映画「すばらしき世界」と若林正恭の「社会人大学人見知り学部 卒業見込」の共通項
西川美和監督 役所広司主演
映画「すばらしき世界」を鑑賞しました。
以下、まったくネタバレのない感想ですので視聴前の方もご安心を。
「社会」になじめない男の物語。
この映画で若林正恭の「社会人大学人見知り学部 卒業見込」を思い出しました。
映画の主人公も、当時の若林さんも「社会に馴染まなければならない」と考えている。でも、「社会」は不器用な男たちの首を、真綿で絞めてくる。
「社会」って誰のためにあるのだろう。
馴染める人間のため?
では、労働をし、納税をし、衣食住に困らない、私のような人間のために社会はあるのでしょうか。
「社会に馴染まなければならない」と考えている、今はまだ社会に馴染めていないと思っている、映画の主人公や当時の若林さんは、そう思ってる。と思う。社会は馴染める人間のためにあると。
でもやっぱり、普通に「社会に馴染んでいる」ように見える人視点(私のような人間)からみた社会も、やはり「首を真綿で絞めるような地獄」。
この社会は全員にとって地獄なのではないでしょうか。
この映画の主人公は、「いいところ」もいっぱいある魅力的な男です。
そして、社会に馴染むということは、その「いいところ」を削ぎ落す作業をしなければならない。そして削って、削って、完成したその男は、私のような凡庸な男。
それって、いいことなの?
若林さんの現在は
社会に馴染むために、「いいところ」を削ぎ落す作業を経て
でも全部削いだわけじゃなく、大事に持っている部分もある。たまにその、いいところ(狂気)を見せつつ、隠しつつ、その塩梅が絶妙で、
だからこそ、こんなに魅力的なまま、社会に馴染めたんだと思います。でも「隠し持つ」って、実は一番苦しい地獄だと思いますよ。
私は全部削いだから、若林さんみたいな人を尊敬するし
この映画の主人公みたいに、削がないで生きてきた人のことをかっこいいと思う。
この3タイプの人間が生きている社会というものが「すばらしき世界」であるならば、全員にとって社会はやはり「首を真綿で絞めるような地獄」だと思います。
そしてこの「首を真綿で絞めるような地獄」を
明日も生きていくために
「すばらしき世界なんだ!」
と全員が縋っている。
明日も、生きていくために。
一つの感情では語れない、いい映画でした。