AI以前に、人間が絵柄を模倣するのはどう見られているのか?

AIの登場によって絵の世界が紛糾して随分経つ。
そのような紛糾の中で多く見られるのが「自分の絵柄がAIに模倣されるのが嫌だ」という意見だ。
それを見て、自分は「うーむ、気持ちは分かるが、人間も絵柄を模倣するしなあ……」くらいに思っていた。

しかし、最近色々調べる中で気づいたのが、そもそも人間が絵柄を模倣するのにも、どうやら色々ありそうだということだ。

大分とっ散らかっているのはご了承を。思いついたことを順に書いていったので。

1.X(旧ツイッター)の意見

Xで、「絵柄 模倣」、「絵柄パク」、「(模倣してる人が多そうな有名絵師名) 絵柄」などで検索した。その結果、

・模倣するなら、1人だけでなく2~3人混ぜたほうが良い
・(有名絵師名)の絵柄をパクった絵が回ってきてモヤモヤした
・普通に投稿するならいいけど、Skebなど有償依頼を受けるのはダメだろ
・本人に言われたらやめるべき
・自分の絵は模倣してもいいし、その上で有償依頼受けようがOKだよ

といった意見が出てきた。

正直、結構ビックリした。というのも自分、誤解を恐れずに言うなら、「絵柄パク」というのはごく一部の難癖付けたい人が言ってるだけで、多くの人はそんなこと問題にしてないと思ったからである。

まあ、自分が元来、芸術においては「合法だったら何やってもいいでしょ」という考えの持ち主だからってのもあるだろうけど。

これを見てから、絵柄の模倣は思ったよりセンシティブだし、気を付けようかなと思った。

……でも、ちょっと悪いことも考えた。

一人の絵柄をパクった上で、そのパクリ元が苦言を呈したら「絵柄の模倣は合法じゃん。これでバズろうとSkeb受けようと別に良くないですか?」と突っぱねる例が一人くらい出てほしい。

上述したような意見を知った以上、推奨するわけじゃない。推奨するわけではないのだが、議論のベースとして素直に興味深くなりそうなので。


2.絵柄パクへの抵抗感

前項で、絵柄を模倣することに対する意見を見ていったが、そもそもなぜ絵柄の模倣に抵抗感があるのだろうか?

真っ先に思いつくのが、「パクられ元のイラストレーターのパイが奪われるから」。これは大きいだろう。

しかし、私は、ある記事を読んでもう一つの論点を考えた。

これは、岡崎体育の「感情のピクセル」という楽曲に関する記事である。この楽曲は、ロックの曲調を模倣した上で、歌詞が途中からふざけ始めるというものなのだが、公開当時、一部怒った人がいるらしい。

その原因を、記事の筆者は以下のように分析している。

じゃあ何と一緒なのでしょうか。たとえば清水ミチコの一連のネタ、「スピッツ作曲法」「ドリカム作曲法」「松任谷由実作曲法」「ミスチル作曲法」と同じなのではないか、という考え方はどうだろう。

スピッツ風のアレンジで、スピッツ風のコード進行で、マサムネ風のメロディにのせて「後半はいつも伸ばしがち ゆっくりとテンポ下げる」とか歌うあれ。先日『ARABAKI ROCK FEST.17』で新ネタ「サカナクション作曲法」を観て、血を吐くほど笑いました。「丁寧」とかサビにばんばん出てきて。

つまり。音楽は「型」である。その音楽を好きであるということは、その型を好きだということである。で、「型」なんだから、その「型」をなぞれば、つまりマニュアルに従えば、能力のあるミュージシャンなら、それなりのクオリティのものが作れてしまう。

という事実を突きつけてくるから、カチンとくるのではないか。どちらかというと、自分の好きなバンドとかジャンルとかをバカにされたからカチンとくるというよりも、その「型」を好きな自分をバカにされたような気分になる、だから頭にくるのではないかと思う。

現に岡崎体育、ネタにされた(と言われている)バンドたちは誰も怒っていない、むしろおもしろがったり彼を擁護したりしているあたりも、それを示しているのではないかと思う。



