9. 形成外科へ
朝、CT検査から始まる。
検査日時6月26日(火)9時00分、「予約時間の30分前に検査室にお越しください」とのことだったが、8時半の受付窓口のロールカーテンは下りたままだった。受付一番乗り。そのまま待合でひたすら待つこと30分。なんだよ。
頸部から骨盤にかけての撮影。説明書の「疾患により前処置として造影剤入りの飲み物を服用する場合あり。更に、必要時に肛門から造影剤を注入する場合もあり。」と書かれたところに〇がしてあって、先週から緊張していた。この後、形成外科なのに…。最悪の事態に備えて替えのパンツを持参して挑んだが、造影剤は点滴だけであっさり終わった。なんなんだよ!
朝から拍子抜け。
9:25 外科受付。形成外科の診察室横にあるソファーに移動して待つ。いよいよだ。
1番診察室には「Y先生」、2番診察室には「K先生」と名前が出ていた。
あれ?K先生の診察日は今日じゃない。今日の診察はY先生とE先生のはず。どういうこと!?
Z病院HPの形成外科の医師紹介を見ると、一番に出てくるのは部長のY先生。その下に医員のK先生が続く。更に下には、非常勤医師のE先生とF先生が居るが、ハッキリ言って非常勤は眼中に無かった。だってE先生、平成23年卒、若っ!
Y、E、1/2の確率でどちらかになるのは分かっていだが、Y先生に診てもらえると半分以上は思っていた。いや、そうなってほしい。手が冷たくなる。
10:25 呼出機が鳴る。「形成外科診察室2へお入りください」と表示されている。
Y先生じゃなかった…。でも、2番診察室の中には誰が居るの??
扉を開けると、果たして居たのはE先生だった。落胆と共に、頭が真っ白になる。入口の表示変えとけよ!
再建の説明が始まった。スライドを使って、術式について丁寧に説明をしてくれる。内容は先週渡されたパンフレットをなぞったもので、すでに頭に入っていた。所々、独自の文面が挟み込まれている。使われている画像も自分の作品だろうか。胸の谷間の縫い目が一針外れたように見えるのが気になって尋ねてみたりするが、大らかな返事。
しばらくは担当医ショックに思考停止状態で、気持ちを奮い立たせるのが大変だった。
ちらりと見たカルテには、Bt+ASMと書かれていた。areola-sparing mastectomy、乳輪温存皮下乳腺全摘術。
現時点での乳腺外科の判断だ。乳頭をくり抜き、乳輪は残す。切開箇所は、胸の脇。
乳輪を残すということは、胸の皮膚を切り取らずに済み、パッチワークにもならない。
このままで行けるか。検査結果で変わるか。このままだったらかなりいいかも。
他の場所に傷が出来ることを気にしなければ自家再建での選択肢も出てきた。
乳房再建について
(※図は国立がん研究センター東病院 形成外科よりお借りしました)
シリコンインプラントによる再建
自家組織再建・腹部皮弁(遊離腹直筋皮弁、穿通枝皮弁など)
自家組織再建・広背筋皮弁
※上記の再建方法はいずれも乳輪乳頭を切除する場合。乳輪乳頭が温存できる場合の切開箇所は、胸の膨らみに沿った脇や下(乳房下溝線)になる。
2018年当時の再建方法の内訳は、インプラントを選択する人が全体の約7割、残り2割は腹部、1割が広背筋だった。
傷痕が残りやすい自分の体質を考えると、腹部皮弁を使うのはどう考えてもナシ。
広背筋皮弁は背中に一本20cmほどの傷が出来るが、胸やお腹に傷があるのと違ってそれほど気にならない。許容出来る。
形の自然さや胸の柔らかさからいっても、インプラントより自家再建の方が魅力的だ。インプラントは被膜硬縮が出来ることも気になっていた。
私の希望は、なるべく自然な見た目で、ローリスクであること。コンプレックスをこれ以上増やしたくない。
広背筋皮弁法は大きな胸には適していない。広背筋の厚みと背中の脂肪で作れる胸のサイズはせいぜいBカップまで。更に、使われなくなった筋肉が縮み、術後に3割くらい胸が小さくなる可能性があるという。
私はBカップくらいだから、広背筋でもいけるんじゃないか。でも3割も小さくなったら左右差が大きくなりすぎるし、胸が無くなってしまう…。
気持ちは広背筋皮弁に傾くものの、インプラント一択だったところから急に転換出来ない。
胸の状態を診るために診察台へ。腰掛けて上半身の服を脱ぐ。
自分ではBカップだと思っていたが、いや結構ある印象だ、Dくらい…とE先生。
いや、絶対Bカップ。ここのところずっとオーバーウエイトだから大きく見えるだけ、今はC寄りのBかもしれないけど、元々そんなに大きな胸ではない。
カルテに「本人はBカップと言っている…」と入力している。そこ、わざわざ書くとこ?
