6. Travelling in The Dark
今後への不安。
今や癌よりも、乳房再建が心配事のメインだった。全摘なら絶対に再建ありき。いびつな胸を抱えてはこの先うまく生きていけるのか、自信がない。
自分に誇れるものがあれば、胸が無くなった自分にも価値を見出せるかもしれないが、私にはそんなものない。大きなマイナスが増えるだけだ。とてつもなく大きなマイナスが。
価値観を変えなければならない。こんな短期間に(じゃないと潰れる)!
乳房再建について調べる。
大きく分けると、インプラントを入れるか、自家組織を使うか、の二択。
自家再建は腹部や背中などの組織を使う箇所に大きな傷が出来る。
腹部の組織で再建する場合、お腹の脂肪が減るのは魅力的だが、ドラえもんのポケットのように大きく皮膚を切り取る。縫い合わせると横一文字に長い傷が出来る。まるで切腹だ。
更に自家再建は無くなった乳首と乳輪を埋める為に、別の皮膚が胸にパッチワークされるのが見た目的に絶対受け入れられない。傷自体もどう残るかが気になる。
自分の醜い体がますます醜くなる。インプラント一択か…。
「Nには未病とは違うって説明したからさー。」
Dさんは先日のLINEでのNの暴走を咎めてくれたようだが、その当人もストレスの種になった。やたらと心配はしてくれるのだが、ピントがずれていて意味を成さない。
実体験のある人から意見を聞きたい。情報が欲しい!特に非浸潤癌罹患者は少なく、情報も少ない。何より、再建した人の話が聞きたかった。
身の回りには全く当てがない。Dさんの友人に2人の乳癌体験者が居たが、再建についてはさっぱり分からない。だがDさんを通すとややこしくなるが目に見えるので、それ以上尋ねる気は起きなかった。
未だに癌の実感は湧かないものの、心細くて何度も涙が出る。
Dさんからメール。
「今ちょうど下着の原稿書いてるところなんだけど、年齢重ねると、胸の形は四角くなり、垂れるだけじゃなくて横に広がるそうです。私もそんな感じ。なんだかなァという感じだから…」
だから大らかに考えろ、ですと。
そういうことじゃねぇんだよ!!
歳なりの劣化なら気にしないよ。片方は人工物になるの。左右差が出来るの。一生その胸を付けて生きていかなきゃいけないの!
Dさんの潰れた胸が頭に浮かぶ。サイズの合ったブラジャーすればいいのになぁ、と心の中でいつも思っていた。
第一、一回り以上年上の、結婚も出産も済んだ人に、自分と同じように語られたくない。
気を取り直し、再建のあらましを簡潔にまとめて返信する。
怒りとやるせなさを抑えて、重くならないように、何度も書き直す。
「ああ、そういうことかぁ。」という返信。
消耗する。
6月6日、MRI検査を受ける為の診察。腎臓の数値を調べる為に血液検査も受ける。
廊下で待っていると、診察室から出て隣に座った年配女性がメモを持って説明に出てきた看護師に訴えた。
「検査しなくてもいいですか?…だって怖い…怖い。」
人っていろいろだな…。私なら、検査しないで癌が進展する方が、もっと怖い。
もうこの日しか話を聞く機会はない。診察室で、用意してきたメモを片手に医師に質問を投げた。
高齢者にも手術を薦めるか?
親族にも一人乳癌罹患者が居た。祖母の妹だ。70歳で罹患し、10年後にもう片方の胸も罹患し、インプラントで再建もした。最初の乳癌は今から20年近く前のことだ。2回共、手術以外に何か治療をしたという話は聞いた覚えがない。
80歳で罹患したのがもし非浸潤癌だったら、また同じように手術する意味があるだろうか。そのまま何事もなく生涯を終えられるかもしれない。
医師の答えはイエス。年齢で止めるような手術ではない、と。それほど侵襲の少ない手術ということか。
私の中では、まだ非浸潤癌というものへの整理がついていなかった。
手術の時期を遅らせることは出来るか?
