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【自分歴史】社会人編①

やっと社会人編…。

ここからは新入社員として「会社員」になっていく過程を振り返ります。

短大時代の就職活動からなぜか内定をもらうことができ、無事卒業することができました。当時この会社を選んだ理由は「自分が運動してたから、なんとなく」程度です。どんな企業なのか、どんな理念なのか、どれくらいの事業規模で、どれだけの人が喜んでいるのか、などは一切調査せず、フィットネスクラブということと、地元企業で転勤はない、というだけで選択しました。

内定が決まってから卒業までの3か月程度をアルバイトとして採用され、プール監視からスタートしました。

当時全くそんなつもりがなかった私は、水着を一枚で着る事にも抵抗があり、尚且つ当時は「会社初の女性支配人」が着任早々で、非常に緊迫していたことを覚えています。今では仲良くしてもらってますが、当時は「会話をする」ということだけでも困難なくらい怖かったのを覚えています。

※懐かしいのは、シュレッダーをかけていたら支配人が「私いま電話してるのわかってんの?!」とブチ切れられたことを鮮明に覚えています。笑


今になれば、33歳という今の私と同じ年で「会社が期待を込めて本店の支配人という重要なポジションに就けた」、というプレッシャーや、男性社会の中で結果を残さなくては、と必死になる気持ちも非常によくわかります。見てもらえるのか数字だけ、ということも大きなストレスですし、当時は本当に男性管理職しかいなかった&皆若いので、勢いもものすごかったと思います。当時の会議は怒鳴り声や机をたたく蹴る、数字結果が目標値にいってないとい部分を攻める詰める…。めちゃくちゃやん。パワハラの温床みたいなところです。

一方、現場しか知らない私は、運動部にいたのに希望部署が総務部(フロント)でした。インストラクターが専門職すぎて、私では絶対できないと決めてかかってたこともありますが、今となってはフロントからスタートしてよかったな、と思います。

フロントでは社会に出たときに常識となる様々なことを教えてもらいました。宛名の書き方や電話の出方、メモの書き方や引き継ぎの業者さんへの対応。お金の取り扱い方や領収書、請求書の出し方。あとは運動部あがりの悪い癖で、お化粧に一切興味がなかったのを叱られました。ちゃんとお化粧してから来なさい、と当時女子力の塊みたいな上司に言われ、やっとお化粧道具一式を揃えたくらいです。

そんなフロント業務に必死だったとき、上司からの「ボディパンプのレッスンモジュールに申し込みしておいたよ。腕立て、50回くらいいけるよね?」という晴天の霹靂が発生します。10回しかできません。

でも、モジュールは3週間後。レッスンにもろくに出ていない状態で、そもそも当時はフロントスタッフはインストラクターの業務をしない、という部署でした。ここから社内では初の「フロントとインストラクターの兼務」が始まります。兼務になったことで視野が広がった感覚も確かにありました。やはり、同一の環境に固執していては、成長などできないのです。

そのことも社会人になって体系的に知る事になります。

次回、「兼務になったことで芽生えたリーダーシップの重要さ」です!

ではまた!

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