思うに、「型」が好き、というのを、音楽好きとしてあまりうれしいことだと捉えていない人がいる、ということなのではないだろうか。

そのアーティストのキャラクターが好き、考えていることが好き、伝えてくることが好き、曲が好き、というのはいいけど、「型」はなんかイヤ、自分がカテゴライズされやすいその他大勢人間みたいな好みだってことになるので。という抵抗感が、無意識にあるのではないか、と。

しかも清水ミチコ的に、個別のアーティストそれぞれの「型」をネタにされている分にはまだいいけど、ジャンルでくくって「型」にされてしまうと、自分はアーティストのファンじゃなくてその「型」のファン、みたいなことになってしまうし。

もちろん、みんながそうだ、というわけではない。俺メタル好き、私テクノ好き、みたいに、ジャンルが好き、「型」が好きであることを自分で普通に認めている人が大多数なんだけど、自分はそうじゃないと思っているから、そこをつつかれると怒り出す少数派がいるんじゃないか、と。

もしくは、自分の中にある「型」好き要素自体に無自覚だからこそカチンとくる、というのもあるかもしれない。



なんにせよ。「型」を提示されることで、その分自分の好きな音楽のマジックが下がってしまった、魔法のカラクリを見せられてしまった、そんな気持ちになるから腹が立つのではないか、という推測です。

あ、「怒ってる人たちはみんなこれが理由なのでは」ということではありません。「こういう理由の人もいるのでは」という、ひとつの可能性の推測です。

この分析なのだが、「絵柄パク」に対する嫌悪の説明にもならないだろうか。

例えば、上述した「(有名絵師名)の絵柄をパクった絵が回ってきてモヤモヤした」という人は、その絵を見て「要領の良い人なら(有名絵師名)の絵柄なんてあっさり描けるんだぜ。そういう「型」なんだから」と言われ、魔法が解かれた気になったのではないだろうか。

AIなら尚更で、「データを集めれば(有名絵師名)の絵柄なんてあっさり出力できるんだぜ」という感じである。

多分、多くの絵師やそのファンは、ある絵が再現困難かつカテゴライズ不可能なものであると信じたい欲求があるのではないだろうか。それで「型」を何らかの形で提示されると、怒りが出てくるのではないだろうか。

(余談だが、これは、定期的に出る「「○○に似てる」という感想を送らないで欲しい」という話題にも通じる気がする)


3.題材の違い

過去、内閣府が出したポスターの絵柄がたなかみさき氏の絵柄と類似しているとして、使用を取りやめた事件があった。

そのとき、出どころは忘れてしまったのだが、このような意見があった。

「純粋な恋愛のイラストを描くことが多いたかなみさき氏の絵柄を、よりにもよって性加害を啓発するポスターに使ってしまったのが良くなかったのではないだろうか」

これは、自分でも割と納得できる意見だった。確かに、自分の絵柄を使われた上で、真逆のものを表現されたらちょっとイヤな気持ちにもなりそうだ。

……ただこれ、「子供向け番組っぽい雰囲気で闇を出す」みたいな作品群も巻き込んでしまいそうなんだよな。↓みたいな。


4.業界による違い

こちらも内閣府ポスター事件にまつわる話なのだが、「「○○に似たような感じで」と依頼を送るのをやめてほしい」という意見があり、それに対する同意も結構多かった覚えがある。

これを見て、自分はふとあることを思い出した。それは複数の作曲家の、依頼する際のテンプレートに、「リファレンス」の項目があったことである。

「リファレンス」というのは、まあ参考例のことだ。

これを基にして考えると、音楽は絵と比べると、「○○に似たような感じで」という依頼に、はたまた作風を寄せることに対する抵抗が少ないのではないだろうか。

(自分が見かけたことのある作曲者がたまたま特別だったという可能性もあるのだが)

どちらが良い悪いではなく、業界間で作風の模倣への考え方に違いがあるかもしれないというのは興味深い。


5.まとめ

人間が絵柄を模倣することについて色々考えたことにより、逆にAIが絵柄を模倣することに対しても考えが広まった気がする。

何らかの議論をする際、そもそも一歩前の段階ではどうなったいたかを考えるのは、急がば回れ的良さがあるかもしれない。


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