見出し画像

配管工兄弟物語

※本項は『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』の内容について触れています。少しでもネタバレを踏みたくない方は閲覧にはご注意ください。

小学生なりたての頃、入学祝いに初めてゲームを買ってもらった。
今でも覚えている。親が両手に抱えて持って帰ってきた箱。黒一色の大きな機械――ニンテンドウ64。不思議な形のコントローラー。そして、『スーパーマリオ64』と書かれたソフト。

ワクワクで目眩すら起こしそうだった。説明書を読むのももどかしく(というか理解できず)、親がAVケーブルを繋いだりするのを口を開けながら眺めていた(多分コントローラーを持ったまま)。

カセットを挿し、電源を入れる。ドキドキした。何が始まるんだろうと思った。

イッツミー、マーリオー!

画像はNintendo Switch『スーパーマリオ3Dコレクション』のものです

大きなヒゲの男の顔が画面いっぱいに現れた。目が点になった。訳もわからずにボタンを押したりした。画面が変わる。やがて、緑色の土管から赤い帽子を被った男が勢いよく飛び出てきた。

広がるのは360度の世界、目の前に大きなお城がある。スティックを傾ければ、その方向に男が――マリオが軽快に走る。

テレビの中に広がるもう1つの世界を、マリオと一緒に冒険する。
心が躍った。


前置きが長くなったが、そんな感じでマリオに心を鷲掴みにされた少年時代の私は、以来ゲームで育ってきた。マリオシリーズも全作とまではいかないものの、3Dシリーズやスポーツ物、あとはマリオカートなどは欠かさず遊んできた。おっさんになってもそうしてきた。

高校生くらいの頃、友人が『魔界帝国の女神』のDVDを借りて私の家に持ってきた。リアル恐竜と化したヨッシーや「なぜピーチ姫でなくデイジー?」という映画に対する雑なツッコミを入れながら複数人で見る分には悪くなかったが、正直微妙に過ぎた。

やはり、マリオの本分はゲームなのだろう。でもいつか、任天堂が本気で作るマリオのアニメを見てみたい。てか最近のマリオ作品も「マリオサンシャイン」みたいにフルボイスに戻せばいいのに。

そんなことを思っていたら、本気のマリオ映画が発表された。しかも、ミニオンでお馴染みのイルミネーションと任天堂の共同製作。しかもしかも、製作に名を連ねるのは他でもない宮本茂その人である。
生みの親がガッツリ関与するなら、まあおかしな映画にはなるまい。予告編もすごく期待が持てた。日本語吹替版は全員プロの時点で好感しか持てず、ふだん字幕派の自分でも初手は吹替にしようと決めた。

トレーラーが出るたびにそんなことを思いながら、4月28日を待ち続けた。
日本に先駆けて世界中で公開されるや、アニメ映画史上でも最大級のヒットを飛ばした。
29日、電車とバスを乗り継いでエキスポシティに行った。目当てはもちろん、IMAXレーザー/GT。最高だろうマリオ映画を最高の環境で見るために。

前置きに千字を費やして、以下が感想になります。ここまで長くてごめん。あとここから先は「オルタナの、その先へ」くらい長いです。


あらすじ

ニューヨークで配管工を営む双子の兄弟マリオとルイージ。
謎の土管で迷い込んだのは、魔法に満ちた新世界。
はなればなれになってしまった兄弟が、絆の力で世界の危機に立ち向かう。

任天堂HP/ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー STORY より

シリーズの歴史を凝縮

マリオのデビュー作は1981年のアーケード『ドンキーコング』であり、この時にはまだ名前がなかった。続き1983年のファミコンソフト『マリオブラザーズ』で弟のルイージが2Pキャラとして登場、そして1985年の『スーパーマリオブラザーズ』の爆発的な売り上げにより、一躍その名を轟かせることになった。
その後継続的に新作が発表され、本編だけでもかなりの数に上るが、ストーリーや主人公マリオの設定が事細かにゲーム内で語られたことはない。ストーリーにしたって、「クッパを倒してピーチ姫を助け出す」の一言で解決するのだから、気にする必要もない。マリオを動かしてゲームをクリアしていく楽しさ、面白さこそが眼目だからだ。
そして、主人公のマリオはプレーヤーとイコールで繋がっており、その分明確なバックボーンも与えられなかった。

マリオとルイージはブルックリン在住の配管工であり(あまり知られてないが公式設定である)、土管を通して現実世界から、謎の原理で浮遊するブロックあり、食うと謎のパワーを得るキノコが存在し、火の力を得る花が咲き、喋る知的菌類が闊歩する不可思議な世界へとやってくることになった。そこに人間はいないが、ただ一人、容姿端麗なお姫様がいる……。
公式の設定を映画用に膨らませ、今までのゲームから矛盾しない形でマリオの物語や彼が抱えている内面が初めて誕生した。
宮本御大がジャパンプレミアでのインタビューで「やっとマリオが人間になった」と語っているが、映画を観て「なるほど」と思わざるを得なかった。

