嫌われた監督「落合博満」、H×H的には多分ゼノ
「嫌われる勇気」という本がベストセラーになったのは約10年前。
時代は「嫌われたっていいじゃん!」みたいな個人主義を掲げる潮流がある。
そんな流行の最先端、とは全く言えない、一線を画す超個人主義者、「俺流」こと落合博満。
その神髄に迫るベストセラー
「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」鈴木忠平 著である。
2004年に中日ドラゴンズの監督に就任してからの11年
落合を縛るものは契約のみ
ゼノ=ゾルディックはハンターハンター(H×H)という漫画の主人公の親友キルアという少年のおじいちゃん。彼を縛るものもまた、契約のみ。仕事だから、抜かりなく。契約を遂行するためには自らの死さえ恐れない。
睡眠導入剤を摂取しなければ眠れないほど精神を追い詰められていた落合博満もまた、死を身近に感じていた。その証拠に「自分が評価されるのは死後だろう」や「最期の食事は秋田の水で炊いた米が食べたい」など死を意識した発言がある。
二人のもう一つの共通点は「プロ」であること
アマチュアとは違う、プロ。これは覚悟の問題ではない、技術の話である。
プロである以上、家族・組織などのしがらみのために仕事をするのではない。ただ自分のため。
信用できるものはただ、己の技術のみなのだ。
ゼノは自分の仕事に絶対的自信を持っていた。自分の矜持を曲げず、過不足なく仕事をこなす。
落合もまた自分の信念を曲げることはない。
正しいことを言い、批判される。嫌われる。それでも、折れず、媚びない。なぜ折れる必要があるのか、なぜ媚びる必要があるのか。
必要が、あるのか?
それは野球の勝負に勝つために「必要」なのか??
落合はそんなことは言わない。しかし落合の発言はすべてこちらに思考させるものだ。
「プロ」ならば自分で考えろ。金を頂くために契約の元働くものは皆「プロ」ではないのか。
落合は変わらない。
変わったのは周囲である。
ゼノはどうだろうか。おそらくゼノも変わらないだろう。
しかしゼノの周り(キルア)は変わるだろうか。
それはまだわからない。
「嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか」鈴木忠平 著
『HUNTER×HUNTER』冨樫義博 著