13. いよいよ本当に、これが入院前の最後の診察

 7月の手術予定は考えなくてもよくなったので、月末の集まりに参加できる。
 当日の予定をメッセンジャーでやり取りする中、みんなに乳癌であることを伝えた。
 それまでこのメンバーの中で話していたのは、最初から相談していたJさんと、Hちゃん。二人同様ほかのみんなも、さらりと受け入れてくれたのが嬉しかった。
 普通に接してくれるのが嬉しい。余計な気遣いや共感、まして同情なんか要らない。
 中でも心に残ったのは、Mちゃんからの「教えてくれてありがとう」という相づちだった。私も人のデリケートな問題に出くわした時、こんな思いやりのある言葉を使えるだろうか。

 
 27日金曜は職業訓練校最後の登校日。土日を挟むと、あとは退校式を残すのみだった。
 最後の授業は一日かけてプレゼン講習の発表で、私の順番はくじ引きでラストになった。午前が終わったら退校手続きのためにここを去るから、発表はせずに終わることになる。私のテーマは「オオサンショウウオの魅力」。スライドもテキストも作ったのにな。
 午前の授業後、作成したデータをこっそりメモリースティックに移してもらい、そっと教室を出る。校長だった若い講師に「ありがとうございました」と挨拶すると、たんたんと書類を渡しながら最後に、「治療、頑張って。」と声をかけてくれた。思わず涙が溢れそうで、急いでエレベーターに乗り込んだ。
 
 ハローワークへ向かう道中、給付期間について冊子を見返してみる。
 あれ?給付はずっと3ヵ月だと思っていたのが、6ヵ月あった。更に期間中に求職活動が出来なくなった時には救済措置がある。
 受付で確認。加療にあたって、活動が出来るようになるまで受給を停止しその期間分を復帰してから受け取る、または、傷病手当と名目を換え受給を続けることも出来た。
 手術が終わってみないと今後の治療がどう転ぶかは分からない。迷わず傷病手当を選んだ。
 傷病期間は医師の診断書で決まる。もしも給付期間内に復帰出来たら雇用保険に切り替わる。給付は10月中旬まであった。これは助かる。
 
 翌日は美容院へ。久しぶりに長く伸ばそうと我慢の上やっと肩まできた髪を、バッサリいくことにした。
 入院中、一日パジャマですっぴん、まとまらない髪でべっとり過ごすのは、みじめで気が滅入りそうで嫌だった。術後に腕が上がらなくなることもあるそうだし、しばらくドライヤーをうまく使えるかも分からない。
 担当の美容師は私が18歳の時からずっとお願いしているだけに、今やベテランだ。顧客の中には乳癌罹患者もいるそうで、男性なのにある程度知識があり、抗がん剤副作用後の髪質の変化や生え方についても知っていた。
 切りたい理由を話すと、「うんうん」と頷きながら、入院期間にピークがくるようにカットしてくれた。出来上がりは予想以上に短かったが、「このくらいが一番納まりがいいから。段もつけない方がいいから。」と、ブローの要らない持ちのいいショートに仕上げてくれた。

 翌29日、みんなで集まる日。
 Jさんがトイレで胸の脇にあるしこり摘出後の傷痕を見せてくれた。7年経ったという傷は白く光っているが、そこまで気にならない。5年位してやっと目立たなくなってきたという。私も気長に待つしかない。
 
 30日は地元でKさんとお茶。前日の集まりに行けなかったから会おう、と連絡が来た。
 長時間話し込む。フリーランスの独身者、というのは私もKさんも同じだった。
 「付き添いが老婆(母親)だよ」と自虐的に笑って言ったが、考えるところがあっただろうか。いつもはクールなKさんが涙ぐんでいる。
 「手伝えることがあったら病院行くから」と言ってくれたが、他人の手を借りるのはやはり気が引ける。それよりKさんにもしも何かあったら、もちろん手伝おうと思う。
 帰りに駅の改札まで見送ると、きゅっと手を握ってきた。