スーパーマリオブラザーズはもちろん、マリオ64要素、ギャラクシー要素、オデッセイ要素などマリオが歩んできた歴史が多分に散りばめられている。イースターエッグに関しては8bit時代の任天堂オールスターとでも呼べるもので、とてもじゃないが1回の鑑賞では見つけきれなかった。
レインボーロードをカートで疾駆するのはもちろんマリオカート要素で、青いトゲゾーがマリオの上をくるくる回った後炸裂するシーンはまんますぎて吹きそうになった。

なぜ一スピンオフシリーズがここまでフィーチャーされているのかといえば、マリオカートシリーズは売り上げから見ても任天堂のキラータイトルであるからだろう。虹の上を走るのは派手且つ痛快で、バナナにボム兵といった原典さながらのハチャメチャも見ていて面白い。机「バァン!!」

そして、今作のストーリーの流れである、配管工の兄弟(マリオブラザーズ)がスーパーマリオブラザーズとなる物語は、『ドンキーコング』〜『スーパーマリオブラザーズ』の流れを見事に踏襲している点も含めて最高だった。

”楽しい”で92分を駆け抜ける

 冗談抜きで中弛みがない。自分がファンだからというのもあるが、見ていて少しも退屈するタイミングがなかった。
 92分という上映時間は少し短めだが、子供が見る分にはこのくらいがちょうどいいのかもしれない。
 ストーリーは明瞭で、とにかく明るい。そして、派手なアクションシーンが多めでひたすら「楽しい」気分にさせられる。序盤のブルックリンを横スクロール風に駆け抜けるシーンなどはニヤニヤが止まらなかった。マリオといえば、なシーンの連続はとにかく見ていてあきなかった。
 

深掘りされたキャラクター

 マリオシリーズにはマリオを初め、いろんなキャラクターが登場する。しかしながらゲーム本編において彼らのパーソナリティが描かれることはあまりなかった。特に主人公であるマリオは、プレイヤーが操作するものとして、良くも悪くも内面描写が省かれていた。
 そんな中今回の映画化において、初めて彼らの精神性や出自が深掘りされる形となったのである。

マリオ

説明不要、言わずと知れたミスター・ビデオゲーム。
勤めていた会社を辞め、夢を追って弟と共に独立。元上司には嫌味を吐かれ、親類には理解できないと呆れられる。葛藤を抱えつつも、唯一の理解者である弟と共に頑張る若者の姿は、今までの陽気なスーパースターとは違う等身大感があった。
マリオが見せる何があっても諦めない精神性は、どんなにゲームオーバーをしても諦めずにクリアを目指すプレーヤーとシンクロする。
やや情けなかった彼が異世界での冒険を通して成長していく過程は、まさにヒーローにふさわしかった。

そして、子供の時からルイージをとても大切に想い、弟のためなら苦手なキノコを飲み下し、命だってかける弟想いのお兄ちゃんでもあった。ルイージが兄想いなのは割とゲームでも読み取れたが、兄貴はどうなのかが分からなかった。今回、弟に対する矢印のクソデカ具合がこれでもかというほど明らかになった。

あと、あんたキノコ、嫌いやったんやな。
 

ルイージ

永遠の2番手とか言われるマリオの弟。???「兄より優れた弟などいない!」
初の主演作品『ルイージマンション』にて、気弱で臆病だが心優しいという性格付が固まった。マリオと違い心情を吐露する場面もあったが、映画でもその性格は乖離することなく描かれている。
本作は兄弟愛が余す所なく描かれているが、その1つにあるベビィ時代の描写がまたエモかった。子供の頃から自分を守って助けてくれるんだから、そりゃ兄さん大好きになるよな…。
あまり関係ないが、『ルイージマンション』のラストで、やっとの思いで助けたマリオが目を回しているのを見て大笑いするルイージが大好きだ。兄を指差して笑いながら、目に一筋の涙が光る演出はあまりにもニクい。あれにグッときた人は多いのでは?

