日本の弩消失と矢竹説
日本の戦国時代に機械式の弓、つまり「弩」(クロスボウ)(石弓とも)はない。飛び道具といえば火縄銃が登場するまでは「弓」を使う。
しかし、日本人が弩の存在を知らなかったわけではない。戦国時代の1000年前の古墳時代には弩がちゃんと存在した。実際に古墳から出土する。
ではなぜ日本から弩は無くなってしまったのか?
よく云われている説によると、平安時代の長い太平の世で戦争が無くなり必要性が無くなったから。
または武士社会になり、弓の鍛錬が奨励されたため弩は廃れたのだという。自分が読んだ歴史本にもそう書かれていた。
だが、それはどうだろうか?
武器というのは平和になって進歩しなくなることはあっても、簡単に廃れることはない。
隔絶区域である中南米やオセアニアでも、強力な武器が一度開発されたら消失する事はない。
・日本では弓が圧倒的優位、でもなぜ?
ところが日本の弩は歴史から綺麗さっぱり無くなってしまった。
なぜだろう?
こう考えればどうだろう。
「より便利なものは不便なものを駆逐する」
もし、日本には弩を使うよりも弓を使う方が凄く便利な特別な理由があれば、わざわざ弩を使う必要性はなくなる。
実際に欧米でもクロスボウより威力があるマスケット銃が登場したら、クロスボウは使われなくなっていった。
日本には弩だと不便で、弓だと便利なものがあったのではないか?
あったのである。
それが日本"だけ"に自生する笹「矢竹」だ。
・重要なのは発射する武器ではなく、飛ばす弾の方
弓と弩の違いを射出するための武器の方ではなく、飛ばす弾の方で考えてみよう。
「弓」(bow)と「弩」(crossbow)では使用する弾が違う。
弓で飛ばす弾は、矢(細矢)(arrow)といい、弩で飛ばす弾は太矢(bolt または quarrel)という。
最大の違いは細矢は軽量で細長く、太矢は短くて重く頑丈に作る。細矢と太矢に互換性はない。
まぁ、マインクラフトなどの一部のゲームではクロスボウの矢もボウの矢も同じなのがあるが…
日本以外の地域で矢を作る工程は次の通り。
1本の矢を作るのに、木の板をシャコシャコと正確に丸く削って矢軸を作る。それに矢尻と矢羽をつけるわけだ。
超大変な作業である。特に矢軸が少しでも歪んだら矢はちゃんと飛ばない。
このような工程で作る場合、太矢の方が作るのが容易だろう。細くて長い棒を作るより、太くて短い棒を作る方が手間は少ない。
このため、欧米で矢は非常に高価だった。矢が高すぎて弓隊の使用を躊躇する事例もあるぐらいである。
ところが日本の矢はこのようには作らない。矢軸にするために最適な植物、その名も「矢竹」が存在するからである。
・矢軸を作る為に最適な植物! 矢竹!
矢竹は最初から矢軸に使える太さの細長い棒となっている。わざわざ丸く削って加工する必要はない。しかも中空で軽量化されている。さらに一度切っても地下茎からバンバン生えてくるので極めて低コスト。
もちろん、矢に使える真っ直ぐなものを選別し、乾燥したり加工するのはそれなりに手間だろう。しかし、一本ずつ丸く正確に削る手間と比べれば必要な労力は雲泥の差だ。
もし、大陸の矢職人が日本の矢竹の存在を知ったら「Oh!チート!」と羨むだろう。
「竹が自生していれば日本以外でも矢竹を使うんじゃない? 中国にも竹はあるでしょ、パンダが食べるやつ」
という疑問は誰でも思う。しかし、実は矢に適した太さの「矢竹」は日本に生息していない。日本だけの固有種である。
ちなみに矢竹は竹と書くが、分類上は竹ではなく笹である。この笹という植物は日本で最も種類が豊富で進化している。欧米でも笹は日本的な植物だと認識されており、英語名もsasaである。
日本で矢を安価に供給できる矢竹だが、中空であるため弩用の太矢には使えない。強度不足で軽すぎる。
つまり、日本で弩が廃れ、弓が普及した理由は、弾である矢の圧倒的な供給の手軽さによる、と考えられないだろうか?
・弾薬の供給は戦場で非常に重要
戦場において矢弾は大量に消耗する。現代戦では矢でなく弾薬になったが、その重要性はまったく変わらない。
矢竹があるおかげで、この弾を供給しやすいという理由により、日本では弓を使うようになり、わざわざ弩用の太矢を作るのが非効率的になり、弩は日本から廃れた。こうして日本は弓だけの国になった、と考えられないだろうか。
こう考えると、補給の重要性について改めて考えさせられる。