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【自分歴史】高校生編①

ここから高校生編。いわゆる「根性論」とか「理不尽」とかを強く体感した時代です。内面的な部分はここがもう一つのキーになっていると思います。

高校入学式。

仏教学校だったので、入学と同時に数珠が配られていたのを思い出します。大きな講堂には立派な仏壇もあって、ちょっと不思議な雰囲気でした。

運動部の推薦入学だったため、必然的にバレーボール部に入部。

この時には、漫画で見るような爽やかな部活動に期待していましたが、実際には軍隊のような細かいルールがあり、思い返しても理解不能なことが多かったです。

バレー部なので、当然のように髪の毛は短髪。ここは全く抵抗なし。成績も赤点とったらペナルティ。まぁそりゃそうだ。(中学時代を棚に上げて)

ここからがよくわからないルールで、
①眉毛を手入れしてはいけない
②通学カバンはリュックでなければいけない

この二つがよくわからなかったです…。眉毛は「異性を意識しているからそんな身だしなみに気を取られる」と説明を受けましたが、全く理解不能でした。ですが、根が真面目なのか、しっかり守ってました。高校3年間、眉毛ボーボー両津勘吉スタイルで生活です。②に関しては、なぜなのかを先輩に確認すると、「昔(その先輩も知らないような昔の話)ある部員が手提げかばんで通学していて、自転車通学のためかばんを自転車のカゴに入れていたが、持ち帰りの教科書などが重たく、ある日バランスを崩して転倒。怪我をしたので練習に参加できなかったため、リュック通学が決まり」とのことでしたが、みんな自転車通学でリュックをカゴに入れてるので全く無意味な決まりだな。と思ってました。守ってましたけど。めんどくさいので‥
(思い返しても原理原則もへったくれもなくて、意味わかんない決まりです)

部活動はお盆とお正月以外ほぼ毎日。

やたらと練習あるくせに成績を残せなかったのは、一つに単純にチームの仲が悪かったからだと思います。一人ひとりはポテンシャル高く、結構上手な子が多かったと記憶しています。

ここで「チームとしての力」を逆説的に学ぶことになります。おそらく、通常であれば「高校生活の部活動で、チーム全員で決勝までいけたことが思い出です!最高のチームです!」となるような場面ですが、私の場合には「一人ひとりが出来ていても、チームとして根本の部分をお互いに理解できていなければ、全く力を発揮しない」ということを学びました。

今でいう、「理念の共有」みたなものです。

全員が全く別のベクトルを持っていて、合わせようという努力もなく、そもそも「合わせていこうよ」というリーダーも不在。リーダーシップの欠如。

二つ目に、顧問でもあった監督です。彼はいわゆる「恐怖指導」なので、できなかったことがあると怒りをぶつけてくる、又は不機嫌になってそっぽ向くタイプです。典型的なパワハラ型で、部員の自主性などは一切なし。「なぜ俺が言ったことを理解して体現できないんだ?!」となるタイプです。私は部長で「殴られ役」だったので、何かチームができなかったことがあったときには呼び出され、みんなの前で思いっきり叩かれる、という役どころでした。(何その配役)

一方、試合になったときには、キャプテンマークを別の子がつけて試合にでています。私にはついていません。(ここもよくわかってなかった)

これは当時、理不尽だな~と思ってはいました。練習中は部長として殴られ役、怒られ役になるし、チームをまとめるために面倒な仲裁やなぜか監督の身の回りのお世話係などありましたが、実際の試合では別の子がキャプテンとして指揮をとる、という構図です。

思い返せばよく我慢してたな。笑笑
当時は私より母がこの状態に理解出来ずだったので、あまり試合などは見に行きたくない、と言ってました。

今にして思えばどうでもよくなってますが、当時はそれなりにショックでしたし、じゃああの子が部長になればいいのに。と思いながらも、監督が怖くてそんな相談もできない状況でした。

そんな理不尽な部活動を継続できたのは、「誰に相談したって、結局自分の周りにいるのは同じ環境の人しかいないのだから無意味」と感じていたからです。一種の諦めにも感じますが、同族意識の強い中で何を言ったって、同情こそされても解決に向けて進むとは思えません。

なので、「辞めたい」「つまらない」とは思ってましたが、誰にも話などせずに、「あと1年半」「あと1年だけ」という気持ちで最後まではやろうと思っていました。部活動は必然的に最後の時が決まっているので、耐えることがやりやすいのも理由です。なので、黙々と練習だけはしてました。技術が不足しているのは目に見えてわかってはいたので、解消するには練習するしかないのです。
ただし、これ「正しい知識と理解」と「実行して成功するイメージ付け」が高校生の時には必要だと思っていて、決して経験値やイメージの押し付けではないと言うことです。

次回は「なぜ最後までやりきれたのか?」を振り返ってみます。

ではまた!

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