いや、実際のサイズと自分のボディイメージが離れていると、術後に齟齬が生まれるというのでしょう?分かるけど、そんなに大きくないってば。
右胸の方が大きいと指摘された。自分でも気付いていたが、多分、それはここ最近のことだ。針生検の後からずっと胸に張った感じがある。癌の影響か思うと少し怖い。
右胸のサイズを定規で測定。
背中の肉を摘まみ、ウエストからぐわっとスカートの中を覗いて下腹の脂肪具合もチェック。胸の下垂なし。
どの方法でも適しているらしい。
写真撮影するね、と言いつつ、最後まで写真を撮ることはなかった。
「今まだ決めなくてもいいから。手術までに決めてくれればいいから。」
そう言われるが、自分の中で決定打がない。何かヒントでもなければ決めきれない。
「私にはどの方法がおすすめですか?」
「え!聞かれても、それは僕が決めるんじゃないから。答えは出せないよ。」
そうかもしれないけど、そうだけど…。
それに乳頭の再建はどうやってやるんだろう…。
スライドの説明だけで20分は経過していたが、その後、診察室の奥からY先生がちらりと現れた。あっ、と思って軽く会釈するが、気付かないふりでラックのファイルを触ったりして、するっと出ていってしまう。
質問をするとE先生が丁寧に答える。その繰り返しの中、Y先生は3回、看護師も何回も様子を伺いに来た。長くなっている診察を止めにかかっているのが分かる。申し訳なさでいたたまれなくなるが、こっちも必死だった。だいたい、「僕の説明は以上だけど、何か質問はありますか」という締め文句だと、延々と質問してしまうよ…。
いよいよE先生からの「僕も時間がね…。」と言う台詞で区切りがついた。
この人に手術してもらうことになるのか…。私の人生がかかっている。
今回で形成外科での診察は終了。次に会うのは手術前。質問があったらまた再診の予約をして、とのことだった。
「私、いい歳してるけど独身なんですよ。ずっと再建のことばかり考えてきたけど…」
最後に自分のことを少しだけ口にしてみた。途中から声が震えてしまって、急いで持っていたファイルで顔を覆った。
術式の話だと普通でいられるが、心持ちを話すと動揺する。
「…ドレスとかも着たいだろうしねぇ。」
とE先生が呟く。
は?いや別に胸や背中が出るドレスなんて着ないし。涙がピタリと止まった。
後々思えば、あれはウェディングドレスのことを言っていたのかもしれない。
恥部を晒したようで、空しい。
病院を出てから、取引先へ向かう。
3月まで勤めていた仕事とは別に、長年フリーランスで制作物の販売をしている。
失業保険期間中の取引は、受給の許容範囲に収まる微々たるものだったが、それでもこの先入院となると、制作の中断は免れない。定期的に取引しているこの取引先の担当者Cさんには、症状も含めて丸ごと報告していた。
形成外科での一件を話す。
E先生の印象は悪くなかった。話しやすかったし、質問にも誠実に答えてくれた。
でも如何せん、若い。いや別に若くてもいい。腕がいいならいい。E先生の技量が分からない。研修医が終わって何年?形成外科って職人的な分野じゃないの。経験が多いに越したことはない。
そもそもZ病院を選んだのは、Y先生の施術が受けられるということも大きい。都合もあるだろうが、どうしても割り切れない。
彼女の答えは明確だった。
「その先生、その若さだったら、きっと何度も担当医替えてほしいって言われてると思いますよー。どんな作品作ってるか見せてもらって、チェンジお願いするとか。」
後悔しない為にも、はっきり意見を言った方がいいですよ、と。
Cさんはいつも、強くて前向きだ。
帰宅後、JさんにもLINE。気になるなら言ってみるのがいい、と同じアドバイス。
Jさんには、癌について、どこまで人に伝えるのがいいかも相談した。
他の取引先には直近の取引が無い限り、現段階で説明する必要は特にない。
「癌」という響きに嫌悪感を抱かれる場合もある。
特に乳癌はパーソナルな部分を含んでいる。DさんやNに辟易したこともあり、友人に対しては、後々面倒が起こることも分かった。誰に話しても構わないと思っていたのが、一歩立ち止まるようになった。
第一聞かされる側から考えても、反応に困るし、別に聞きたい情報でもないだろう。
これからは、様子を見て、理解してほしい人にしか言わない。タイミングも選ぶ。
まだ迷う。
自分の希望を伝えてもいいものか。先生にとって失礼なのは重々承知だ。でも私も後悔したくない。患者が希望医を伝えても悪くはないはず。でも先方の都合を押してまで言うのがいいことか…。
しばらくして、夢を見た。暗がりの中、Y先生が無言で、すーっと近づいてくる。体が硬直して、動きたくても動けない。苦しい…。
金縛り。アホか。ここまで来たら、もう電話してみよう。
6月29日Z病院へ、担当医の変更について相談の電話を入れた。
総合受付から外科受付へ電話がまわる。Y先生に直接聞いてくれたようだった。
曰く
「担当医は替わらない。手術は一人ではやらない。Y先生を指名しても担当が誰になるかは分からない。」
との回答だった。
ハッとなる。断られたのと同じだった。
ここで手術してもらうことは変らない。担当医と良好な関係を持つことこそ重要になる。この前の診察は長引いて迷惑をかけてしまっているし、墓穴を掘った気分だ。
やるせない悲しみと後悔が広がる。
気を改めて、新たに沸いた質問のために、翌週ある乳腺外科の診察の前に予約を取ってもらった。
来週はまず、診察が長引いたことを謝ろう。
(2018年6月26日~6月29日)