3. 癌とは

 帰宅。
 どうだったー?と声を掛ける母に返す。

 「癌だって。」

 穏やかな土曜の昼下がり。のんびりした母の顔が引き締まった。

 それより私の頭の中は疑問符だらけだった。あまりに知らないことが多い。
 
 細胞が転移、増殖していくのが癌だと思っていた。でも乳管の中に留まっているだけなら、それは癌と言えるのか?増殖もしないものが何故癌の分類になるんだろう。
 そもそも癌とは?

 非浸潤癌というものが何なのか、飲み込めないまま、悶々とネット検索する。
 私の癌に対する知識は、ステージが4つとか5つに分かれている、くらいだった。

 3月まで勤めていた職場のスタッフが一人、乳癌になった。
 しこりの上にひきつれまで出来ていた彼女は、乳癌に対しての知識は全く無く、自覚症状が出た春から放置していた。検査に行ったのは翌年1月。市の乳癌検診に行くと話した私に触発され症状を打ち明けてきたので、受診を強く勧めたことがきっかけで発覚した。
 この人、もうダメかもしれない。しこり以外のものがあっても平気なんだろうか。半年以上もそのままで。不安と恐怖が込み上げた。
 乳癌について、ネットで調べてみたのはこの時が初めてだった。だた、あくまで他人事だ。ステージは5つだけでなく、更にaとbにも分かれている。よく分からない。面倒くさい!
 私の検索はそこでストップしてしまった。

 彼女は地元の総合病院に週一で入る大学病院の女医の診察を受け、その医師を信頼していたが、会社の薦めで国立がんセンターに転院することになった。
 産業医との繋がりで、主治医は当時の乳腺外科トップ・K先生だ。会社は再発率が高い癌ということを考慮して、最善策を用意した。だが彼女としては不満が大きかったのだろう。ギリギリになって元の病院に戻り、当初の女医の治療を受けた。

 検査の時から彼女は文句を口にしていた。
 聞いた中でもショックだったのは、病院によって検査方法が違い、その検査によってリンパ節に癌が転移してしまったということだった。
 彼女曰く、
 「築地でやった検査でリンパに17か所も転移してしまった。」
 「(女医の)先生に『あぁ、その検査は散りやすいから、うちではやらないのよねー』と言われた。」
とのこと。

 そんなことってあるんだ…。名医がいいって訳じゃないじゃない。
 がんセンターでは手術が4月か5月の連休辺りになりそうなこと、その為、術前に抗がん剤治療をするということにも強い拒否反応を示していた。
 術前化学療法という言葉も知らなかった私は、彼女の言うことを、大病院を受診する弊害と受け取っていた。※

 でも…。


 細胞診の検査結果が出た診察時に、まずこのモヤモヤした疑問を医師にぶつけた。

 「あのう、病院によって検査方法が違うということはあるんですか?」
 彼女の出来事を説明する。

 「方法が変わることはない。今時、生検で癌が飛び散るだなんて。そんなことはない!」
 眉をひそめて医師がキツく言い放つ。

 「それにもし、万が一そんなことがあったとしても、患者の前で『うちではその検査をやらない』なんて不安にさせることは言わない!」

 あぁ、そうよね。

 「若輩ながら申し上げると」
 いやあなた、病院のHP見ると59歳くらいじゃん。凄い表現だなー。
 「いい加減なところで検査を受けるとか…。だから病院選びは慎重にしなければならない。」
 うん、がんセンターだけどね、K先生だけどね…。
 
 「大体、患者の言うことは整合性が取れないことが多い。」

 彼女の話す内容には他にも不思議に思うことが幾つかあったが、やりかけやごまかしの書類の山、言い訳が多く、引継ぎもないまま辞めていった姿を思い出し、そこですっと腑に落ちた。圧倒的に医師の言う言葉を信じられた。
 きっと彼女は不安で心がいっぱいな上、病院に行かなかった自分を責められたくなかったのだろう。今や何が本当だったのか分からない。


 私の癌は顔つきがいい、とのことで、医師も淡々としている。
 非浸潤癌はステージで言えば0期だ。私も実感が湧かず、おできでも取るくらいにしか考えられない。

 治療は?手術と、ホルモン剤を飲むらしい。
 ただ、私のように乳房下部に腫瘍がある場合、切除すると変形が強いので、全摘して再建する方がいいと、インプラントで再建した乳房の写真パネルを見せられた。
 どの胸も想像より美しく、ショックを軽減させてくれた。確かに一部残すよりも、全て無くなったところから再建した方が綺麗に作れるだろう。ただし、乳首も乳輪も無くなる。

 「ホルモン剤ってどういうものですか?」
 ホルモン剤と言えばピルくらいしか知らない。

 「以前、不正出血で受診したら、子宮内膜が増殖していて子宮体がんの疑いがあるって、その時にホルモン剤を飲んだことがあるんですが…。それと、年末に生理が大量になって、貧血になって、もっと強いホルモン剤を飲んで止めたということがありました。」
 医師はうぅん、と唸り
 「そういう場合はホルモン剤はやらない。飲まなくても再発率はそんなに変わらないし…。」
とブツブツ言った。


 「結婚はしていますか?お子さんは?」
 「いいえ。」
 「ああ、じゃぁ。」

 よかった、と続く言葉が聞こえるようだった。
 そりゃそうだよね。自分の事しか問題にならないんだもん、よかったよね。

 …いや、全然よくない!!!


 今後について決めるよう告げられる。
 MRIを受けるなら生理の前後一週間は避けなければならないそうだが、今の段階では予約日を決められない。

 「時期が来たらもう一度予約を取って受診してください。受診して、私がオーダーをしてからでなければMRIは受けられない。」

 そう言って診察は終わった。

 もしこのまま自宅に戻りその後病院にかからなかったら、どうなるんだろう。丸裸で放り出されたようで、不安が襲う。

 MRI検査を受けるまでの間に、乳癌について、再建について、セカンドオピニオンを受ける病院について、調べておかなければならない。


(2018年5月12日~5月26日)


※誤解のないよう付け足し※
 術前化学療法とは、手術より前に抗がん剤などで腫瘍を小さくしてから手術を行う方法で、標準治療です。
 また、検査方法、その手順はガイドラインによって決められており、病院によって変わることはありません。
 乳癌の治療法は、腫瘍のサイズやサブタイプなどを調べ、患者の状況や希望などから総合的に医師が判断するもので、「先生の都合で手術が遅くなるから先に抗がん剤をやる」なんてその場しのぎのような提案は、まともな病院であればありえないことです。
 彼女もきっとちゃんと説明を受けていたと思います。
 説明を理解出来ていなかったのか、それとも自分の意見を正当化するため捻じ曲げていたのか。どちらかは分からないけど(どっちもかもしれないけど)、その後まさか自分が同じ道を歩むことになって、あぁ、いろいろ話盛ってたなー、って分かっちゃった。
 伝聞は当てにならない、ということを明確に実感した出来事でした。


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