいき向かった

娘の飲み込みは早く
「はやく!間に合わなくなっちゃうから!」と私の手を引っ張った
この子は本当に6歳だろうか
娘が隣でずっと手を握ってくれていたお陰で、ママ(私)は気持ちが少し救われた
結局、私も娘に助けてもらってしまっているのだ

電車で急いで向かい、到着した頃には
ばあばは既に息を引きとっていた

娘は「電車の中で…?」と間に合わなかった事にショックな様子だった
そうだね、間に合わなかったね、ごめんねと娘とばあばに伝え
バタバタとその後の対応に追われた

もっと、ばあばに娘を会わせてあげれば良かったかもしれない
数年前、私が倒れなければここまで酷くなる前にもっとみんなで遊べたかもしれない
私は薄情者なのだろうか

とばあばが倒れてからはずっと色々な考えがぐるぐる回っていたが
そのまま考えていると、また倒れかねない
でも考えてしまうのをやめられない

そんな時に、聞き馴染みのある声の配信を見たり参加したりしている間は、自分を責め続ける事から逃れられた
夫もずっと一緒に役所などにいってくれたり話を聞いてくれたし、娘も家で一緒にいてくれる

本当にありがたいことに、私も色んな人に支えられているんだなと思ったし

もっと大事にしていかなきゃいけないなと思った
家族も、周りの人も、自分も

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