ピーチ姫

キノコ王国のお姫様にして、攫われるプリンセスの代名詞。
今作では美しく勇敢な一国の主としてクッパに立ち向かう。『スーパーマリオUSA』の如く空中浮遊し、スマブラもかくやというほどのライダーキックでクッパの看板を粉々にする。

そもそも、キノコ王国というキノピオたちの国の元首が人間の女性なのは何故か、他の人間がマリオたち以外にいないのは何故か(ニュードンクシティの人らは置いといて)、かなり不思議だったのだが、今回初めてその謎が明かされた。
ピーチ姫もまた、マリオブラザーズよりもずっと前、ベビィ時代にキノコ王国に迷いこみ、キノピオたちに育てられ、大人になってからプリンセスに擁立された。ずっとこの世界にいるからアスレチックも朝飯前だし、キノピオたちのために戦う覚悟を決める理由も納得できる。彼女にとってキノピオは愛すべき臣民というより、家族のような存在だったのだ。
ディズニープリンセスの如く表情がイキイキとしていたのもあって、かなり魅力的なキャラクターだなと再認識した。まあ元からスタイル抜群のブロンド美女だしな。

クッパ

みんな大好きクッパ様。キノコワールドの中では明らかに異端な戦闘力を持ったカメ族の王。
「控えよ、大魔王クッパ様の御成である!」
悪役にふさわしい、権力欲の強い残酷な魔王である一面とそれとは対照的なコミカルさを持ち合わせたなんとも魅力的なキャラは、映画に出てもそのままどころか、さらに磨きがかかっていた。

キノコ王国を狙うのは「ピーチ姫と結婚したいから」。結婚したすぎて自作のラブソングを熱唱する。結婚したすぎて「もし断られたら」と訊ねる部下を焼き○す。結婚したすぎてペンギンの国を滅ぼしてスターを手中に収め、世界全土の制服を目論む。
ピアノといい、世界征服といい、後輩のガノンドロフさんと被るところが多いなあ。まさかおじさんがハイラルを狙う理由って…。

キノピオ

喋る菌類。キノコ王国の主要国民。基本的に陽気な平和主義者。
自分らが可愛いことを自覚しているなんともアレな奴ら。その中でもマリオと行動を共にする赤いキノピオはいいキャラしてて面白かった。関智一の演技もハマってた。突然イケボで「可愛いには飽きました」とかいうな。

ドンキーコング

登場シーンで"Monkey rap"をやられてもうダメでした。最初はイガみあっていたマリオと危機を共にして仲直り→共闘、認め合う流れはベタながら秀逸。こういうのでいいんだよこういうので。

原作リスペクト全開な劇中音楽

実写版『モンスターハンター』最大の不満点は「英雄の証」を流さなかったことに尽きる。対して『名探偵ピカチュウ』はエンドロールでメインテーマのアレンジと杉森健氏のキャストイラストを流して原作ファンをしっかり満足させた。
それくらい、ゲームが原作の映画において、メインテーマを流す流さないは結構重要だと思う。原作経験者にとってメインテーマは親の声より聞くものであり、プレーヤーの心理に深く深く結びついているからだ。

で、今回のマリオの映画だが、有名な地上BGMのアレンジがしっかり鳴り響く。いや、鳴りまくる。
それだけじゃない。地下BGMから無敵時、レインボーロード、ピーチ城内、更にはウィンドガーデンにマリカ8のメニュー画面等々、あらゆるところで原曲の一節が盛り込まれている。
これだけやってくれたらもうお腹いっぱい。ブライアン・タイラー、君がNo.1だ。

吹替版のクオリティ

公式が「英語の脚本を翻訳するのではなく、同時並行で日本語の脚本を作った」「吹替でなくスーパー日本語版」というだけあり、違和感が何1つとしてない。
それでもって、声優は全員が本職の方たちで、キャラクターにマッチしているのが最高に良い。宮野真守ってなんでもできてもはや怖い。

不満点

特にない。確かに、ストーリーにはメッセージ性やどんでん返しなどの要素は薄い。皆いうようにその辺りが、批評家からの評価が芳しくない原因であると思う。マリオやルイージの掘り下げももう少し見たかった気がする(スパイクの店を辞めるに至った理由、クッパのカメ族の王たる所以とか。それこそベビィクッパだけ登場しなかったし)。
まあ、それだけ。この映画を楽しむ上では大した問題でもない。

総評

待った甲斐があった。これに尽きる。
誰もが知るゲーム界のスーパースターは如何にしてスーパーなブラザーズになったのか、ハイテンポで飽きさせない92分の中にしっかり描かれている。
自分よりも遥かに熱量の高いマリオオタクと呼ばれる人たちがこの作品に感謝している理由もわかる。
任天堂はイルミネーションという最高のパートナーと手を組み、史上最高のマリオ映画をファンに贈ったのだ。
本作は贔屓目抜きに見ても、ファミリー映画として、またゲーム原作映画としては最高の作品の1つじゃないかと思う。

29日、エキスポシティの109シネマは家族連れで鬼のように混んでいた。そこらじゅうで映画を楽しみにする子供の声が溢れていた。
没入感の高いIMAXだからかもしれないが、あれだけの子供がいても上映中はシンとしていた。
上映後、「面白かった」と語る子供たちの声がそこかしこで聞こえた。

それは子供が苦手な私でも、少し頬が緩むような光景だった。





 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?