奈落
精神科を特別視しすぎなんよな、というのは私を救ってくれた方の言葉です。あのツイートが、あの方の人生がなければ、私はいまここにはいない
私は抗うつ剤と精神安定剤を服用し初めて半年以上経ちます。ストレスと自己嫌悪と世への憎悪諸々混ざりあい、三月はなんとか生きていたものの四月にいろいろ耐えられなくなりました。一人で家にいたら突然希死念慮に襲われてパニック症状起こして(あのときの怖さは思い出したくないのですが)、今まで感じたことのないような…自分の命が第三者によって葬り去られてしまうかのような畏れ、的なものがぐわ〜って溢れてきて、人生終わったって思いました。
その日から、朝起きてから寝るまで延々と号泣しているような日々が続きました。たぶん一ヶ月ぐらい?いや短いじゃんって思うかもしれないけど苦しい二十四時間が三十回訪れることの長さといったらないです。ニュースが見られなくなりました。ミュージックステーションを見ることすらどうしようもなく辛く思えてしまって、泣きながら椎名林檎の歌を聴いたことを覚えています。心臓がばくばくして呼吸が荒くなるので一人で寝ることもできなくなり、一人でご飯を食べることも適わなくなり、電車に乗るのも苦痛で、階段を上る体力すら失われ、文字さえも頭に入って来ず疲れるばかり、普段楽しいと思えることもほとんど楽しめなくなりました。私は一生このままなのか、と思うと、気が滅入るなんて 言葉では到底言い様もないほどの絶望に見舞われました。
段々と治りかけていた会食恐怖症も悪化しました。頑張って気分を変えようと、家族とファミレスに行けば周りの人の声や食器の音が頭に響いて吐き気を催し、トイレに駆け込みました。そんな自分が虚しくて虚しくて便座の前でぼろぼろと泣きました。
常に様々な不安が私の頭の中を駆け巡り、今までぎりぎり頑張っていた勉強もここで一切手につかなくなります。人と電話することも当時の私は不可能になっていた(人と会話することが正直厳しかったし脳がすぐ疲れてしまって全く楽しく喋れなかった)上、LINEでは文字のやりとりしかできないため、私は孤独になりました。もちろん家族は私のことを責めずに支えてくれましたが、私の中では私は独りで、独りで私の中の悪魔と戦うしかなかったのです。誰とも不安や苦しみを共有することができず、毎日変わり映えのしない症状に耐えることは不可能でした。
私は精神科に行くことにしました。ただ、そういったところに行くということは私の中ではかなりハードルが高く、できれば避けたい道のように感じていました。なぜなら、自分の父親が長年抗うつ剤を飲んでいるのを知っていたし、自分も依存してそうなってしまうのではないかという怖さを覚えていたからです。
そんな不安感に苛まれていたときに出会ったのが、QuizKnockの河村拓哉さんでした。私にそっと手を差し伸べてくれた彼のツイートは数知れません…(ほんとうに)。彼の人生についてやら彼への感謝の意やらを述べ始めるとキリがないので割愛しますが、ここで私の好きな彼のツイートの抜粋を一つ。彼の質問箱へ届いた、「鬱病っぽくて何をするにもやる気が出ません、それを言い訳に学校をサボってしまいもうどうすればよいのかわかりません」といった旨のメッセージへの返答。「僕も昔はそうでしたし今も正直治ってるとはいいがたいのですが、とりあえず過去は変わらないので悲観しないのと将来から絶望を前借りしないこと」という決して長くはない言葉に、今までの人生が許されたような気持ちになりました。私の人生は間違ってなんかない、傍から見て美しい人生じゃなくたっていいと思えたのは確実に彼のお陰で、いつか会えたらどんな謝意を伝えようと思います。彼も私と同じようにメンタルの病気を患い、塞ぎ込んでしまった時期もあるからこそ、言葉に確かな彼の二十数年の重さが込められていて、それが私を絶望の縁から掬いあげてくれました。
彼によって背中を押された私は、ネットで調べた最寄りの二つ隣の駅のメンタルクリニックへ行きました。そこから紆余曲折あり、いま現在はなんとか大丈夫なラインまで戻ってきたのです(紆余曲折が長いので割愛)。もちろんいまも完治はしていないしすることは一生ないんだと思います(性格や考え方の癖を遅すぎるスピードで改善していくしかない)。
どうか、私みたいになる前に私じゃなくていいから誰かに吐き出して、好きな先生でも保健室の先生でも誰でもいいから。地獄を経験すれば人は強くなれる、なんていうのは地獄から出られた奴しか言えない台詞です、地獄から出られずに呑み込まれていくばかりの奴は呼吸するのに精一杯で声を上げることすらできないのだから。物心ついたときから自分は発達障害なんだと信じて疑わなかった私は、地獄なんてもの一度も体験せずに死ねるなら最高だなと思います。私は今でも地獄の中にいますが、ここの風景も慣れたし少しは美しく見えてきました。私はこの場所で生きることを受け入れたので現在はそこまで苦しくはないですが、それは時間がさせたことです。そして、時間が経てば必ず救われるということでもないです、私の場合という話であって万人に当てはまる方法などないからね。それぞれにそれぞれの地獄があって、私じゃない人の地獄は覗き見ることも理解することもできませんが、だからといって他者の全てを突っ撥ねた上、私の地獄だけが尊いと信仰し切るのは幾分勿体ないことのように思えます。私を守るためのプライドは私を虐殺することに繋がってしまうことさえある、それをよく分かっていないといけないのです。
私は今まで完璧主義で負けず嫌いで、そのせいで誰にも頼ってはいけないといった数多くの呪いを私にかけまくってしまいました。そのせいで苦しくなったときに誰も味方がいないような気持ちになり、世界に取り残されてしまったかのような錯覚さえ覚えました。でもそれは錯覚です。助けてくれる人はいくらでもいる。無知の知、というものはとても大切なことで、自分が何を知らず、見えず、聞こえないままで生きているのかをわからないと、誰彼もが敵のように感じてしまいます。私は、死ぬなとは言いません。しかしながら、朝に逆方向の電車に乗って海にも行かず、ノリで髪も染めず、イカれたメイクをして授業を受けることもせず、好きな人と勢いで不純行為をせず、校舎の窓ガラスぶっ壊さず、そのままで命終えるなんて勿体ないです。せめて一緒に使い切ってから死んだ方が楽しいと思います。
私はあなたに解決策を提示することはできないだろうし、あなたを地獄から引っ張り出すこともできないだろうけども、それでもあなたの何かを変えることはできるかもしれない。それは可能性に過ぎないけど、ずっと何もしないまま絶望の中にいるよりかはマシだとは思う、きっとね。私はあなたがどんなに格好悪くても嫌わないし、寧ろ格好悪い姿をもっと見たいです。
だって、醜さを見せることでこそ人間は人間らしく映えるから。