 31日火曜日、9:00。
 外来受付で2つの科に同時予約していることを説明している最中に呼出機が鳴った。乳腺外科だ。
 
 「先生に訊くようなことでもないのにすみません!」
 と言いながら勢い込んで診察室に入る。
 「あのね、手術中に生理になったらどうなるん…?」

 するとT先生は、ああ、と全て分かったようで
 「手術前はナーバスになるからねー。」
 と明るく迎えてくれた。

 「女性はそういうこともあるからねぇ。どうやってるか知らないけど、看護師が対応してくれるから。」
 そんな、知らないの!?だってどうやるのよ。
 年末の大量出血から不安に思っていることを伝えると、「あぁ、いつも多いのね」と納得したようだが、違う、いつもは別に多くないの。不意打ちであの時みたいに多いのがくるかもしれないから心配なの。

 「大丈夫だから!綺麗な布に包まれてるから!」
 えええ、先生!!
 「俺は知らない。」
 オレって言ってるしー。あぁぁぁ、誰か教えてぇぇぇ。

 だめだ、これは諦めよう。
 ただやはり、リスクがあるとのことで「ピルは使わない方がいいねぇ」とやんわり言われた。もちろん生理不順で短期間使用したくらいのことが、今回の乳癌に影響した訳ではないけれど。

 ついでにもう一つ質問。
 前回貰った同意書と承諾書の中にあった「輸血後感染症検査のお願い」について。もしかしたら術中の輸血で肝炎ウイルスやHIVに感染する可能性もあるかもしれないけどよろしく、という内容。そんな!
 乳癌の手術ではそれほど出血はなく、輸血が必要になるのは、術後に大量出血などのアクシデントがあった場合のみ、だそうだ。

 「あくまで可能性の話。書いておかなきゃいけないでしょ。
 他にも、例えば、全身麻酔で死んじゃうとかー。」

 あえておどけたように「死んじゃう」の部分を強調して話す。
 あぁなるほどー、などと言いながら、「死ぬ」ってセンシティブな言葉、これから手術する患者に対して、わざと使うのかな、それとも普段からこういう風に話す人なのかなぁ、と頭の中で動揺が広がる。

 「ところで、立ち会いの人っている?」
 「あ、あぁ親が。」
 「え?」
 「親が。」
 「……。おっけー。」

 おっけー、じゃねぇ!「……。」の間に、私の状況を把握したね。
 だいたい乳腺外科の診察へは、夫婦や家族で来ている人も多い。T先生も、付き添いの男性が入室する際には「おぅ、こんにちわー」と明るく大きな声で挨拶していて、和やかな室内が想像できた。私が入る時はいつも「あぁ、」とか、そっけないもんな。別にいいけど。
 そして、家族の同席、というのも一度も求められたことはなかった。どうやら、連れてこないってことは何か事情があるのだろうというスタンスらしく、別に説明を聞くのは自分だけで構わなかったしわざわざ出向いてもらうのも申し訳なく思っていた私としては、余計なことを考えなくていい分、逆にとても気楽だった。

 「この後、形成に質問しに行くんです。」
 「行っといで。」
 優しい返答。お父さんか。

 「もしかしたら、術式変わっちゃうかもしれない。」
 「うーん、そしたら、また来て。」

 朝からバカげた質問に答えてくれてありがとう。行ってきます!


 続いて9:15、待たずにE先生の形成外科。
 またまたメモを片手に質問する。

Q. ASMで乳輪の壊死が起きた場合や、断端陽性になった場合の、乳輪切除時の再建について。腹部や大腿部からの移植になってしまうのか?パッチワークは不可避?
A. 腹部や太腿から移植せずとも、広背筋の傷口付近から皮膚を取る、乳頭に関してはドッグイヤーから作るなど方法あり、乳腺・形成、両科で相談して決めること出来る。

 よかった。T先生の話し方だと見つけたその場で取っちゃうのかと思ったけど、そこにも希望を伝えることが出来るのね。

 次は先日電話で相談した乳頭再建について、もう一度詳しく説明してもらった。E先生が考えている方法は、切り取った背中の皮膚で乳頭を皮弁立上げで作り、くりぬいた乳頭部分から引っ張り出す。

