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まんまと普段聞かない霜降り明星ANN0を聞いた日記

あー、怪文書ではない文章になるといいな。

6/19深夜、霜降り明星のオールナイトニッポン0をリアルタイムで聞いた。
偉そうに批評ぶるわけでも穿った考察でもなく、感想文を書きたくなった。聞いた人とだけ共有したいから、概要も今回の放送にまつわる背景もわざわざ説明しない。今たくさんの人が“感想”を抱いているのだろう。本当は聞き終わってすぐしたためたかったけれど、29時から冷静に頭がはたらくわけがない上に、件の放送でますます脳はやられていたので翌日の昼にこれを書いている。

正直、霜降りANN0は普段欠かさず聞いているわけではない。お笑いも深夜ラジオも好きだし霜降り明星には好感を持っているけれど、霜降りANN0に関して私は少なくともヘビーリスナーではなく、“余裕があるときたまに聞く”くらいのスタンスである。
だから昨日私がリアルタイムでこの放送を聞くに至った経緯は、恥ずかしながらみんなの言う「記者」及び「野次馬」と同じそれである。

たまに聞いていたから狂ったコーナーの外見を知っていた。それが救いであり間違いで、最低なことに“言及”だけ聞いて就寝しようと思っていた浅はかな私は意図せずこの伝説を目撃することになってしまった。

私がラジオに求めているものはいわゆるフリートークで、しゃらくせえと思われてしまうかもしれないがパーソナリティの頭の中とか、知る由もなかった交友関係とか、そういうものに触れるうちにその人の人間ごと好きになってしまうような、徐々に足を取られていくような感覚が好きだ。
そういう意味では、昨日の霜降りANN0に中身など存在しなかった。ネットニュースで“言及せず”という見出しがつけられていた。

いや、めちゃくちゃ言及だろうが!

2時間ずっと意思表示だった。これが霜降り明星ですと名乗り続けていた(ように私は感じた)。喋っている方も大概クレイジーだが聞いている方もこんなのクレイジーだ。パーソナルな自分の言葉じゃなかったとしても、2人の「人間」がお笑いから滲み出ていたじゃないか。せいやのお笑いを形作ったであろうカルチャーのパッチワークで乱打されて、その途中にいじめの話なんかされた時には粗品の好きそうなアニメらしい演出だなとにやついてしまった。それはさながら現状へのカウンターだったから。

これは紛れもなく擬態したフリートークだった。

いやフリースタイル?

結局この局面を2人はファンにとっての思い出にしてしまった。2時間の地獄(と形容してもいいかな)を一緒に走り抜けたファンたちは多分どこまでもついて行ってしまう。

いろんな芸人が霜降り明星のことを「主人公みたいだ」と言っているのをよく耳にする。それを聞くたびに、お前たちのことを主人公だと信じている私の前で脇役宣言をするなと斜めから怒りたくなってしまって、なんだか勝手にフィルターをかけて彼らを見ていたみたいだ。
深夜3時に衣装を着て、マイクの前で「霜降り明星」をやっている2人のことを主人公と呼ばずになんと呼ぶのか。

もう1回聞く体力はないし、タイムフリーで後から聞いたら最後まで聞かなかったかもしれない。私にダサい野次馬根性があってよかった。


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