例えば冬とか。夏の手術は、術後の皮膚にダメージがありそうだ。このごろ汗でも皮膚がかぶれてしまうので気になる。
すると医師は怒ったように
「そんなことは標準治療から外れる!そのまま何もしないなんてことは出来ない。もし手術を遅らせるなら、抗がん剤を使うとか!」
と言った。
そんなに大変なことになるの?でも、半年経過観察してもいい位の状態じゃなかったっけ…。
「自家再建について調べてみたんですけど。…傷が凄いんですね。」
私が言うと、医師はそうでしょうと言わんばかりに顔をしかめて
「フランケンシュタインみたいですよ。」
と続けた。
医者なのにこの言葉か…。
でも、つぎはぎのイメージって、そうなるよね…。
やっぱりインプラントでの再建しか考えられない。
セカンドオピニオンについて、地域のがん診療連携拠点病院、S病院、Z病院の名を挙げて訊いてみる。
医師は、セカンドオピニオンは時間がかかると言って、懐疑的なニュアンスで答えた。
地域の拠点病院では臨床で特別な治療を実施しているという。頼んでみれば教えてくれるだろうと言われたが、この時はピンとこなかった。
S病院についてはかなり詳しく教えてくれた。
「あの医師は同年代なので、よく知っています。あの医師は地元紙でコラム連載を持っていて、更に、地元の総合病院が無くなってしまったのを自分で再建した。だから地元民からの信頼が厚い。
特に女性は口コミの力が強い。」
そうね。特に年配者にとっては、口コミしか手段はないしね。
「あそこならインプラントでの一次一期をやっていますよ。一度に再建出来ます。うちの形成外科医は否定していますがね。」
Z病院については、特に知識はないようでコメントはない。
苦々しく医師は続ける。
「若い人はブランドを気にする。その欲を満たしたいなら、そこに行けばいい。
だいたい、98%か、97%かで決めるのはキツい。90%以上ならよしとする方がいい。そしてそのレベルの医者ならゴロゴロ居ますよ。あなたが今挙げた病院なら、私の家族だとしてもどこでも賛成しますよ。」
それはそうなんだけど。悩んでいるのはそこじゃない。なんだか辛い。
家族、かぁ。
最後にこの病院について。手術数は年間80例ほど。再建数は一割だそうだ。少なっ!
「乳癌て、その後の診察とか病院と長い付き合いになりますよね。先生はいつまでここにいらっしゃるご予定ですか?」
年齢的にも、この医師はいつまでここで働くのだろう。
医師は驚き、モゴモゴと適当な言葉で政治家並に濁した後、荒げた声で続けた。
「そんな、診察なんて、手術が終わればどこででも好きなところで出来ますよ!」
恩着せがましいこと言うな!といった表情だ。
「拠点病院なんか、非浸潤癌なんか手術すれば終わりですよ!構ってほしいなら、S病院とか個人医院に行けばいい。」
手術すれば終わり。
そのくらい状態が軽いからか。でも、その言い方…。
また質問で一時間近く経ってしまった。医師がイライラしているのが分かる。
私が最後の患者だったらしく、診察室を出た途端ガチャリとドアの鍵がかかり、カーテンが引かれ、電気が落ちた。
診察室向かいのベンチで待っていると、看護師から今後についての紙を渡された。7月5日か12日。手術日まで決まっていた。あれだけの説明で!?
この先どうしていいのか全く分からない。指針がない。
心細くて看護師に話しながら泣いてしまう。
セカンドオピニオンではなく、転院を薦められた。今週中でも、と。
診察が長引いたから血液検査は出来ませんよ、と不機嫌そうに医師は言っていたが、まだ間に合った。採血して、帰宅。
職業訓練の休み時間、ビルの非常階段の踊り場からZ病院の総合受付へ、問い合わせの電話をしてみる。
転院する場合はMRIを受けてから予約を取るように、と言われた。
気持ちはとっくに固まっているものの、決断に迷いがある。
私はこれでいい方向へ向かえる?
6月9日土曜日、午前の診察時間が終わる直前、K病院に転院希望の電話を入れた。
(2019年5月27日~6月9日)