 「その代り、乳首でっかくなるよ。」
 「え…、でっかくはして要らない…。」

 背中の皮膚は胸の皮膚より厚みがあるため、丸めて作るとサイズが大きくなりがちなのだそうだ。
 示してくれた乳頭の展開図は、凸型で、組み立てると缶詰のようなかたちの円柱形だった。

Q.再建後の乳輪の左右位置について。修正は可能か?その場合はどのようにする?
A. 上がってしまったものは治せない。健側を持ち上げてバランス取る場合は乳輪を切り取り上に上げ、下部を縫い絞る感じで修正可(保険適用で何とかやれる)。

 この診察までの間、当然ながらネット検索を続けていた。頼みの綱は体験者のブログだが、乳房再建で、自家再建で、尚且つ広背筋皮弁となると、圧倒的に記述が少ない。やはりみんな苦労した経験からか傷痕の写真や治療過程などを詳しく掲載してくれているのだが、広背筋皮弁はほんの数件見つけられただけだった。

 そんな中目にしたのは「拡大広背筋皮弁」。腰回り、お尻の上部辺りからも脂肪を持ってくる方法で、傷痕は背中の正中から腰に向かって斜め下へと広背筋皮弁より大きくなるが、その分大きな胸を作ることができる。

 「はいはい、S先生考案のでしょ。広背筋以外からも脂肪を取ると、血流が確保出来なくて壊死する可能性があるんだよ。胸が固くなるとかあるから、僕はやってない。」

 但し文に「血管を繋ぐのに技術が求められる」とありましたけどね…。

 「その代り、出来る限り背中の脂肪をしっかり集めてくる。」

 もしもの場合のパッチワーク回避策として、一次をエキスパンダーにする必要があるか考えていたが、壊死の可能性とエキスパンダーでのトラブルの可能性は同等位(つまりその位少ない)、もし乳輪切除になってもパッチなしで何かしらの再建の可能性があるとの説明で、このまま広背筋皮弁で行くことに決めた。

 一次でほぼ全ての再建をしてしまうことについても少し不安があったが、その分負担が少ないという点でも納得。

 「利益的に一次で全てやらないようにしている病院もあるけど、Zは患者さん優先で考えてるからね。」

 なるほど。病院側の事情というのも絡んでるのか。これは、経済的にも肉体的にも、精神的にも、非常にありがたい話…。

 もう一つ気になっていた、退院時にどんなブラをすればいいのかについては、ブラトップ、ワイヤー入り、どんなものでもOKだそうだ。
 ホントか?細かい医師は事前にブラジャーを持参させてチェックしたりするそうだし、患者間で再建後のブラ問題は話題になってるぞ。入院までの間、調べなきゃ。

 「手術日知ってる?22日。」

 ん?T先生はまだ決まってないと言ってたけど…。

 「あれ?僕、T先生から、『22日空いてる?』って打診の電話もらって、『いつでも大丈夫です』って返事したんだよ。」

 わぁ、T先生、たぬきなんだぁ(体型もな)。さっき面と向かって言い切ったのに。
 「T先生は、『分からない。全く決まってない。』って言ってましたよ…。」

 そこでE先生は言い過ぎたと感じたようで、挽回するように、
 「分からないよ。まだ変更があるかもしれないからね。」
 と付け足したが、もうこの日で決定だろう。また一週遅くなった。
 E先生は素直だな。早めに教えてもらえて助かるよ。

 E先生と話すのは、いつもまるで学生の頃の、同級生に向かっているような、懐かしい感覚がある。それだけ話しやすいということだが、彼の若さが大きな要因かもしれない。
 それに甘えて、質問もつい長くなってしまう。他の先生はキリ時を自然と誘導してくれてるんだよね…。

 診察中イラストや説明を描いた時、T先生は最後に「はい」と言ってその紙を渡してくれるのだが(そのタイミングも言い方もとても可笑しい)、E先生はいつも渡してくれないまま診察が終わる。
 医師にとっては他愛無いものでもやっぱり患者としてはどう説明されたか思い出すのにも貰いたいもので、「ください。」って言えばよかったかな。


 さあこれで疑問は粗方解決した。これでもう任せようと思う。
 丁寧に対応してもらえた。
 いよいよ手術。
 Z病院に転院してよかった。


(2018年7月21日~7月31日)

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