兎に角団体行動が苦手と神格化していた自分
発達障がいは多分小さい頃から持っていたと判断する理由
兎に角トロい。自分で言うのもなんだが基本トロい。運動神経は並なのに普段の生活行動が遅くなりがちで皆にいっつも遅れていた。特に小さいころから遅かったのは好き嫌いが若干激しい食事と昼寝のし過ぎで目覚めたら一人で寝ていた事とかかな。今なら間違いなく支援学級入りの内容だなーっと振り替えられる。
それ故団体行動を乱しがち&団体の一個人からの嫌がらせ
幼稚園保育園からその癖が治らず小学校に上がったものだから周りは物珍しさといたずら好きな好奇心等から来たんだろうね、嫌がらせやハラスメントに今なら相当する行為に合ったよ。無論こちらが逆切れしても彼方は余裕ではやし立てて煽るか異性は気持ち悪がって近寄ってくれなくなったりばい菌扱いみたいな感じになったな。最終的には同性は話しかけてくる程度、異性からは全く顧みられなくなってしまった。この経験が今でも異性不信人間不信へと繋がっている。
嫌がらせを受けない為に学習してしまった団体への神格化
それ故に団体に対する畏怖と神格化をすっかり学習してしまったと思っている。今でもその癖は抜けきれておらず、団体でいても居心地が悪く個人で行動している方が性に合う人間になってしまった。それは世の中自分が経験したフリーランスでも継続して仕事が出来た事が証明しているのかもしれない。兎に角団体行動が苦手と畏怖の念を持ってしまっている。
それでも出来ない自分の団体行動
小学校時代6年間でそのような苦痛を味わったから中学校高等学校で環境を一新しようと親には私立へ行きたい旨を伝え私立の某中学校高等学校へ進学するもここでもいじめにあう。いきなりグループの取りまとめ役を仰せつかって纏められず一員から一発殴られた。それから何度か先生を通じて収まったかのように見えたが最終的には皆無視されていたな。腫物みたいな感覚何だろうな。そしてそれは大学企業への就職でも同じ状況にいっつも陥る。
自分の個人行動と団体行動との狭間で
個人で判断してやり始めた趣味であるPC自作等は割と評判がよかった。これも人からの影響が大きかったのだが大学で初めて個人で触るようになった。団体行動はもう自分には合っていないのかも知れない。そう感じる一面だった。でもまだその時は団体の力が強く個人の力なんてたかが知れている状態でもあったので人に認めさせる事こそが仕事も自分の感情の葛藤も霧散してくれる唯一の方法なのだろうな。
嫌がらせだが許せる行動と許せない行動
前述の取りまとめ不備による一発、自分のミスによる他への迷惑等ならわかるし自分も自覚しているから謝罪する。しかし、自分は中学校高等学校時代の知人にとある限定ゲームソフトを貸し出して勝手に売り払われた事がある。その知人、今なんて言っているかというと時効なんだそうだ。つまり盗んで売り払ったことを認めた上で居直っている呆れた奴である。そんな奴から結婚式の招待状が届いた時は〇意が沸いたね。禄に返すものも返さなくてよく招待状なんて出せたもんだと。自分は敢えてその時にその指摘をせずその知人の子供がやらかした時にどう大人として責任を取ってくれるのか楽しみにしている。日頃社会人としてーが口癖の人だったからな。楽しみにしているぞ。蛙の子は蛙、やらかす。
とまぁ、脱線はしたものの人を信じすぎてしまう点も自分の中ではちょっと病的なのかもなーと思う。
まとめ
現在障がい者枠として働いている身ではあるが悩みが出てきてしまった。団体生活に戻ってしまっている事、それに馴染み切れていない事である。ここ数か月体調を崩し様々な対策を講じてみたものの今一つ対策の効果が見えてこない。やはり団体生活は避けるべきなのだろうか?今の日本も大分個人的な行動でも生きやすくはなっているがそれでも支援や横のつながりは重要である。集団生活までとはいかないまでもビジネスパートナー止まりにして仲間を増やしていきたい。そう言う事を考えるとはっきり言って今の学校事務職員の仕事はデメリットばかりである。リモートワークが出来ない、上役から変な疑いが掛けられる等々である。そんなことを言われるために自分は事務職員になったわけではないのに。もうちょっと個人の裁量でなんとかなる、COVID19環境下で急激に整備し始めたリモートワークを活用して少しずつ周辺に認めてもらうほかないんじゃないかと思い始めた。なぜなら集団生活が苦痛だから。