子どもの求める「愛」とは
写真は朝方の新橋。全然関係ない。
ハーロウの代理母実験について。
初めは、アカゲザルの赤子を母親猿から引き離し、針金でできていてミルクが出る仕組みのある代理母と、ミルクは出ないがスポンジの入った布製で柔らかい代理母のどちらを好むか、という実験だった。
アカゲザルは布製の代理母に寄り添い、ミルクを飲む時だけ針金の代理母の方へ手を伸ばした。
乳児のころから、意識的に「母親」の概念が構築されているような気がする。脳で、皮膚感覚の近い布製の代理母に「安心感」を抱いた、ということなのだろう。
針金の代理母で育てたアカゲザルは、激しい自傷行為に走り、精神に異常をきたしたとの事。
母親に求められるのは、温もりと柔らかさ(触覚)ということなのか。
余談になると思うが、この実験では結局布製の代理母に育てられたアカゲザルも、外界との接触を極端に拒み、衰弱していたという。ここで「積極的(物理的)な愛情表現」も必要なのでは、となる。
この実験で興味深いのはここからである。
次にハーロウは、布製で、接触すると針が出たり空気圧縮によってアカゲザルを吹き飛ばしたりする、所謂「モンスターマザー」を作成した。
アカゲザルは怪我を負いながらも、何度も代理母に抱きついてきたという。
母親の物理的な拒絶に対し、子供は「自分のせいで拒絶されている」という認識を持ち、それは子供が母親を拒絶する理由にはならなかったのだ。
母親の負の感情も、暴力も、拒絶も、幼い子供にとっては「愛」という成長の糧に「なってしまう」のだ。
そうして育てられたアカゲザルは、社会性なく成長し、
無理矢理交配させ出来た子供の頭を噛み潰し殺してしまったという。
この「子供を噛み潰し殺した社会性の欠如した母猿」こそ、現代に生きる我々なのではないだろうか。とちょっぴり思った。
無責任に産み落とし、育てる力もなく遺棄する者もいれば、
虐待し、子ではなくサンドバッグのように扱う者もマスメディアではよく見るだろう。
少なくとも私は、理由は違うが今の日本で生きていく限り子供を作りたくないが、
自分自身が得られなかった「愛情」をどれだけ子供にあげられるのだろうと思った。
おしまい。
今まで好きな色がどんな名称なのか分からず困っていたが、
最近、それが金春色という名前だということを知った。ターコイズみたいな色。